Japanese Blog (日本語のブログ)
秋から来年にかけての、バッハのゴルドベルグ変奏曲の演奏にむけて、準備のために、幾つか変奏曲を選んで、数回教会のミサで演奏しています。バッハの音楽を教会で演奏すると、300年くらい前に作曲された作品を、元のところに戻してあげたような、気分に。つまり、とても素敵な気分なんです。音楽が、自然と教会の大きな建物に溶け込んでいく感じかなあ。ステンドグラスの美しい絵を見ながら、大きなスペースに音を満たしていくのは、自分で演奏しながら、その感動に浸ってしまいますね。音楽家としてやって来て、本当に良かった。ゴルドベルグを完成させるのは、大仕事だけど、毎日楽しく練習しています。音楽家としての、大きな挑戦であり、節目、そして喜びです。
先日聞いた、B’zの松本孝弘さんの言葉が忘れられない。松本さんは、今年2月、アメリカのグラミー賞でベストポップ・インスツルメンタル・アルバムで賞を取った、偉大なギタリスト・音楽家である。その他にも、音楽界での業績は図り知れない。言い換えれば、音楽界の大物。その彼に、今日の成功に導いた秘訣を聞いたテレビ・インタビューでの言葉。一語一句まで覚えていないが、こんな風に語っていたと思う。「運が良かったとか、才能があるとか、良く言われるけど、そういう事だけではない。15歳の時にギターに出会えた事が幸せだった。そして今迄、自分に妥協せずに夢中になってやって来た事・・」そして、ある一日の光景がテレビに映し出された。リハーサルがキャンセルになった一日、松本さんはホテルの部屋に籠もって、ギターと向かい続けた。自分の納得の行くフレーズを求めて。お昼は、カップラーメンだけだった。 又、ある日、12歳の少年の話がテレビであった。この少年、とても魅力的なのである。学校にも普通に行き、いろいろな事を無難にこなしているのであるが、一旦絵筆を取るとすべてを忘れる。彼の言葉。これも概略で。「テレビゲームとか、スポーツとかおもしろいけれど、ルールがあるから、すぐにあきちゃう。でも、絵の世界にはルールがないから、自由に遊べるから好き。」と言って、深夜まで、とても幻想的で素敵な絵を描いていた。絵を描いていると、時間を忘れているようだった。 こういう人達は、本当に幸せである。だって、本当に「好きなもの」は、そのきっかけは様々でも、自分の中から湧き出るもので、人が教えたり、世間の風潮で見つけられる訳ではないから。そして、それにトコトン夢中になれる才能も、誰からも教えられないのである。
最近読んでいる本の中から。多分、日本語にもそのうち訳されるかと思いますが、これは、Elizabeth Gilbertさんの”Eat, Pray, Love”からで、古代インドのヨガの賢者の言葉だそうです。「完璧でなくても、自分の運命に沿って生きる事は、他人の人生を真似して完璧に生きる事より、深い意義がある。」良い言葉でしょ。
沢山の皆様に来て頂き、成功のうちに本日の義援金コンサートを終わることが出来ました。本当にありがとうございます。お蔭様で、約20万円ほどのお金を、日本に送ることが出来ます。フランツ・リストの生誕200年を記念して、リストの曲を中心に、すべてハンガリー人作曲家のものでプログラムを組みました。なかなか良いコンサートになったと思います。来て頂いたお客様にも喜んで頂き、演奏した私達も楽しめました。被災者の皆様、お辛い毎日だと思いますが、海外の私達も応援しています。毎日日本の窮状について、考えています。一日でも早く、今迄通リの生活に戻れるように、心より祈っています。
