Japanese Blog (日本語のブログ)

名古屋場所も、終盤に。 7/21/10 July 21, 2010

場所の始まりは、一体どう反応したら良いのか、でしたが、次第に盛り上がり、「大入り」も出ている今日この頃です、相撲ムードが、上がって来ましたね。いつもとは雰囲気が違えど、戦っているいる力士達の気持ちは同じ。問題は問題として、こちらも相撲中継中は観戦に集中するようにしています。今場所も白鵬の優勝が見えて来たようですが、平幕力士の活躍もあり、賭博問題場所、正念場を乗り切ったようですね。今後は、世間から隔離された相撲界ではなく、外部からの意見・見解にも耳を傾け、立派な力士達を育てていって欲しいものです。「臭いものには蓋」では決してなく、今後再び問題を起こさない体制を作って頂きたいです。千秋楽まで、楽しみに観戦させてもらいます。

名古屋場所始まる  7/14/10 July 14, 2010

大騒動の中での場所開幕。観戦する我々も、複雑な心境です。親方達もどうして良いのか、本当の所分からないのでは。長年の相撲ファンの私も、どういうスタンスで相撲放送を見てよいのか、気持ちが揺れています。しかし、真摯な気持ちで相撲と取り組んでいる力士達の事を思うと、胸が痛みます。旅から昨日帰宅して、再放送を見ましたが、全体が淋しくて、活気がなくて・・・暗ーい。爽快感が全くなし。灰色の土俵です。早く生まれ変わって欲しい。素直に、声援を送りたい。力士達には、とにかく真っ直ぐな気持ちで、土俵に望んで欲しいの、一言です。誤魔化しをせず、小手先の解決に走らず、長い目で相撲の将来に向かって行って欲しいです。そして責任のなすり合いや、お互いを責めたりしないように。相撲は、国技。相撲協会だけのものでは、決してないんです。

モハビ砂漠、自然の前で慄く 7/10/10 July 14, 2010

先日のヨセミテ国立公園の帰りに、モハビ砂漠をドライブして帰宅しました。夜も遅くなり、次第に最後の夕陽も消え、全くの闇になっていく。広大な砂漠の中で、果てしない闇の中に投げ込まれました。走っている車もほとんどなく、人の気配ゼロ。砂漠の両端に山脈が走り、その真ん中をただひたすら車で走っていく。闇は何処までも静かで、何も語りかけて来ない。時々、耳長ウサギや砂漠鼠が、音もなく道を横切って行く。都会暮らしに馴れた感覚には、意味もなく恐ろしく感じた数時間です。人間がいないのだから、何も恐れるものは無いはずなのに。目で見る事の出来ない、手で触れる事の出来ない闇に、ただ慄く。そして、思い出したように、闇の中にぽつりと灯りが見えると、それはカウボーイの家。広大な自然の中で、すべてから開放された自由な暮らし。空は満天の星空。そして、孤独。

ヨセミテ国立公園 7/1/10 July 1, 2010

アメリカは、多くの素晴らしい国立公園で有名で、カリフォルニアの中にも、いろいろと点在しています。今年の夏は、ヨセミテ国立公園に数日行って来ました。今までにも、折をみて様々な国立公園を訪れましたが、ヨセミテは、まさに自然の作り出した壮大で美しい公園。沢山の人が力を尽くし保存し、そして多くの観光客が、感動を共有してきた場所です。 ヨセミテは、ロサンゼルスから車で5-6時間、サンフランシスコから4-5時間のドライブです。州内の観光客も多いのですが、国際色豊かで、滞在中沢山の言語を聞きました。高名な写真家、アンセル・アダムスの美しい写真でも有名ですね。ダイナミックでかつ繊細な景色、どこまでも続く森林、標高差が生み出す素晴らしい景観、雪解け水が生み出す豪快な滝と川。どこを切り取っても、美しい絵になります。人が入れる場所を制限し、計画的な野焼きで、自然のサイクルをコントロール。国立公園の、徹底的な自然保護の姿勢が、毅然とあります。ゆっくりと自然を堪能、リフレッシュした、国立公園でのひと時でした。

