Japanese Blog (日本語のブログ)

大相撲、9月場所始まる 9/12/10 September 12, 2010

山のようにある問題を解決しながらの、今場所。NHKも生放送を再開。お会いしたこともないお相撲さん達ですが、何だか「お久し振り」という感じで、初日を観戦しました。元気で、見応えのある取り組みが多かったのが、とても嬉しい!お馴染みの北の富士さん、舞の海さん、そして藤井アナのお顔とお声も、長年の相撲ファンとしては心強く、「ご無沙汰していました」と言いそうに。これからの14日間、初日に劣らぬよう、手に汗握る取り組みを期待しています。それにしても、力士の皆さん、張り切っていて、良いエネルギーが充満していますね。海を越えたロサンゼルスから、大声で応援しています。

「長寿国」という仮面をかぶって  9/5/10 September 5, 2010

今日9月5日付けのこちらの新聞ロサンゼルス・タイムスに、日本で現在大問題になっている、100歳以上の行方不明者の方々の記事が大きく載っていました。行方不明者の数の多さも然ることながら、行方不明になっている年月の長さにも、驚かされました。どうやったら、何十年もの間、誰にも知れず、行方不明になる事が出来たのでしょうか。日本の誇る戸籍システム、住民登録、市民目線のお役所仕事、町会・隣組を通じてのご近所付き合い、そして家族の絆は、何処へ行ってしまったのでしょうか。年金搾取をしていた家族にしても、どうやってそんなに長い間、隠しきれたのでしょうか。 都市部での孤独死や孤独な暮らし、又あふれる若い層の引きこもり問題が取り沙汰される中、5年以内には、65歳以上が日本の人口の4分の1を占めると言われている今。これからの日本人の暮らしは、何処に向かって行くのでしょうか。そして政治が根本のところで「軸ずれ」している昨今、舵取りの根本にも疑問が生じます。高度成長期の素晴らしい躍進、そしてバブルがはじけた90年代初期、そして長年続いている経済の低迷。戦後の日本の復興から、現在に至る65年の間に生じた国としてのストレス、「臭いものには蓋」的風潮。マイナス要因が少しづつ膿の様に出て来ているのかも知れません。それとも、問題を直視しないで済ませて来た、ツケでしょうか。素晴らしいところが沢山ある、我々の愛する日本。ここいら辺で、物事をきちんと見据えて、本質に迫る解決を見出して欲しいものです。日本人の最長点である協調性を活かしつつ、物事に阿ず、世代を超えて刺激し合い、助け合い、暮らしを支え合う。昔の縁側で下駄をブラブラさせながら、蚊取り線香に炙られ、祖父母と語り合ったような暮らし。知恵を継承し、無駄に世間様を恐れず、軸のブレない生き様。日本人には日本人の身の丈に合った暮らし、長い歴史の中で培ってきた原理、そして誇りがあるはず。もちろん時代と共に、暮らしの様は変化、それに柔軟に対応する姿勢も大事ですが、芯のある人生指針を持ちたいものです。しかし、100歳以上の行方不明者の記事には、本当に驚きました。

今年の夏も終わり。9/2/10 September 2, 2010

昨日から大学が始まり、公式に夏も終わりを告げました。今年の夏は、人生の中でも、ベスト10に入るかも。友人、家族との楽しい時間、自分自身の充実した時間。ロサンゼルスにいた時も、旅に出ていた時も、良い思い出が沢山詰まっています。問題解決に追われた夏もあれば、何だか落ち込んでぼーっとしているうちに過ぎた夏もあります。特に去年の夏は、大苦難が立ちはだかり、眠れぬ夜続き。疲労感ばかりが残った、夏でした。今年の夏は、自分自身だけでなく、周囲の人間関係でもほとんど問題がなく、健康で、正真正銘のベスト10入り。 毎年長い夏休みを終え、大学に戻るのに、少しヨッコラショっとなるのですが、生徒達を教え始めると、体の中にエネルギーが充満。今年もやるぞ!と言う気持ちになります。秋からのコンサートシーズンもそろそろ幕開け。中米コンサートツアーも3週間程で、出発。何時もの暮らしが、待っています。今年も音楽を通して、聞いて下さるお客様と、一体感が持てれば良いなあ、と深く願っています。以前録音したCDに「ピアノの為の詩」というタイトルのものがあるのですが、正にその気持ち。ピアノを介して、お客様に今の気持ちを伝え、物語を紡いで行きたいですね。

