Japanese Blog (日本語のブログ)
今週24日(火)に、デイズニーコンサートホールで、ベルリンフィルハーモニー交響楽団のコンサートがあり、行って来ました。ロサンゼルスでは2回公演があり、その2晩目のコンサート。満員だなあと思うコンサートには何度も行っていますが、これほどホールが一杯というのも珍しいくらい。観客席の静かな熱気も凄かったです。そして、皆が息を呑んで聞いているのが、ビシビシ伝わって来ましたね。だって、演奏中に本当に静かで、咳もなし、のど飴をかさかさ開ける音もなし、プログラムをばさばさする音もなし。 演奏はとにかく素晴らしかったです。団員一人一人のエネルギーがバンバン伝わって来るし、それがアンサンブルとなって一つの音楽にまとめ上げる指揮者のサイモン・ラトルもすごい。ホールの空気を、彼らの音楽で埋め尽くし、聞いている我々を捉えて離さなかったコンサート。あっという間に時間が流れていました。演奏曲目は、マイスタージンガー前奏曲、ブラームスの交響曲2番、そしてシェ-ンベルクで室内交響曲一番。サイモン・ラトルは、すべての曲をスコアなしで指揮し、オーケストラと一体となり、ものすごいエネルギーを生み出しました。それと、観客の中に沢山音楽家仲間がいて、それだけ関心度の高さがあるという事だなあ、と実感。友人達とコンサートの後で、興奮していろいろと話しました。やはり世界のベルリン。じっくりとした演奏曲目で、ロサンゼルスの観客を圧倒し尽くしました。圧巻。
数週間前に、このバッハのカンタータ106番の演奏を聞く機会に恵まれました。この曲を聴くのは初めてで、何の先入観もなかったけれど、歌詞の素晴らしさと音楽の美しさにただただ、感動しました。演奏の後に、来ていた人といろいろと話をしたけれど、皆一致して、自分のお葬式にはこの曲を演奏して欲しいと思っていました。この歌詞は聖書の様々な部分から取られていて、多分バッハの叔父さんのお葬式に書かれたのではと、言われているようです。コーラスとソロの歌う中で歌詞を追いながら、古楽器の奏でる暖かい響きを聞くと、何とも言われない希望に満ちた、そしてとても力強い気持ちになります。まさに、希望です。著作権については、専門家ではありませんが、多分大丈夫だと思うので、歌詞全文日本語訳を載せますので、読んでみて下さい。 神の時は いとも ただし 主に 生き はたらき, われら あるなりわれら 死に さとからしめよ (詩編90:12) みこころの ままに 定められたる とき われら 死す (使徒行伝17:28) 主よ さとらせたまえ われらに 死すべき ことを なが 家を ととのえよ なんじ 死にて 世を 去ればなり (イザヤ38:1) ふるき さだめ ひとは 死すべきなり しかり 来ませ 主イェス (外典シラク14:18、黙示録22:20) なが み手に ゆだねまつる わが たまを あがない主 まことの 主よ(詩編31:6) われと ともに きょう なんじ 天つ国に あるべし(ルカ23:43) われは 去りゆく […]
今回は、私の好きな詩をご紹介したいと思います。吉野 弘さんの『祝婚歌』の著作権に関しては、「イッセーおやじの中年のひとりごと」に吉野さんご本人のお考えが紹介されていますので、それを参考にして独断で、皆様に是非読んで頂きたく掲載させて頂きました。この詩は、夫婦間だけに限らず、人と人との関係に、とても大事なことを問いかけていると思います。私ももっと若いうちに、こういうことが分かっていればなあ、と今更ながら思います。 祝婚歌 吉野 弘 二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派すぎないほうがいい 立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい 完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい 二人のうちどちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい 正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には 色目を使わず ゆったり ゆたかに 光を浴びているほうがいい 健康で 風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる そんな日があってもいい そして なぜ胸が熱くなるのか 黙っていても 二人にはわかるのであってほしい
この二人って、もう沢山の共通項がある事にお気付きですか。まず、二人とも神童だった事。モーツアルトは7歳で、すでにちゃんとした音楽を作曲しているし(という事はその前に楽器をマスターしていた訳)、マイケルは、もっと早くからジャクソン・ファイブの一員として、飛び抜けたダンス、歌の才能を発揮していましたね。そして、その天才ぶりが災いし、二人ともいわゆる普通の子供時代を送れなかったんです。モーツアルトのお父さん、レオポルドは、完全にステージパパで、もうあちこちに息子を見せびらかしていましたし、マイケルはテレビにコンサートに、もう大忙しでした。200年の歳月の差はあるものの、全く似たような子供達です。そして、紆余曲折はあるものの、生涯音楽とともに歩み、短命のうちに生涯を閉じた両人です。そして、その死因が、毒に関係するであろうという事。マイケルはドラッグ中毒(死因は麻酔薬)で、モーツアルトはサリエリに毒殺されたのではないかという憶測です。唯一違うのは、マイケルが栄光と富の中で亡くなったのに比べ、モーツアルトは貧困の中で亡くなったことでしょうか。二人とも歴史に大きな足跡を残しましたが、どのような想いで生涯を閉じたのか。私達もいろいろと考えてしまいますね。
