Book Reviews (マイブック評)
これは又随分と、厄介な、というか、奇妙な「ラブストーリー」。じゃあ、複雑かというと、そうではなく、恋愛そのものは、いたってシンプルで、純情系。私が一番好きだったのは、遠野さん(女性)が自信のなさから、初デートの時に「自分を見ないで、目を瞑って」と徹君に言ったので、徹君の愛の深さ故、徹君の目に靄がかかってしまったところ。そして、その靄の中で、彼らは恋愛を育み、信頼関係を深めていく。二人の世界がより充実し、誰にも邪魔されない強固なものになっていく過程。そこはとても素敵だなあ、と思った。脇を固める人物達が、良いにも悪いにも生き生きしているのが、物語りに深みを与えているので、良し!但し、話の構成自体が沢山の面を持っているので(きっと作者はこうは思っていないのだろうけれど)、「恋愛」という中心のテーマに集中出来ない感が否めない。そして、大長編なので、読み進めるのにかなりの体力(!)がいる。今、徹君と遠野さん、どうしてんだろうか。
料理好きの私は、食を愛する話だと、安心する。食事は大事だ。体だけでなく、心も作る。高級料亭「吟遊」での偽装事件と、最果ての地、「尽果」にある小さな食堂「まぐだら屋」。この対照的な場所が、人間を狂わせもし、救う事も出来る。誰も、過去に傷のない人なんていないと思う。その傷を何も言わずに、暖かく治すのが、「まぐだら屋」のマリア、そして、「尽果」の人々。絶壁に建つこの小さな食堂で、死を望んで来た人々が、救われる。そこには、温かな食事と、大きな心が・・・。登場人物のネーミングも最高。キリスト教に因んだ名前を頂いたそれぞれの登場人物が、その為すべきことを密かにする。誰も大声で自分を主張しない。涙を誘う、感動の一冊だ。
この本の主人公、豆子は「正直」。大関正代関のブログにも書いたが、正代関も正直だ。豆子も結構ウジウジするが、いざとなると、正直まっしぐら、自身の結婚式だって、ぶっ壊してしまう。正代関も長年、ネガテイブでウジウジだ、と言われて来たが、やる時はやる。まだ、正代関の優勝に舞い上がっている私は、豆子の事を書こうと思っても、つい正代に気持ちが行ってしまう。ハハ・・豆子に話を戻そう。豆子は兎に角、自分で稼いで、自分の足で歩きたい。だから、お金にもメッチャ細かい。これは、仕方ないと思う。でも、そんな豆子に白馬に乗ったプリンスがやって来て(こんな事は書いていない)、いざ結婚という運びに。この結婚準備を細かいお金のやり取りを基準に、小説は進む。こんな、恋愛小説は見た事ない。豆子、結婚おめでとう。お幸せな家庭を。
山崎ナオコーラさん、いつも「何をやってくれるか」と、次作を読むのが本当に楽しみ。今回も、非常にユニークなシチュエーションです。「本屋さん」の話しらしいとなれば、本好きの我々は飛びつく。そこには、「アロワナ」という大魚が主の、町の本屋さんがある。「アロワナ書店」は、家族経営・・。と段々に、本の中に入っていく。昼田とハッコウは、血の繋がらない兄弟。大の仲良しだけど、全く正反対の性格である。昼田は、自分が真っ当な人間で、ハッコウが外れ者だと思って生きて来た。因みに、昼田、大卒、ハッコウ、高校中退。昼田、都心部の優良企業で働き、ハッコウ、「アロワナ書店」勤務。昼田、いつも綺麗な格好、ハッコウ、だらしない格好。 家族の関係が変化し、昼田は会社を辞め、「アロワナ書店」で働き始める。そこから、昼田の「人として生きる事」を考える、旅が始まる。それは、打ち砕かれることもあるが、それだけじゃあない。自分と対話しながら、昼田は学んで行く。「アロワナ書店」は幸福寺という駅にあるのだけど、これは吉祥寺が下地になってるんだろうなあ、と想像。町のサイズもそんな感じだし、ね。昨日、ロサンゼルスにある紀伊国屋に行ったけど、やっぱり店員さん達、エプロン着けてた。日本独特の習慣だけど、とても良いなあ、と思う。節度感と親近感と。そして、いつもとても丁寧に接してくれるので、こちらも優しい気持ちになれる。「アロワナ書店」も、とても良い本屋さんですよ。
東野さんのご本のファンになって、もう久しい。様々な登場人物がいたと思う。今回は、そう、大きな大きな「クスノキ」が、主人公である。この楠、普通の樹木ではない。大層不思議な力を持っている。新月と満月の夜に、「クスノキ」は我々の祈念に耳を傾けてくれる。そして、一つの家族が、長い年月受け継いで来た「クスノキ」の番人という仕事。これも、この本の大事なキイポイントだ。「番人」は、ただの守り人ではない。祈念する人々の、心の番人だ。そして、祈念に来る人は、意を決し自分に素直になって、「クスノキ」の祠に入る、そして祈念する。その祈念には、特別な蝋燭が必要で、この本を読んでいると、その芳香が身辺に漂うようだ。とてもスーパー・ステイシャスなのだが、その浮世離れ感が、逆にとても良い。テンポ感も良い。人間の方の登場人物達が、祈念という概念の中で、己の道を見つけて行く。感動の長編である。