「間」と言う漢字  8/22/10 August 22, 2010

ロサンゼルスに引っ越して来てから、約10年。多くの方々に出会い、色々な人達と仕事をこなし、様々な集まりに参加して、新しい出会いを沢山経験して来ました。いつも思うのは、一人々皆顔が違うように、歩んで来た道も、家族の構成も、仕事の内容も、感情の表現も、食べ物の趣味も、もうすべてに置いて違うと言う事です。特にアメリカは、人種のるつぼ。「人と違う」事が当たり前の社会です。しかし、人間関係の芯は、万国共通。他人を思いやる心。大事に思う事。誰もがとても愛おしい存在です。人間というのは、「人の間」と書きますが、言い得て妙。人間というのは、「人の間」、時間は、「時の間」。この「間」という漢字、とてもよく日本社会を表していると思いませんか。そして、トコトン翻訳が難しい言葉です。西洋社会には、余りないコンセプトだからでしょうね。

蚊のいない夏なんて、夏じゃない?   8/22/10 August 22, 2010

日本の夏と言えば、「蚊」なくして語れないのですが、私の住むロサンゼルスの家には蚊が全然いないんです。標高が少しあるという事もありますが、空気が乾いているからではと、思っています。虫さされになると、水膨れが出来る私としては、本当に嬉しいで事す。そして、夏の暑さの性格も全然違うんですね。日中暑くなっても、陽が落ちると、急に涼しくなって、風が心地良い。窓を開けて、すーっと風が頬を撫でるのを感じたり。だから、ロサンゼルスの人達は、屋外でご飯を食べて、おしゃべりしながらゆっくりするのが大好きです。日本の暑さのニュースも伝わってくるので、申し訳ないみたいです。

ジニーおばあちゃんの花瓶  8/18/10 August 18, 2010

早いもので、もう8月半ばですね。流石にロサンゼルスも、ここ数日「爽やかな風が吹く快適な夏」ばかりではありません。特に昨日と今日は大変暑く、家でクーラー漬けです。 この「ジニーおばあちゃん」というのは、我が家の斜向かいに住んでいて、数年前に亡くなった女性です。ご近所に引越して来てから、道で会えば挨拶したり、世間話をしたり。特に親しくしていた訳ではないけれど、クリスマスに小さなプレゼントを交換したりしていました。そして、私のピアノの練習を、喜んで聞いていたようです。亡くなる少し前に、突然我が家に来て、「旦那は花をプレゼントするかい?」と聞くので、「たまには」と答えたところ、素敵な花瓶をプレゼントしてくれたのです。生前の遺品分けということでしょうか。体の調子が悪そうなのは気が付いていたけれど、亡くなるほど悪いとは知らず、急報が届いた時は本当にびっくり。ご家族の話だと、病院に入ってからは食べるのを拒み、自分で自分の死の準備をしたようなのです。凄まじい自己抑制と言うのか、強さと言うのか。又、一人暮らしで、荷物の整理なども、少しづつ準備していたらしいのです。誰にでもいつかは訪れる死の瞬間。彼女のように、きちんと準備出来るのだろうかと、考え込みました。 それ以来、大きな花束を飾る時は、このジニーおばあちゃんの花瓶の登場となります、彼女の思い出と一緒に。

義母の古いスーツケースを、デコする 8/6/10 August 6, 2010

主人の家族の集まりが毎夏あるのですが、義母は皆が集まる前にクローゼットを整理して、不用品処分の良い機会にします。我々に色々持って帰ってもらいたいのです。今年の夏は、去年義父が亡くなった事もあり、凄い数の品が、フリー・オークション化。義兄が、オークションの呼びかけ人になり、一つずつ皆に分配。私も手を挙げてもらったものあり、何だか分からないうちにもらったものあり。義母の古いスーツケースは、Made in Japanという理由で、私のところに来ました。そして、私は皆に宣言。東京可愛いスタイルのデコ(ほとんどの家族が、この意味を知らないのだけど。でも、Kawaiiという言葉は、英語になっているので、ファッション通は知っているよ。)をスーツケースにして、それを持って、ハリウッドのサンセット通りを歩くんだ・・と。 という訳で、早速近くのクラフトショップを訪れ、ピカピカのものを何袋か適当に買って、接着剤と一緒に家に持ち帰りました。そして、見よう見まねでやってみたら、これが時間の経つのも忘れるほど、楽しかった。若い女の子が夢中になるはずです。今後も時間を見つけて、新しい素材と遊んでみたいと思います。という訳で、私の元に思いもかけず、最新ファッションのカバンが(自分で作っただけなんだけど、ネ)、やって来ました。    