今年の始めから、キルトを作って病気の人などに差し上げる会に入っています。以前は、編み物をしたり縫い物をしたりするのが結構好きだったのですが、何せ忙しく、又そういう事を余り必要としない生活になり、裾上げやボタン付けくらいで、すっかり忘れていました。こちらアメリカでは、キルトを作るというのは、かなり日常的で、今でも子供や孫に作ったりします。工程は、すべて手縫いのものと、ミシンを使ってやるものがあり、今回のキルト作りは、ミシンを使ってのものです。以前の手縫いに比べると格段の速さで、第三土曜日に集まる時だけに作っていますが(それも毎月行ける訳ではないのですが)、すでに2枚目になっています。作成の工程で、送る相手の事を考え、又一緒に集まる仲間とおしゃべりをしながら、私の好きな時間の一つになりました。
昨日、ハリウッドボールで、新しい指揮者グスタボ・ドゥダメル氏を迎えて、ロサンゼルス交響楽団の今シーズン第一回目のコンサートが、開かれました。ハリウッドボールは、ロスアンジェルスの広告塔の一つで、大きな野外劇場。昨日は満員の18,000人を入れ、町を挙げての大イべントでした。オーケストラの演奏の前に、今話題の若手キューバンピア二スト、アルフレド・ロドリゲスから、ロサンゼルスのバンド、学生のオーケストラなど、様々なグループがイベントを盛り上げ、聴衆は興奮の連続。又大物がスピーチをしたり、果ては、オバマ大統領からの手紙まで読まれたりで、はっきり言って超ハリウッド風。その盛り上がりの末に、ドゥダメル登場で、会場は騒然でした。 ロサンジェルスは、まさに人種のるつぼ。いろいろな人種がひしめいていますが、その中でもラテン系の人口がものすごく、南米のベネズエラ出身のドゥダメルはもう大スターです!このコンサートのチケットは、無料でインターネット配布され、「早いもの順!」式。ものすごい競争だったようですが、ラテン系の人達は運が良かったのかなあーー、お客さんのかなりの割合いがラテン系の方たちで占められていました。ですから、ドゥダメルもスペイン語でもスピーチし、まさに会場の皆のハート丸つかみ。第9の交響曲の演奏中も、楽章毎に拍手や騒ぐだけでなく、4楽章の中で音がとぎれた瞬間も逃さず、声をかけ、歌舞伎化状態でした!第9の歌詞の中で、「世界を一つにつなぐーー」という部分があり、これがこのイベントの真髄だというドゥダメルのスピーチ。コミュニイテイーと一緒に、南米もなく、北米もなく、中米もなく皆一つ!という訳です。 日本人の私としては、アジアにも目を向けてくれーーーー、っと心の中で一人呟いていました。ドゥダメルは、ラテンの人達のヒーローだけど、私達にとっても大ヒーローだし、音楽はアメリカ大陸だけのものでもない!と、コンサートの最後の盛大な花火を見ながら、思っていました。ちょっと文句も言ってしまいましたが、ドゥダメルは、大天才です。彼の音楽は違います。もし機会があったら、彼のコンサートに是非足を運んでみて下さいね。
9月の日本公演は、部分的にアメリカの連邦政府の基金で行われました。私は、10年前に最初に出したCDに、全曲アメリカ音楽を選んだほどの、アメリカ音楽好きです。そして、今回の様な幸運に恵まれ、アメリカ音楽を日本の皆様にご紹介する機会を与えられて、本当に嬉しいです。今回選んだ作曲家は、ラグタイムの王スコット・ジョップリンから、ジャズ・クラシックのガーシュイン、アメリカ民謡のフォスター、とってもアメリカ的なコープランドのカントリー・ウエスタン、美しいバーバーの音楽、アメリカのブラームスとも言われるフット、楽しいボルコムのブラジルタンゴ、個性豊かなアイブス、印象派調の雰囲気パーセケッテイ、タートルアイランドのサマー、ヴィオリンの達人オコーナーののびやかな曲、私の友人で天才肌のフランク、そしてアンコールにスーザの「星条旗よ、永遠なれ」と、アメリカ音楽のいろいろな側面から、プログラムを組みました。それぞれの曲の前に、お話をしながらの、楽しいコンサートが出来たように、思います。 アメリカの音楽は、最初ヨーロッパからの移民とともに入ってきたものに始まり、東海岸での人口が増えるに連れ、コンサートシリーズやオーケストラが結成、そして次第にアメリカ生まれの音楽が演奏されるようになりました。それは、ジャズ、ラグタイム、ブルース、カントリー・ウエスタン、民謡、ブロードウエイのミュージカルなど、です。もちろん、クラシックの作曲家達は、そういったアメリカ土着の音楽を、自分達の作品に取り入れていきました。 演奏家であることの喜びは、演奏するという行為だけに留まらず、いろいろな音楽を模索する事にもあります。私は、新しい音楽や、今まで聴いた事のなかった曲を、勉強するのが大好き。これからも、新しい角度で、いつも新鮮な気持ちで演奏を続けていきたいと思います。又近いうちに日本を訪れることが出来ますように。そして、一緒に音楽を楽しみましょう!
