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We suddenly live in a very difficult time. The things we had before are out of reach. Worries, concerns, anxieties… But it won’t be forever. We have to live through and will go back to a better time. After dealing with so many changes and making decisions (I am still doing it), I play music. […]
私は、はっきり言って、とても感動しました。ああ、私の人生こういう事だったんだなあ、と。一言、一句が、深く深く胸に染み渡りました。とても、良い本です。一旦死んでしまった人達が生き返り、死んだ意味、生きていた意味を探り、家族との関係、自分のこと、もう沢山のことを網羅しています。一言では、言い切れません。取り敢えず、素晴らしい文章がいくつかあったので、ここに掲載させて頂きたいと思います。 ポーランド人ラデック(火事に飛び込み、老人を助けようとした復生者ー生き返った人ー)の言葉 「誰も、人間の苦悩する権利を否定することは出来ません。それは、残酷なことです。我々はいつでも、癒しを与える事を急ぎすぎ、自分の住んでいる世界を憎悪から守るのに必死で、他者の苦悩を尊重するのを忘れがちです。」「苦悩を否定された人間は、悲劇的な方法で、それを証明するように追い詰められます。多くのの場合、我々は、決して否定できない深刻な事態が生じてから、初めて彼の苦悩を知るのです。」 そして、ラデックは、在原業平の歌「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という、業平の使える惟喬親王への心配りを挙げています。ポーランド人が、日本の伊勢物語が大好きで、それを引用するところも、とても良い・・・その静けさ、奥ゆかしさが、とても共感できますね。この辺りで、本書は、ゆっくりと、最初のクレッシェンド(音が段々と大きくなること)を迎えます。そして、彼はこうも言っています。「死は傲慢に、人生を染めます。私たちは、自分の人生を彩るための様々なインク壺を持っています。丹念にいろんな色を重ねていきます。たまたま、最後に倒してしまったインク壺の色が、全部を一色に染めてしまう。そんなことは、間違っています・・・」 そして、平野さんの「分人」というコンセプトに行き着きます。これは、「個人」という言葉に対しての、新しい考え、そして生き方です。つまり、其々対応する人間関係によって、異なる自分がいて、そのどれもが真実であり、同等であるというもの。「個性というのは、だから、唯一不変の核のようなものじゃないんです」これは、精神科医であり、NPO法人の池端氏の言葉。更にラデックは、昔の人が出家という形を取る事によって、社会的な分人を消す事によって、その分人が活性化されずに、終いには自殺という行為を防いでいたのだと言います。 私は子供の頃、辛い事があると、「自分は死後の世界にいる」と思う癖がありました。今思えば、こう考える事によって、その辛い状況を悪化させずに、次の行為に走らなずに済んでいたという事でしょう。つまり、心の免疫効果。主人公の友人秋吉は、分人の話を聞いている時に「親父っていうより、親父の前におる自分が気に入らんかったといえば、そら、確かにそういう面もあったかな。」と、死んだ自分の父親と面と向かう時に、胸クソ悪かった思い出を、分析しています。まさに、真実!! 私は思います。この分人という考え方。何も、頻繁に会う人達の事だけじゃないはず。心の友でも良い。心に住む大事な人が、自分を形作るのは、素晴らしい。そう思いませんか。本書は、自分自身を分析、理解する大事なキーワードが、ここかしこに散りばめられた大長編。一気に読む本じゃあ、ありません。時間をかけて、時には伊勢物語を紐解いたり、ゴッホの絵を見たりしながら、その世界に浸る本です。是非、時間を作って読んで見てください。人生の指標となるはず。
What a witty movie it is! Casting is fantastic. Emma is young, handsome, and clever from a rich family. She has everything. She lives in a small (not a lot happening!) town and she controls people’s mind. She thinks she is above everyone and all the boys should be attracted by her. she is so […]
お馴染みの加賀恭一郎とその従兄弟の松宮修平。一人のカフェ経営者が殺されるところから、松宮の生い立ち、経営者の過去、沢山の糸が絡まり、そして徐々に解れて行く。そして、人類の出生倫理にまで、話が持ち込まれて行く。殺人事件としての捜査とは別に、個人的な問題も関与して、話はどんどん複雑に・・誰もが、何かしらの秘密を持ち、悲しみを引き摺っている。面白くて、一気に読んでしまいました!