東日本大震災の発生から約一週間経ち、状況が好転せず、援助の手も中々届かない中、寒い地方で被災生活を送っていらっしゃる方々、原発関係で避難所生活されている方達、本当に本当に大変でいらっしゃると思います。そして、家や船などを失ったばかりか、愛する家族、友人を失い、どん底の思いでいらっしゃる方々も大勢いらして、どのようにお見舞いの言葉をかけたら良いのか、心が痛みます。アメリカの各地でも沢山の支援の声が上がり、沢山の人々が義援金を送っています。私個人としても微力ながら、所属する教会で義援金活動をしたり、4月2日の主人との演奏会で、又教えている大学でも4月半ばのコンサートで、寄付金を集める予定です。 私はTVジャパンを入れているので、随分とNHKのニュースを見ました。次から次へと流れる悲惨な映像、そして復旧が進まない現地の状況など、何も明るいニュースがない中、私はいつも人々の謙虚な、そして実直な姿勢に心打たれます。天皇陛下のお言葉にもあったように、人々が肩を寄せ合って助け合って生きている日本。その素晴らしさが出ていると思います。ですから、どうぞ被災地の方々の事を考えて、ガソリンの買占めなどなさらないで下さい。そして、政府の方々、高みから見た真実味の薄い会見は、絶対やめて下さい。会見を見ていると、心底腹が立ってきます。出来ない事は出来ない、分からない事は分からないで良いんです。真実を飾らない言葉で伝えて欲しい。そして、むやみに謝罪ばかりするのも、とても変です。時々、きちんと自分の言葉で会見に臨む方が出てくると、ほっとしますね。 被災地の方々、アメリカの友人達もみな、心を痛め、義援金集めに協力してくれています。そして、大変な思いで毎日を送っていらっしゃる皆様の事を思って、祈っています。お辛い毎日だと思いますが、どうぞ乗り切ってくださいます事、私もお祈りしています。
アメリカ人の夫が、私の両親を始めて訪ねた時だったか、2度目だったか、どちらにしても彼が、日本のサイズ状況を知らない時の事。実家の母が、我々二人を素敵なコーヒーとケーキの店に連れて行ってくれた。とってもお洒落な雰囲気の中、午後のひと時が、ゆったりとクラシック音楽とともに流れていた。磨き上げられた綺麗なショーウインドーに、どのケーキもお行儀良く並んで、見るだけでも、ウキウキしてしまう。我々の番が来て、お茶と一緒に食べるケーキを選ぶ。母が選び、私が選び、夫が選んだのを店員さんに言おうと思って、彼の指す指先を見ると、それは明らかに、一人用のケーキではない。日本では、通常4等分にして食べる円形のケーキだった。アメリカでは、もちろん一人でペロリと食べるサイズである。私は、「それは家族用だよ!」、とこっそり教えてあげたが、それ以来、私達の間では、日米のサイズの違いが、幾度となく話題になっているのである。
公平とは何か、と考え始めると、これは大変な問題に突き当たる。例えば、私は日本に生まれ、いわゆる普通のサラリーマン家庭に育った。日本が高度成長期だったので、いつも未来があったように思う。社宅暮らしは、子供の私にはとても楽しかった。贅沢はあまり出来なかったが、ピアノの月謝は払え、夏休みなどにも小さな家族旅行が出来た。冠婚葬祭以外で始めて外食をしたのは、かなり大きくなってからだと思うが、社会がそういうものであったので、不満もなかった。そして今でも思い出すが、小学校の低学年では、アイスキャンデイは特別なおやつだったと思う。でもその特別なおやつが、とても嬉しかった。日本のサラリーマン家庭に生まれたという事は、それだけで世界の状況から考えると、かなりラッキーなことになる。 カリフォルニアは、メキシコと隣り合わせという事もあって、メキシコ人の違法入居者が沢山の住んでいる。何故こういう事が起きるかと言えば、メキシコにいれば生活が出来ないからだ。そして、少しでも良い生活を家族にさせたいという思いで、命をかけて国境を超える。そうして生活を確立したアメリカにいるメキシコ人家庭には、もちろん子供達がいて、彼らの事がいつも問題になる。カリフォルニアの法律では、学校に入学する時に、国籍が何であるか、違法住居者なのかと、問わない事になっている。だから、頑張れば大学まで出られる。その上の大学院だって可能なのだ。しかし、こういう学生達が卒業後、仕事に就こうと思うと、いきなり大きなハンデイーがかかって来る。身分を証明するものがないから、仕事に就けないのだ。運転免許だって取れない。