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少し前に、知人の17歳の息子さんの話を書いた。彼は、ALS (筋萎縮性側索硬化症・きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)と闘っている。この病気は、重篤な筋肉の収縮と筋力低下をおこす、きわめて進行の早い病いで、残念ながら、治療法は確立されていない。彼のように若年で発症するケースは大変まれで、通常発症から3-5年で呼吸器官の麻痺に至るところだが、2ヶ月前に緊急入院して症状はかなり進んでいる。そして最近の彼の様子を聞いた全く同じ日に、99歳のお誕生日を祝う会があった。こちらは、99歳の現在も、馬に乗り、毎日を元気に送っている男性である。かくしゃくとしている。老いていく見本のような人物である。人生は平等でない、と言ってしまうのは、簡単だ。そのどちらも、尊い大事な命なのだ。そして、どちらにも、生きて来た沢山の物語がある。この17歳の息子さんのお宅、一階に引越し、人工呼吸器なども備え、息子さんが病院から帰れる方向で準備している。この息子さん、とても強いのである。ご両親は涙していても、本人は毅然としているのだ。残り少なくなってきた人生、家族に囲まれ(弟と妹がいる)、友人達に囲まれ、静かにそして平和な日々である事を祈るぐらいしか、私達には出来ない。
It has been more than 4 months since the devastating earthquake happened in Japan. It has been a very slow recovery and it will take for many many more years. 4 pianos have been donated to one of the school districts in Iwate prefecture. One of the small cities in Iwate is Ohtsuchi-machi, and I will […]
I did not know about this project at all. Nim is giving us many important questions in human’s life. Nim was a chimpanzee who was separated from his mom when he was 2 weeks old for human’s egoistic experiment. He made human friends in his way to grow as a part of human’s life, he lived […]
素晴らしい取り組みが沢山見られた、名古屋場所であった。魁皇の記録更新と引退、日馬富士の快挙、若手の台頭、など、場面場面で見せ場を作ってくれた。琴奨菊は残念であったが、手応えを離さず、是非来場所に繋げて欲しい。高見盛は、一挙に坂を転げ墜ちるような陥落ぶりで、見ていても、情けないというか、同情するというか、つまり、がっかりである。ここ数年、お決まりのガッツポーズと勝負後に下がっていく時のユーモラスな仕草で人気を引っ張って来たが、この辺でそろそろ次世代にバトンタッチかも。私の大好きな栃乃洋は、年齢的には多分最高齢の一人だが、一時の粘りはなくなったものの、相撲の勢いがあって、とても良かった。若の里も踏ん張りを見せた。時天空は、今や持ち味として評される足技を多く繰り出し、勝ちを伸ばした。しかし、私は足技の連発は好きではない。何だか、相撲気がないのである。相撲風情に欠けるのである。豊真将、豊ノ島の元気も、場所のハイライトであった。白鵬の8連覇はなくなったが、それに勝る様々なプラス要因があり、9月場所への期待を大きく膨らませてくれる。そして最後になるが、皆の注目、隆の山の活躍も、今後の大きな楽しみになった。久しぶりの相撲中継に、胸躍らせた15日間であった。
快進撃を続ける琴奨菊関。魁皇関と出身地を共有するという事で、プレッシャーも大きいと思う。笑顔がとても親しみやすい琴奨菊関が、ここ数日ちょっと違う。土俵下で待っている時など、何か深い思いの中にいるようだ。ただし、勝った後に通路を下がっていくときに、ちらっと「普段」が出て、いつもの微笑みが見られると、こちらもテレビ越しに微笑み返してしまう。筋肉も一回り大きくなって、得意のがぶり寄りも益々冴える今日このごろ。もちろん大きな期待のかかった場所ということもあるが、一番一番自分の思う相撲が出来れば、それが大関への道に繋がると思う。太平洋を超えたところにも、相撲ファンが大声援を送っています。後3日、自分の相撲を取り切って下さい。ちなみに、地元後援会の方々が、勝負に勝つ度に花火を上げるということのようだが(自分より下位に勝てば一発、上位に勝てば2発)、大関昇進した暁には、世紀の一大花火大会になることは、まず間違いない。