ダラス市でのトランペット音楽祭 6/24/10 June 24, 2010

カンザス州の音楽祭に続き、現在テキサス州で行われている、トランペットの音楽祭に来ています。音楽教育に素晴らしいビジョンを持った、トウルー氏が始めたもので、今年で6年目。私は、昨年に続き2年目の参加です。次世代の学生達への音楽教育に重きを置き、昼間は公開レッスン、セミナー、アンサンブル、レッスンなど。そして夜は、毎晩コンサートが開かれます。昨夜のコンサートは、インデイアナ大学教授のターテル教授の演奏で、その素晴らしさに感動。トランペットが歌い、表現し、泣き、そして速いパッセージも何なくこなし、その腕のすごさに感服でした。そしてその素晴らしい演奏を、生徒達が口をあんぐりと開けて食い入る様に、又感動。生徒達共一緒に数曲演奏し、楽しいアンサンブルも披露。皆、「すごい先生だ!」と異口同音でした。コンサートの前の、ほんのちょっとした時間に、生徒達を指導しただけで、あそこまでのアンサンブルとは。こうして、音楽が次世代に受け継がれて行くんですね。最高の夜でした。 今晩は、ロサンゼルスのスタジオ・ミュージッシャンのジョンとのコンサート。ピアノの出番が多い曲もあるし、これから準備します。明日、ロサンゼルスに帰宅し、次の日にヨセミテ国立公園に出発。数日間、自然の中に身を任せます。皆様も素晴らしい夏をお過ごし下さいね。

大相撲の周辺  6/17/10 June 17, 2010

今回の賭博疑惑に、私はただただ呆然としています。そして、賭博に関係のない力士達が可哀相でしょうがない。麻薬や暴行事件があり、相撲協会が襟を正して、という矢先のこの事件。一連の疑惑が、すべて麻薬問題の前に終結していて、それが今回時間を経て露呈というのならまだしも、ずっと続いていたというのは、一体何のか。私には、賭博に関わった力士達の心の内が、全く読めません。今回の問題は、大相撲の体質、長年に亘って内輪で継承されて来た特有の習慣などが、一気に噴出したという事なのでしょうか。それにしても、本当に相撲ファンを何と思っていることか。ちびっ子相撲の子供達を何と思っているのか。懸賞を出しているスポンサーを何と思っているのか。後援会の方達を何と思っているのか。思い上がりも、良い加減にして欲しいです。どういう形で、我々に答えを出してくるのか、今後の相撲協会の出方を待ちたいと思います。

カンザス州のサウンド・エンカウンター音楽祭で  6/17/10 June 17, 2010

今年で11年目の参加となるこの音楽祭、毎年とても有意義な10日間を過ごしています。カンザス州は音楽祭にある州で、バーベキュー、竜巻、オズの魔法使いなどで、日本でも有名ですね。学生達や他の先生達と過ごす10日間は、「音楽を一緒にやる」という目的で皆が集い、忙しいですが、とても有意義な時間です。昼間は、種々のレッスン、オーケストラのリハーサル、クラス、個人練習など、時間割がきちんと決まっています。そして、夕食後は、ほぼ毎日コンサート。先生のコンサートあり、生徒の室内楽コンサートありです。参加する学生達も、事務局の方々も、気持ちの良い人ばかりで、とても過ごしやすい。総監督のルイス先生が、とにかく人望が篤く、私も大きく尊敬しています。素晴らしい女性ですよ。明日が最終日で、生徒達ともお別れ。又、来年の夏まで!私はこの音楽祭の後、一旦ロサンゼルスに帰って、数日後ダラスでトランペット奏者と演奏する事になっています。