そこで、Dream Actという動きがあって、こういう人達に市民権をあげようというものだ。もちろんこれは素晴らしい動きで、頑張って来たメキシコ人の若者に大きな希望を与える。しかしここで立ち止まってみると、同じ違法入居者の中でも、恵まれない家庭の子供は高校にもいけなくて、このDream Actに入らないという事になる。親の仕事を幼い時から手伝っている子供達も大勢いる。ここで、2段階目の不公平が生じる。こうして、考えていくと、何が公平かという事に答えを出すのは、不可能な事実に気づく。人はよく、「公平な社会」という事を大声で唱えるが、これははっきり言って不可能だという事を踏まえておいた方が良い。こういう不公平の中で、何かを信じ、何かを軸に出来るものがあれば、幸せだろう。誰一人として、同じ人間はいない。自分を信じて、「世間」という訳の分からないものに飲み込まれずに、自分を大事に生きて行きたい。
練習中に若いお相撲さんが亡くなり、次は大麻。そして野球賭博問題。これらどれをとっても、大問題であったが、土俵外の出来事であった。今回発覚した、取り組みにおける八百長は、今後どのようにして、信頼回復していけるというのだろうか。名前が挙がっているのは、十両、幕内、親方など、私が長く応援して来た相撲取りばかりだ。相撲界を一掃、引き締める、などと、ここ数年取り組んできた大相撲協会、どうなっているのか。八百長は、相撲ファンに対しての、最悪の行為である。それも、かなりのお金がからみ、巧妙に、かつ軽妙に行われていたらしい。一人一人の自覚のなさ、長い間密室内で行われてきた相撲興行、どういう理由があるにしろ、頑張っているお相撲さん達が、又とばっちりを受ける。若年で入る角界なので、力士養成が難しいと聞くが、音楽の世界だって、他のスポーツだって、調理師、植木屋さんなどの職人だって、若いころから修行を積む職種は、山ほどある。甘えがあるんじゃないの?と、言いたくなる。どういう対応をするにしろ、八百長に関与した全員を、直ちに相撲界から追放して欲しい。
先日教会で、バッハのゴルドベルグ変奏曲を練習中の事。友達がやって来て、静かに座っていた。すぐには気付かず、丁度楽章が終わった時顔を上げ、周囲を見回し彼と目が合った。遠くから挨拶を交わし、彼曰く、「素晴らしい音楽を聞いて、最高の気持ちだ」と言う。それで、私も練習を続け、次にちょっと休憩をした時に、再び目が合った。彼がすっと立ち上がり、「音楽家はいつも友達といて、話をしているみたいだね」と、ピアノを指して言う。そして「美しい音楽を、一緒に奏でる事が出来る・・」とも。何だかとても感傷的と言うか、感慨深げだった。我々音楽家にとって、楽器を弾くのは日常の事で、そういう”特別”感を忘れてしまっている。改めて、3歳のときに始めたピアノで、世界の多くの国・都市に行き、コンサートを通じて、数えきれない人達に出会って来た事を思う。そして現在、愛する音楽を生活の糧にしている。改めて音楽家でいる事の意味を、深く想った午後であった。
先週知人の息子が、薬害(ドラッグ)で亡くなった。いろいろ過去に問題はあったけれど、最近は薬から手を洗っていたと、両親は思い込んでいた矢先での事故だった。量を間違えての事で、こういう事故は本当に後を絶たない。30代前半の死。親はどれほどの悲しみだろう。 数年前には、知人の妻が、大量飲酒で亡くなった。別居中だったとは言え、孤独な死だった。死ぬまでお酒を飲み続けてしまった彼女。願わくば、お酒に酔って、最後にフワフワと天国に旅立った事を願うばかりだ。西洋人は、東洋人に比べると、格段にお酒に強いので、その量はどれくらいだったのだろうか。 先日、ALSにかかった若い青年の話を書いた。彼は、今週18歳の誕生日を迎え、そして数年後に亡くなっていく運命を背負っている。それは、どんなに努力しても、どんなにお金を積んでも、その運命から逃れる事は出来ない。生きていれば辛いことも、どうしようもない日もあるけど、この青年のような運命に飲み込まれている人もいるのだ。何ともやり切れない。