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先日ご報告したキューバでの公演の次は、エルサルバドルでの演奏会へ。効率の良い乗り継ぎの飛行機が無く、コスタリカのサンホセ飛行場経由で、行きました。エルサルバドルも、始めての訪問国です。キューバは暑くて、正にカリブ海の美しい島、という感じだったのですが、こちらでは、シトシト雨が私を迎えてくれました。空港から30分くらい離れた首都のサンサルバドル市は、少し高地にあり、ちょっと肌寒くもありました。 エルサルバドルは、中南米の他の国々同様、長くスペインの統治下にあり、1823年に独立。その後の60年間は、国内の権力争いに明け暮れ、又、隣国のグアテマラとホンジュラスとの領土紛争もありで、混乱を極めていたようです。その後、ヨーロッパにおける珈琲の需要が伸び、輸出産業が展開。それに伴って、資本家階級が誕生し(「珈琲14家族」と呼ばれ、現在もこの末裔が国の重要な部分をになっているらしいです)、彼らが政治・経済両面で国を支配するようになりました。その後、悲惨な生活を強いられた農民・労働者の不満が溜まり、共産党の誕生、クーデター後の軍事政権など、第二次世界大戦をはさんでも、不安定な政情が続いていたようです。いろいろな支配政党が次々にあらわれ、1984年の選挙で中道左翼政権が始まりましたが、国民の期待に応えられず内戦が悪化し、5年で敗退。1989年に行われた選挙では保守系が圧勝し、その後国連事務局長の支援や、アメリカの後押しもあり、ついに1991年にメキシコにおいて和平合意文書に調印。長い間の内戦に別れを告げました。そして、内戦による国の疲弊に手を打つべき、新政党(ARENA)が国の再開発に乗り出しました。そして、2009年に15年ぶりに選挙が行われ、再び左派政権が勝利。現在は、50歳のフネス大統領下、国政の見直しを図っています。特に、文化面での教育が疎かになっていたので、その面において、何とか早く青少年にきちんとした文化教育をしたいと、模索しているようです。 こういった背景もあり、私のコンサートは、エルサルバドルの文化庁の期待が高かったようです。もちろん日本とエルサルバドルの友好、そして日本の音楽紹介が今事業の大きな目的ですが、国民に音楽の素晴らしさを通して感動を与え、情操教育に目覚めてもらう、と言う背景でしょうか。コンサート前日、在エルサルバドル日本大使館での晩餐会で、エルサルバドルの文化庁の方達とお会いし、いろいろなお話を聞かせて頂きました。将来に向けての音楽教育、芸術振興など、計画は多々あるようですが、まだまだ実行には至っていないと言うのが、実情のようです。コンサートは2回、首都のサンサルバドル市の国立劇場と、第2の都市サンタアナ市のこれも国立劇場で。どちらも、沢山のお客様に入って頂き、公演終了後も多くの方々から素晴らしいお言葉を頂き、まさに演奏家冥利につきるエルサルバドルでの経験になりました。アンコールでは、日本の「さくらさくら」をピアノにアレンジしたものに続き、エルサルバドルのお国自慢の歌を2曲弾き、会場と一緒に盛り上がりました。 次は中米の大国、メキシコへ移動です。こちらは、国の規模が全然違うので、どんな経験になるのか、今から楽しみです。メキシコでも、2公演が予定されています。それでは、又、近況お知らせします。
私は現在、中米のコンサートツアー(キューバ、エルサルバドル、メキシコの三国)に来ています。昨日最初の国、キューバでのコンサートと公開レッスンを終え、次のエルサルバドルへ行く乗り継ぎのため、コスタリカのサンフォセ空港にいます。この空港には、2年前にも来ていて、空港の様子も同じで、一息ついたコーヒーショップも全く同じ。面白いものです。 キューバの訪問については、新しい事の連続で、何からお話してよいやら・・。もちろん、キューバと米国は国交がないので、基本的にはアメリカ人の渡航は不可能です。ただし、音楽家や芸術家、特別な許可を得た人達は、出入りしています。