魁皇関が、引退を発表。ついに、この日が来たかと、いう万感の思いである。本当に長い年月であった。最多の勝ち星記録を更新して、もうすべてやり尽くしたという、お気持ちであろうか。同僚、後輩の力士達が次々に引退していく中、ケガ・故障をおして場所を引っ張って来たのは、偉業という他ない。精神力と相撲への深い想いからであろう。もう一度福岡に帰りたかったであろうが、もう十分にやった。十分過ぎるくらい、貢献してくれた、本当に素晴らしい力士人生であった。優しい人柄でも知られているが、土俵に立つと、相手方の力士に猛烈な圧迫をかけるオーラがあった。そして怪力である。170キロの巨漢で長く相撲を取ったのは、はっきり奇跡である。今場所の千秋楽に39歳になる魁皇。しばらくは、長年のプレッシャーを忘れ、存分にゆっくりして頂きたい。そして、新たに相撲協会の一角となり、後進の指導、次世代の相撲への貢献、そして解説者として、テレビでお目にかかる日を楽しみにしている。本当に、本当に、ありがとうございました。
名古屋場所が開催されている。大相撲はスキャンダル続きの、再々出発で、もちろん、非常に複雑な状況である事は、間違いない。しかし、皆がんばっているし、連日面白い相撲が沢山見られるのは、一相撲ファンとして、ほっとするし、心より嬉しい。昨日、9日目の相撲放送の向う正面の解説が、北川親方で、驚きの、といったら大変失礼なのだが、その解説、分析の面白さに、「ああ、相撲ってこういうことなんだ。」と、とても納得のいくお話しで、終始大変面白かった。刈屋アナと舞の海さんも、北川親方のよどみのないお話に、心底納得している様子であった。あの、舞の海さんのお話しが、北川親方のお話しの後だと、何だか面白味がなく、自分でも驚いてしまった。現役時代の北勝力関を覚えていらっしゃる方も大勢いると思うが、押し一本の力士で、どちらかと言うと表情のない、つかみどころのない力士という印象であったかと、思う。そして、北の富士さんの、目の仇であった!もう、北の富士さんは、北勝力関をぼろくそに言うのを、趣味にしていたと、言っても過言ではない。 北川親方は、どの力士についてもとても前向きな解説で、特に同部屋の隠岐の海関については、その深い愛情から来るコメントに、思わず涙しそうになってしまった。又、白鵬の強さについての説明でも、いくつもの技を同時に繰り出すというお話しには、思わず納得。北川親方は、相撲界の大危機に現れた、救世主である。北川親方、ありがとうございます。そして、一日でも早く、又お話が聞きたいです。そして今後の弟子育成、相撲協会への貢献に、心より期待しています。
I went to the preview of “Tabloid” at Laemmle Playhouse 7. Huh— it is an interesting documentary film by Errol Morris. It is no doubt that Joyce Mckinney is the center of fascination in this film. Besides McKinney, there are several tabloids people, a pilot and a Mormon youth man who are interviewed around the famous abduction story (she […]
電話帳の事を書いたついでに、写真アルバムについても一言。10年くらい前までは、旅行や大事なイベントなどの後に、写真をまとめアルバムを作るというのは、一つの区切りであり、思い出作りの1ページであった。デジカメになってから、私はアルバムを作るのを止めた。そして、コンピューターの中できちんと整理して、何かの時には、そこから見るようにし、人にもそこからお見せしたりするようになった。スライド・ショーの機能を使えば、ランダムに見る事が出来、大勢の人が集まるときなど、皆がチョコチョコ見ることができ、結構楽しいものである。これも、まさにエコであり、生活の簡略化である。写真アルバムというのも、場所を取る割りに、日々の生活に余り(というか、ほとんど)活用されないものだ。「思い出」というのは本人にとってはとても大事なものだけど、他の人にとってはどうでも良い場合がほとんど。子供や家族だって、その時は「わあ・・!」などと言って見てくれるけれど、それじゃあ、死んだ後にどさっと残されたって、捨てるに捨てられず、迷惑になりかねない。という訳で、昨年から時間のある時に、昔の写真をスキャナーでコンピューターに取り込み、整理している。とても良いものだ。まず、ずっと見ていなかった写真を見るチャンスになり、そこから「思い出」確認、そしてコンピューター内で整理。まだ、すべての昔の写真を処分する勇気はないけれど、その内にスキャンが終了したら「えい!」と、さよならの儀式をするつもり。電話帳は新しいのが来たら古いのと交換するが、写真は増え続けるので、私はこのやり方にとっても満足している。皆さんのご意見は?
今朝、新しい電話帳が配達されたのを機に、いったいいつ電話帳を開けたかなあ・・と。携帯にナビシステムまで付き、何かを調べるにも、ほとんどコンピューターの時代に、まさに、反エコ(この分厚い電話帳を作るために、一体どれだけの木が必要か??)の電話帳である。もちろん、中にはコンピューターを生活に導入していない世代もある訳で、不要の長物とは思わないけれど、少なくとも、今後は必要世帯だけに配るべき!と、強く思った。という訳で、今迄貯め込んでいた日本国内の電話帳やら、ロサンゼルス郊外のもの、もしくは、ロサンゼルスの日本版電話帳など、すべてリサイクルに廻した。全部で10冊近くあったので、結構な重量。日本は、もっと携帯王国なので、電話帳の存在はどうなっているのかなあ。家屋がコンパクトで、収納スペースが極端に限られている日本では、もうとっくになくなっているのかも。電話帳が消えた約4-50センチのすきま、時代の変化を物語っています。