バッハと生涯を共にする   6/3/10 June 3, 2010

今週の土曜日にあるオーケストラとのコンサートのために、バッハの二短調のピアノ協奏曲を練習しています。本当に美しくて、奥深い。毎日楽譜に向かうと新しい発見があるし、練習している間とても充実感に満たされます。そして、ピアノを始めてから今までの長い道のりが、バッハの様々な曲と共に、蘇って来ました。 子供の時にピアノのお稽古を始めてしばらくすると、バッハが妻のアンナ・マグダレーナの為に書いた、メヌエットなどの耳慣れた小曲を弾き始めますね。そして、それが終わると、インベンション。15曲ありますが、私の場合はここで、バッハの曲をどうやって分析するのかを、当時の先生に教わりました。昔使った楽譜は、いろいろな色鉛筆で、落書きと一緒に子供ながらに分析した跡があります。この2声部のインベンションの勉強の間に、片手づつ暗譜する大事さも先生に教わり、全曲片手、両手で暗譜しました。とても良い基礎がここで出来たと思います。先生の親心は強し。15曲終わった段階で、もう一度すべてのインベンションを練習する事に。そしていよいよ3声部のシンフォニアに進級。これも15曲あり、同じように一曲づつ丁寧に練習して行ったのを覚えています。それが終わると、フランス組曲、イギリス組曲などから、数曲練習し、いよいよ平均律へ。これは、とても大きなステップですね。平均律は2冊あり、それぞれに24曲入っており、一曲がプレリュードとフーガから構成。ここで、幼少から培って来た、バッハの分析力が試されます。平均律のフーガには、4声、5声もあり、インベンションやシンフォニアとは比べ物にならないくらい、複雑です。もちろん、色鉛筆でちょこちょこと分析するのではとても追い付かない、圧倒的な構築性に感動する訳です。こうやって、幼少時に始めたバッハの勉強が、音高、音大に入る頃には、平均律に到着する、とても長い音楽の旅です。そして、ここまで来たバッハとの旅が、実はほんの入り口であったことに、直ぐに気が付くのです。 こうして現在練習している協奏曲に、辿り着いた今。それぞれの声部の扱い方や歌わせ方、バッハ独特の音質やタッチ、暗譜など、すべて昔勉強した事の続きにある事を納得。大きく言えば、バッハはすべての音楽の原点、そしてすべての音楽家の原点です。

ピアノ共演者としての音楽家人生  5/27/10 May 27, 2010

現在までに、本当に沢山の音楽家の方達と共演をして来ました。今までは、こうして他の楽器と演奏するピアニストの事をまとめて、「ピアノ伴奏者」と呼んでいました。しかし、近年は「ピアノ共演者」(コラボレーティブ・ピアニスト)と呼び、「一緒に共演する」という役割を重んじるようになったのです。とても嬉しい事ですね。音楽を一緒に演奏するのに、上下関係ではなく、対等の共演という呼称です。現在では、様々な音楽大学や音楽院で、ピアノ共演者学科というものを設置していて、沢山の生徒達がそこで研鑽を積んでいます。 私のピアノ共演者人生は、東京の音楽高校時代に始まりました。私の通っていた音高は、東京都立芸術高校といって、一学年に美術科と音楽科が1クラスづつ。全校で6クラスという、とてもこじんまりした学校でした。私の音楽科のクラスメートは、沢山のピアノの生徒と、バイオリンと歌の生徒が幾人かづつ、ホルンの生徒が一人、将来の音楽学専攻の生徒も幾人か。そういった環境ですから、その中の誰かと一緒に音楽を弾く、というのはとても自然な事でした。又、高校時代のユニークな経験としては、「詩の朗読」に併せてピアノを弾くというもの。感じたままに弾いてくれれば良い、というお話しで、即興で雰囲気に合わせて、弾いていました。 その後桐朋学園に進み、ピアノ科専攻に。沢山の素晴らしい音楽家仲間と出逢って、ピアノのソロ曲だけではなく、様々な音楽を弾く事が出来たのは、本当に楽しかったです。特にこの時期、フルートや金菅楽器の人達と演奏をしていました。そんな中、私のピアノ教授は、私がピアノのソロ以外に時間を割くことに、良い顔をしていませんでした。教授としてみれば当然の事ですが、やはり私自身楽しくて、いろいろと機会を増やしていったのも事実。自画自賛になってしまいますが、私、初見が出来るので、新しい曲を弾くのは、そんなに大変ではないのです。その後「指揮伴」と呼ばれていた、指揮科のレッスンで、オーケストラのスコアを見ながら弾く事も始めました。これは後に、とても良い経験になったと思います。何せ、ピアニストとしては演奏出来ない、ベートーベンやブラームスの交響曲を勉強出来たんですから。そして小澤征爾先生のクラスで弾くのは、本当に素晴らしい経験になりました。 渡米後、ヒューストンで大学院・博士課程で勉強している間に、音楽高校での仕事を頂き、この仕事で私はH1ビザという、アメリカで仕事が出来るビザをもらう事が出来ました。この学校での私の仕事は、多岐に渡り、コーラスの伴奏と、声楽科や器楽科の生徒達の演奏会、公開レッスンなどで一緒に弾く事。この学校での8年間、ブロードウエイ・スタイルやジャズ風、ドイツ、フランス、イタリア歌曲、そしてアメリカの歌など、本当に沢山の声楽曲を演奏する機会に恵まれました。そして、このヒューストン時代には、オーケストラ奏者の方々やプロの歌手の方達とも、室内楽を演奏する機会を頂き、更にレパートリーを増やす事に。飛躍の時となりました。 2000年にロサンゼルスに居を移し、最初にコラボしたのが、金管楽器の方。それがキッカケとなって、次々に金管楽器の方達から共演依頼が来るようになりました。今年は、今までに既に8人の金管楽器の方達と共演させて頂きました。この春は、フルートの演奏会でも2回共演。その中で弾いた一曲が、フランスの作曲家・ドウテイーユの「フルートとピアノの為のソナチネ」というもので、この曲は何と私が桐朋学園時代に愛して止まなかった曲なんです。何十年の時を経て、私の元に帰って来た気分で、思わず大学時代の事を思い出してしまいました。一回演奏した音楽は、頭のどこかの抽斗に思い出と一緒に入っていて、こうして再び蘇るんですね。そして、私の夫がチェロ奏者なのもあって、チェロ曲は一通り演奏して来ましたので、その関係で他のチェロ奏者の方から共演を頼まれる事もしばしば。最後に、室内楽全般について。主なピアノ三重奏、四重奏は一通り演奏して来ました、ベートーベン、ブラームス、シューマン、メンデルスゾーンといった巨匠が書いた素晴らしい曲たちです。 もちろん、桐朋学園のピアノ教授のお言葉通りに、ソロに徹していれば良かったのだろうけれど(この春、それでも3回ピアノソロ演奏会弾きましたけれど)、私の音楽人生、沢山の素晴らしい音楽家達との出会いと、素晴らしい室内楽を演奏する機会に恵まれ、リハーサルで冗談を言い合った経験。これは、何にも代え難い事です。そして、忘れてならないのが、共演者である事を選んだ事で、演奏で生活が出来たんです。これから先、どのような共演の機会があるか分かりませんが、一回一回を大事に演奏して行きたいと、心底思っています。ピアノ共演者の道、楽しいですよ。