私は、アメリカに住んでいますが(グリーンカードで、アメリカでの生活、仕事をしています)、日本人なので、全く問題なし。しかし、パスポートにキューバ入国の証拠が残るとアメリカに再入国した時に問題になるので、私だけでなく、すべての外国人が、旅行許可証を買い、それでキューバへの入国・出国を行います。アメリカに住んでいると、キューバについての情報は乏しく、又悪いニュースが多く伝わって来るので(経済制裁など。アメリカとキューバの関係は、現在のところ関係は良くないので)、行くまでは全く想像が出来ませんでした。今回の演奏旅行は、日本政府の文化事業の一環で、国際交流基金と日本国大使館の共催で、準備中、滞在中も、キューバ在日本大使館には、何から何までお世話になりました。又すべての計画は、国際交流基金ニューヨーク事務所を通して行われ、ここにも本当にお世話になりました。 キューバは、社会主義国で、ほとんどすべての国民が国家公務員。階級は多少あるとは言え、平等な生活が保障されています。例えば、病院はすべて無料。最低の食料は配給で、いう具合です。そして、国の貨幣が2種類あり、日常のキューバ人の暮らしは、我々外国人・観光客が使用する貨幣の約24分の1に設定されています。ですから、国からのお給料は、信じられないくらい安いんです。普通のクラスの人達は、月約3000円。だから、医療が無料とはいえ、日常の暮らしは大変苦しく、お給料以外に何とか副収入を手に入れようと、皆必死だそうです。90年代にソ連が崩壊して、ここからの援助がなくなり、現在は、隣国のベネズエラと中国の援助で、国を成り立たせているよう。オバマ政権中に、アメリカとの関係が修復するのでは、とも言われていますが、どうなりますやら。 生活が苦しい反面(トイレットペーパーや、食料油といった日常品がないのは普通で、ホテル以外では、トイレに便座がないことも普通です)、良いことも沢山。例えば、犯罪が少ない。銃や薬物の問題がない。音楽が、本当に素晴らしい。町が他の中南米の国に比べると、とても綺麗、など。特にビーチは本当に美しく、ちょっと水に足を入れると、熱帯魚が廻りに泳ぎ、珊瑚礁があちこちにあるようです。私はコンサートで行ったので、ビーチで遊ぶ暇はありませんでしたから、人聞きですが・・。コンサートはお蔭様で、沢山のお客様に来て頂き、日本大使と奥様、そして各国の外交団の皆様も来て下さり、文化交流という名目が果たせたと思います。在キューバ日本大使とは、実は私生活でも、親交が。まず、この大使は大のクラシック音楽好きで、CDのコレクションは4000枚くらい。並の音楽評論家など、とっくに越えていらっしやいます。そして、私の音楽高校時代の担任の先生が、前任校で、この大使の先生で、この先生の影響もあり、大使は音楽好きになったというお話し。この我々の共有する恩師は、今は余り見かけないタイプで、自分の信じる道に邁進する「名物先生」でした。大使がいらしたのは東京でも有名な進学校で、私がいたのは音楽高校ですが、この先生は同じような教え方で、似た様な逸話を残していらっしゃる。本当に話が尽きませんでした。 コンサートの前日、音楽学校で開いた公開レッスンでは、教えた生徒さん達がとても良く練習してあり、会場も満員で、音楽を通して、正に「国境を越えた時間」が持てたと思います。こうやって世界のいろいろな国に行って、演奏・レッスンをすると、音楽が持つ力の大きさを、改めて感じます。明日、あさっては、エルサルバドルでの公演、そして、その後メキシコに行きます。それでは、長くなりましたが、今回の公演旅行の第一寄稿を終了!皆様もどうぞお元気で、次回の第二寄稿を楽しみにしていて下さいね。
山のようにある問題を解決しながらの、今場所。NHKも生放送を再開。お会いしたこともないお相撲さん達ですが、何だか「お久し振り」という感じで、初日を観戦しました。元気で、見応えのある取り組みが多かったのが、とても嬉しい!お馴染みの北の富士さん、舞の海さん、そして藤井アナのお顔とお声も、長年の相撲ファンとしては心強く、「ご無沙汰していました」と言いそうに。これからの14日間、初日に劣らぬよう、手に汗握る取り組みを期待しています。それにしても、力士の皆さん、張り切っていて、良いエネルギーが充満していますね。海を越えたロサンゼルスから、大声で応援しています。