日本語ページのブログが少しご無沙汰になっていました。以前は、英語のブログを書いた際にそれを下敷きに、日本語ブログも書いていたのですが、ちょっとおなまけしてしまいましたね。このホームページの新聞エッセイのところを読んで頂くと、私の日常が分かって頂けると思いますので、ご覧下さい。この新聞エッセイは、ここ4-5年続けているもので、2度コンサートで伺わせて頂いた北海道の紋別市の方々に、お便りを書くようなつもりで、一ヶ月に約一度の割合でお届けしています。遠くの家族に、現在の心境やコンサートで行った先の経験などを、お話しするように書いています。 9月には、日本でのコンサートツアーがあり、帰国します。日本でのコンサートの詳細は、コンサート情報覧をご覧下さり、参考にして頂ければ、幸いです。
昨日は、カリフォルニア州のグランデール市(といってもロサンゼルスの一部)にある、とても美しいブランド図書館内のコンサートホールで演奏会がありました。この建物は、とても歴史があり、週末などは、良く結婚式の写真撮影にお目にかかる事があります。少し建物に傷みが来ており、来年は大掛かりな改修に入るそうですがーー。 昨日のコンサートのテーマは、ここ数年行っている”世界の旅をピアノとともに”で、ピアソラ、グラナドス、ジネステラ、坂本 龍一、プーランク、バーバーらを、演奏しました。気持ちの良い演奏が出来たと思います。お客様も熱心で、演奏後のレセプションでは、いろいろと質問があり、楽しくお話させて頂きました!ありがとうございます!音楽図書館員のブレイヤーがこのコンサートシリーズを企画していて、いつも素晴らしいコンサートを提供しています。昨日は私を招待してくれて、感謝しています!!又、早速来て下さったお客様から、「とっても感動したよ!」というメイルを頂き、嬉しく読ませて頂きました。こちらも感謝しています。 それから、音楽仲間のニック・レーン(才能一杯の作曲家/アレンジャー、そして素晴らしいトロンボーン奏者)からメイルが届き、私のCDがとっても良かったよと、いう嬉しいお便り。彼は、ロックバンド・シカゴのバンドの一員で、現在ツアー中。バンド仲間と私のCD聞いてくれたようです!こちらも、沢山ありがとう!! 今日は、私のもう一人の(沢山いるうちの!)音楽仲間、ジョン・ルイス(彼はすっごく上手いトランペット奏者)が我が家に立ち寄り、テキサス州のダラス市で6月に演奏するコンサートの打ち合わせをしました。彼とは過去にも何回か演奏を一緒にしていて、今回も楽しみな曲が一杯です。ピアノの上に、新たな楽譜の山がーー!! 今週末は、カリフォルニア州のパサデナ市(ここもロサンゼルスの一部!)である、武満 徹先生の音楽祭があり、その一部で、先生の美しいピアノ曲を演奏する事になっています。リタニーの2曲とレイン・ツリー・スケッチの第2番を演奏予定です。レイン・ツリー・スケッチはビデオと一緒に演奏するので、ちょっと特別な練習が必要ですね。そろそろ、ピアノに戻って又新しいプロジェクトに向かって、練習です!
日本の皆様にもお馴染みのピアニスト、シフの演奏が先週ここロスアンジェルスでありました。この演奏会は彼の2年間に亘って行われて来たベートーベンソナタ全曲コンサートの最後を締めくくるもので、作品109、110、111が演奏されました。私自身以前からシフの大ファンで、折に触れ彼の演奏を聞いて来ましたが、今回の演奏会は、今までとは全く違う世界に連れて行ってくれました。この後期の大ソナタ3曲を、休憩なしで、あたかも組曲のように弾き、一曲づつ弾くのとは異なる空間の中、シフのクリスタルのようにクリアーな音、真実の響きが、デイズニーコンサートホールの最高の音響と合体したのです。満席のホールの中央ステージ上で、一人の世界に遊び、哲学を生み出し、ただひたすらベートーベンの世界に入り込む一音楽家、アンドラス・シフ。最後の音を弾き終わり手を鍵盤から離し、徐々にこちら側の世界に戻ってきました。本当に素晴らしい演奏で、いまでも余韻にひたっています。