ショパン・シューマン生誕200年記念コンサート  5/24/10 May 27, 2010

今年はショパンとシューマンの生誕200年にあたり、各都市で様々な記念コンサートが行われていますが、私もチェロとピアノの2重奏で3回演奏会を行いました。二人の作曲家が、チェロとピアノの為に書いた曲を集めると、とても良い長さのコンサートプログラムが出来るんです。ショパンの「序奏と華麗なるポロネーズ」と「チェロソナタ」、シューマンの「アダージヨとアレグロ」、「民謡風の5つの小品」、そして「幻想小曲集 Op. 73」。この5曲で、素晴らしいコンサートが出来ます。どの曲も長年に亘り演奏して来ていますが、毎回新しい発見、そして新しい試み、新しい指使いなどで、新鮮に向き合うことが出来ます。個人的にも彼らの音楽に心頭しているので、兎に角弾いていてとても楽しいです。 ショパンの「序奏と華麗なるポロネーズ」は、彼がパリに行く前の20歳頃の作品で、「チェロソナタ」は晩年のもの。という訳で、2つの全く異なったショパンの顔が覗えます。皆様もご存知の様に、ショパンはピアノの作曲家。彼の作品は、ほとんどがピアノ曲です。しかし、少しだけあるピアノ曲以外の作品には、すべてにチェロが入っているんですよ。ショパンのチェロへの想いが、強く感じられますね。ところで皆様、ショパンの手をご覧になった事がありますか。私は、亡くなった後に型を取って作った「ショパンの手」を見たことがありますが、驚くほどに小さい手をしていたことが分かります。上記の「チェロソナタ」、「序奏と華麗なるポロネーズ」を含め、ショパンのピアノ曲はテクニック的に難解なものも多いですが、ショパンの手で弾けるように作曲されているので、正しい練習を積んで指使いなどを工夫すれば、どんな手の人にも必ず弾けるはずなのです。そこが、リストやラフマニノフと違うところ。そして、ショパンの曲を正しく練習して自分のものにすれば、確実にピアノのテクニックが上がります。 シューマンの上記3曲は、詩的で、深い音楽性に富んでいます。チェロとピアノが微妙な掛け合いと会話で、時には激しくそして優しく、又、戯けたりと、これも弾いていてとても楽しいんですね。ですから、2人の奏者の息が合わないと、音楽が自然に流れないとも言えます。テクニック的には、ショパンの2曲程難解ではありませんが、音色やフレーズの組み立て方、詩情、物語性など、表現するべくものが、沢山あります。作曲家の意を汲み、彼らの感じていたであろう音楽性を表現していけたらと、願っています。