今日9月5日付けのこちらの新聞ロサンゼルス・タイムスに、日本で現在大問題になっている、100歳以上の行方不明者の方々の記事が大きく載っていました。行方不明者の数の多さも然ることながら、行方不明になっている年月の長さにも、驚かされました。どうやったら、何十年もの間、誰にも知れず、行方不明になる事が出来たのでしょうか。日本の誇る戸籍システム、住民登録、市民目線のお役所仕事、町会・隣組を通じてのご近所付き合い、そして家族の絆は、何処へ行ってしまったのでしょうか。年金搾取をしていた家族にしても、どうやってそんなに長い間、隠しきれたのでしょうか。 都市部での孤独死や孤独な暮らし、又あふれる若い層の引きこもり問題が取り沙汰される中、5年以内には、65歳以上が日本の人口の4分の1を占めると言われている今。これからの日本人の暮らしは、何処に向かって行くのでしょうか。そして政治が根本のところで「軸ずれ」している昨今、舵取りの根本にも疑問が生じます。高度成長期の素晴らしい躍進、そしてバブルがはじけた90年代初期、そして長年続いている経済の低迷。戦後の日本の復興から、現在に至る65年の間に生じた国としてのストレス、「臭いものには蓋」的風潮。マイナス要因が少しづつ膿の様に出て来ているのかも知れません。それとも、問題を直視しないで済ませて来た、ツケでしょうか。素晴らしいところが沢山ある、我々の愛する日本。ここいら辺で、物事をきちんと見据えて、本質に迫る解決を見出して欲しいものです。日本人の最長点である協調性を活かしつつ、物事に阿ず、世代を超えて刺激し合い、助け合い、暮らしを支え合う。昔の縁側で下駄をブラブラさせながら、蚊取り線香に炙られ、祖父母と語り合ったような暮らし。知恵を継承し、無駄に世間様を恐れず、軸のブレない生き様。日本人には日本人の身の丈に合った暮らし、長い歴史の中で培ってきた原理、そして誇りがあるはず。もちろん時代と共に、暮らしの様は変化、それに柔軟に対応する姿勢も大事ですが、芯のある人生指針を持ちたいものです。しかし、100歳以上の行方不明者の記事には、本当に驚きました。
昨日から大学が始まり、公式に夏も終わりを告げました。今年の夏は、人生の中でも、ベスト10に入るかも。友人、家族との楽しい時間、自分自身の充実した時間。ロサンゼルスにいた時も、旅に出ていた時も、良い思い出が沢山詰まっています。問題解決に追われた夏もあれば、何だか落ち込んでぼーっとしているうちに過ぎた夏もあります。特に去年の夏は、大苦難が立ちはだかり、眠れぬ夜続き。疲労感ばかりが残った、夏でした。今年の夏は、自分自身だけでなく、周囲の人間関係でもほとんど問題がなく、健康で、正真正銘のベスト10入り。 毎年長い夏休みを終え、大学に戻るのに、少しヨッコラショっとなるのですが、生徒達を教え始めると、体の中にエネルギーが充満。今年もやるぞ!と言う気持ちになります。秋からのコンサートシーズンもそろそろ幕開け。中米コンサートツアーも3週間程で、出発。何時もの暮らしが、待っています。今年も音楽を通して、聞いて下さるお客様と、一体感が持てれば良いなあ、と深く願っています。以前録音したCDに「ピアノの為の詩」というタイトルのものがあるのですが、正にその気持ち。ピアノを介して、お客様に今の気持ちを伝え、物語を紡いで行きたいですね。