白鵬の涙   8/3/10 August 3, 2010

連勝を伸ばし、名古屋場所での優勝を決め、重い重い責任を果たした白鵬。その彼が見せた千秋楽での涙。私はとても共感出来ました。こんな場所で連勝記録を伸ばしたことで、彼自身もとても悔しかったと思う。横綱というとてつもない大きな地位にいて、その一挙手一動が注目される中、場所前半は稽古場を見せないという異例の処置まで取られていたようです。そして、応援する人達の前に出て行くのが怖いと言っていた白鵬が、後半は逆にファンの人達の気持ちに支えられ戦ったと言います。そして、素敵な奥様と可愛い二人のお子さんがどんなにか、支えになったでしょう。本当にご苦労様。モンゴルでゆっくり休んで下さいね。そして、夏巡業で東北の方達に元気な姿を見せて下さいね。横綱は、日本の国の宝です。

映画「442」を観て   7/30/10 July 30, 2010

先週の日曜日、ロサンゼルスのリトル東京にあるの劇場で、映画監督すずきじゅんいちさんの最新作「442」を観ました。日系アメリカ兵達の第二次世界大戦中のお話しです。当時アメリカに住む日系人は、アメリカ人であるにも関わらず、対戦勃発とともに迫害を受け、財産没収、そして収容所に送還されました。その中にあって、日系人兵士達が祖国アメリカへの忠誠心を誓うのです。彼らの戦い振りを、高齢になった元兵士達へのインタビューから紡ぎ出し、編集された映画です。驚きと共に、日米戦争の狭間で生きた人々の事を知る、とても良い機会になりました。私自身、ロサンゼルスに引越して来た当初、友人もなく、リトル東京の日系2世・3世の方達に混じってブリッジをしており、その時に拝聴したお話に、重なり合うものがありました。映画に登場なさった方々の、その奇跡ともいえる幸運さの影に、沢山の方々が残念ながら亡くなった事は否めません。戦争の悲惨さを改めて考えさせられます。 最近出席したアメリカ人の方の結婚式で、弟を真珠湾攻撃で亡くされた方から、「一人きりの弟の事、どうしてくれるんだ」というお叱りの言葉を投げかけられました。第二次世界戦争は65年前に終結していますが、傷は決して消えず、月日の中には、埋れていかないんですね。そして、これは日本の中国攻略にも当てはまります。アメリカに来て間もない頃、大学院の中国人のピアニストに、「日本兵が中国人に行った残虐さを知っているか」と詰め寄られたことがあります。女性の胸を抉ったり、それはそれはひどい暴行を働いたと言われました。史実は知っていても、私にはどうしようもない事。想う事しか出来ません。戦争が齎した心の傷、民族間の傷、平和に暮らしていると忘れがちです。きちんと伝承していかなければ、なりませんね。映画のナレーションにもありましたが、過去には戻れないので、未来に向けて、我々一人一人の姿勢で示す事しか出来ません。映画は明るく終わっていますが、奇跡的に生還したけれども、心身ともに傷を追い、一生立ち直れなかった方々もいるのでは。平和な世の中に、胡座をかいてはいけないと、自戒しています。

ハリウッドボウルの夏、ピクニックを楽しむ。7/29/10 July 29, 2010

ハリウッドボウル(Hollywood Bowl)というのは、ロサンゼルスにある有名な野外劇場で、夏の期間、様々なコンサートが開かれます。今週の火曜日、友人達と一緒に、ロサンゼルス交響楽団の、ベートーベン・コンサートを聞きに行って来ました。主人が楽団内にいるので、友人達も一緒に車に乗って行って、団員用の駐車場に停めます。これが、とても便利!そしてコンサート前に、ハリウッドボウル恒例のピクニックを皆で楽しむ。その後、我々は客席へ、主人はステージへ、と言う訳です。 このピクニックというのは、コンサートの前に施設内に点在しているピクニック・テーブルで、友人達、家族とカジュアルな夕食を楽しむ時間です。皆で分担して、飲み物、サラダ、デイナー、デザートなどを持ち寄り、爽やかな屋外で、おしゃべりをしながら、ゆっくりと過ごします。私は、このピクニックをしないと、夏を過ごした気がしません。ロサンゼルスの夏の風物詩でしょうね。日本で言うと、お花見が近いかもしれません。日本が猛暑の中、申し訳ないくらいですが、ロサンゼルスの夏の夜は、とても快適です。夏でも、夜のコンサートには、上着、毛布などが必須。又、客席での持ち込み飲食もOKで、演奏を聴きながら、ワインなど静かに楽しむお客様もいらっしゃいます。