これは、又、何と、変幻自在、無限のイマジネーション。新しい、西加奈子です。非現実の世界を描きながら、痛いほど、グングン心に届く短編集。フェチ感溢れる「私のお尻」かと思いきや、「ある風船の落下」のように、全宇宙を相手に、壮大なドラマを繰り広げる。改めて、西さんの引き出しの多さに、感服です。又、持ち前の、きっぷの良さや、潔さも、加わり、正に読み応え十分。そして、現実の山崎ナオコーラまで、登場するという、本当に何があっても不思議ではない世界観。其々大変短い8編ですが、そのどれも似て非なるかな。どうやって、編み出しているのか。未だに、ちょっとショック状態から、抜け出せない私です。インパクトの大変大きい短編集。
原田マハさんのご著書で、期待外れという事は、一回もない!というか、毎回、感動である。この「奇跡の人」は、有名なヘレン・ケラーとアン・サリバンのストーリーを、日本の明治に移し、青森県弘前でのお話しにしている。もしかしたら、「いたこ」にヒントを得たのかもしれない。「ボサマ」(津軽地方の旅芸人のこと。多くは、盲人男性で、時として女性・子供も加わり、三味線を弾きながら家々をめぐり、米や小銭を恵んでもらう)かも知れない。津軽地方では、「門付」といい、明治の貧しい時代でも、自分の食べる分を削っても「ボサマ」を助けた。その中には、大変才能のある、ミュージシャンもいたのである。そこから、明治政府における「人間国宝」「無形文化財」の設置という所に持って行き、「ボサマ」の一人、狼野キワが、それを受賞する。そして、キワと、ヘレン・ケラーの日本版、介良(けら)れんとの、友情に持っていく。介良れんは、三重苦で、それを、去場安(さりば・あん)が、強烈な意思で、教育していくのである。去場安は、決して負けない。当時の、最上流階級に属し、9歳の時に、岩倉使節団とアメリカに渡り、22歳までの13年間をアメリカで教育を受け、何不自由ない状況であったが、自身も弱視であったためか、介良れんの教育にのめり込んだ。三重苦の為か、介良れんは自分をコントール出来ずに、6歳で去場安に出会うまで、家族から動物扱いで、蔵に閉じ込められていた。とまあ、ヘレン・ケラーとアン・サリバンのストーリーが、ベースになっている事は、明らかである。しかしそこが、原田マハさんの、才能である。明治の弘前の出来事にしてしまい、それが、何の不自然さもなく、逆に、新鮮でさえある。津軽三味線の音が、どこからなく聞こえて来る、「奇跡の人」。人間の持つ、深い可能性。人間としての尊厳。物語としての抜群の面白さ。是非、読んで見て下さい。
最近、この歴史小説という分野にとても惹かれる。歴史上の大人物を題材にしている訳だから、役者に不足はなし。そこに。作家のイマジネーションが入り、「伝記」という枠から大きく離れ、独自の世界観に連れて行かれる。スパイスも熟成も、お好み次第!「屋根をかける人」は、明治にアメリカから伝道を目的として来日したW・M・ヴォーリズの、日本での一生である。一風変わった、しかも世間を少しハスに見る青年が、大事業家へと成長していく過程を、真摯に、かつエネルギー全開で、書かれている。明治の時代から、第二次世界大戦前後の動乱、復興と共に、つまり、日本の西洋化、国際化への道を、外国人(その後日本へ帰化)として、歩んだ。数多の苦難を乗り越え、成功を納めたヴォーリズ。彼は、建築家として、日本津々浦々どこまでも、声がかかれば、家、教会、社屋を建てて、建てて、建てまくった。そして、実業家として、近江兄弟社のメンタム(メンソレータム!)の輸入販路を確立し、日本にメンタムを浸透させたのである。そして華族出身の妻との二人三脚も、素晴らしい。本当に、「話しに困らない」大人物なのだ。しかし、何という事か、私はこの本を読むまで、ヴォーリズという人物のことを、全く知らなかった。門井慶喜は、ヴォーリズと昭和天皇との短い逢瀬(!)から、この感動の一冊を書いた。読み応えのある、長編である。
久しぶりの宮部みゆき。一時はまって、昼も夜も「宮部みゆき」病にかかっていたけれど・・ 90年代の作品だから、学生達の日常が、今と全く違う。コンビニに行って、ガールフレンドに電話をかけたりするし!悪い評判が立っても、それは、クラスルームの中だったり、学校だったりで、ネットの恐ろしさはないし。だけど、人間の気持ちはいつも一緒。そして、日本人特有の性格も一緒。 これは、島崎と僕の探偵物語。陰惨な殺人事件の裏に、見たくない真実が隠れている。中学一年生で、これだけ「深読み」が出来る子はまずいないと思うけれど、設定としては面白いよ。そして、ストーリーの展開が抜群!「日本的な可愛い女子」の弊害と、その「可愛さ重視」の社会を支える、男子の視点と思い。最後のメッセージは、まさに「夢にも思わない」!
いくつかの絵の周りに起こる人間模様を、重くならずに、真剣に書いている。いつも、ハッピーエンドばかりではないし、騙されることだってある。だけど、絵は嘘をつかない。国際的に活躍している女性もいれば、市役所の隅でひっそりと、業務に励む女性もいる。でも誰もが、自分の中の絵があって、その絵が心の故郷だ。帰っていける場所。私にはそういう絵はないけれど、音楽がある。