My school, Occidental College, started yesterday. Officially summer is over. This summer was very productive, and I had a lot of fun with friends and family. I think it was one of the best summers in the recent years. The last summer was one of the worst ones, struggling personal issues and having many nights […]
ロサンゼルスに引っ越して来てから、約10年。多くの方々に出会い、色々な人達と仕事をこなし、様々な集まりに参加して、新しい出会いを沢山経験して来ました。いつも思うのは、一人々皆顔が違うように、歩んで来た道も、家族の構成も、仕事の内容も、感情の表現も、食べ物の趣味も、もうすべてに置いて違うと言う事です。特にアメリカは、人種のるつぼ。「人と違う」事が当たり前の社会です。しかし、人間関係の芯は、万国共通。他人を思いやる心。大事に思う事。誰もがとても愛おしい存在です。人間というのは、「人の間」と書きますが、言い得て妙。人間というのは、「人の間」、時間は、「時の間」。この「間」という漢字、とてもよく日本社会を表していると思いませんか。そして、トコトン翻訳が難しい言葉です。西洋社会には、余りないコンセプトだからでしょうね。
日本の夏と言えば、「蚊」なくして語れないのですが、私の住むロサンゼルスの家には蚊が全然いないんです。標高が少しあるという事もありますが、空気が乾いているからではと、思っています。虫さされになると、水膨れが出来る私としては、本当に嬉しいで事す。そして、夏の暑さの性格も全然違うんですね。日中暑くなっても、陽が落ちると、急に涼しくなって、風が心地良い。窓を開けて、すーっと風が頬を撫でるのを感じたり。だから、ロサンゼルスの人達は、屋外でご飯を食べて、おしゃべりしながらゆっくりするのが大好きです。日本の暑さのニュースも伝わってくるので、申し訳ないみたいです。
I couldn’t miss this wonderful opportunity to hear Fleisher, especially Ravel: Concerto for Left Hand! I went to a dress rehearsal at Hollywood Bowl last Tuesday. I did not know that anyone can listen the dress rehearsal of LA Phil on Tuesdays and Thursdays at Hollywood Bowl. It is a fantastic opportunity to hear great […]
早いもので、もう8月半ばですね。流石にロサンゼルスも、ここ数日「爽やかな風が吹く快適な夏」ばかりではありません。特に昨日と今日は大変暑く、家でクーラー漬けです。 この「ジニーおばあちゃん」というのは、我が家の斜向かいに住んでいて、数年前に亡くなった女性です。ご近所に引越して来てから、道で会えば挨拶したり、世間話をしたり。特に親しくしていた訳ではないけれど、クリスマスに小さなプレゼントを交換したりしていました。そして、私のピアノの練習を、喜んで聞いていたようです。亡くなる少し前に、突然我が家に来て、「旦那は花をプレゼントするかい?」と聞くので、「たまには」と答えたところ、素敵な花瓶をプレゼントしてくれたのです。生前の遺品分けということでしょうか。体の調子が悪そうなのは気が付いていたけれど、亡くなるほど悪いとは知らず、急報が届いた時は本当にびっくり。ご家族の話だと、病院に入ってからは食べるのを拒み、自分で自分の死の準備をしたようなのです。凄まじい自己抑制と言うのか、強さと言うのか。又、一人暮らしで、荷物の整理なども、少しづつ準備していたらしいのです。誰にでもいつかは訪れる死の瞬間。彼女のように、きちんと準備出来るのだろうかと、考え込みました。 それ以来、大きな花束を飾る時は、このジニーおばあちゃんの花瓶の登場となります、彼女の思い出と一緒に。