このタイトルから、貴方なら何を想像しますか。裏切り、嘘だらけ、上辺だけ・・違いますよ。これは、義足にまつわる、つまり足を失った日に生まれた愛。かたちが生んだ愛かな?愛の始まりは、誰にも分からない。平野さんは、本の中でこう言っています。「完全な身勝手さに愛がないのと同様に、完全な献身にもまた愛はないのだ。」重いけど、素敵です。「もし、混じり気のない、純粋な配慮というものがあるとするならば、それは、どこか冷たい義務感から発したものであり、何があっても相手を手放せないという、無闇やたらな情熱からはほど遠く、彼女の言葉によれば、愛ではない。ただの親切にすぎないのだった。」とても長い文章で、決して美しいとは言えないけれど、これだけの言葉が、この意味には必要だったのだという、必死さが良いです。「愛はなるほど、常識的に考えても、利他の感情と利己の感情が絡み合ったものだが、相良が理解しそこなったのは、人は、利己心が相手の中にまるで見えない時にも、自分が本当に愛されているかどうかを、深刻に思い悩むものだという事だった。」このように、愛に関しての言葉が、散りばめられている本です。男女の愛だけではなく、肉親との愛にも、深く言及しています。義足が美しく羽ばたいていくと共に、二人の愛も高みに登って行く。最後のページに、「彼は今、久美といる時の自分が好きだった。他の誰といる時の自分より好きで、この自分なら愛せるかもしれないという気が初めてしていた。」これが言いたかったんですね、平野さん・・
本との出会い、作家との出会いも突然であったりする。この本もそう。本屋さんで何となく文庫の棚を眺めていたら、迷いなく目に止まった。そして、直感通りに素晴らしい出会いになった。こういう恋愛小説待ってたんだ!と、心底思いながら、読み進めた貴重な本。海外にいるため、平野啓一郎という、途轍もない作家のことを知らなかった。ご本人曰く「ページをめくる手が止まらないのではなく、ページをめくりたいけど、めくりたくない。ずっとその世界に浸りきっていたい小説・・」を書いていきたいとのこと。正にその感覚!一つ一つの言葉が、愛おしい、そしてその言葉について時間を置いて考えたい、そんな気持ちにさせてくれた、一冊である。思い出に残る言葉をいくつか。「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです」これ、主人公槇野の言葉。「生きることと引き替えに、現代人は、際限もないうるささに耐えている。音ばかりじゃない。映像も、匂いも、味も、ひょっとすると、ぬくもりのようなものでさえ・・」これも、槇野の言。全てをここに書き写す事は不可能なので、実際に本を読んでみて下さい。一つだけ文句を言わせてもらうなら、主人公の槇野と洋子が別れる事になった原因・・。納得するには、かなりの努力が必要かも。そして、それを修復するキッカケも、こんなこと、あるのかなあ・・と思ってしまう。まあ、小説というのは、そういう所に、魅力があるのかも。取り敢えず、平野啓一郎さん、これからもお付き合いお願いします。
I am sure every person in the audience wanted to go to Madrid after seeing this movie! The picture is beautiful and the narration is very nice. But the museum collection is so huge and the stories behind the museum is so much to observe and take in, and I was almost overwhelmed to watch […]
Latin text English translation Musica Dei donum optimi Music, God’s supreme gift, trahit homines, trahit deos; […]
この小説読みながら、いつから「女の子小説」が流行り出したのかなあ、と考えていた。やっぱり、よしもとばななでしょう!彼女が、この分野を構築したんですよね。「キッチン」「つぐみ」、そりゃあ、感動して読んだし。この小説の中でも、島本さんは、精神的に弱い儚い女の子を描いている。女性でもなければ、女でもない、確かに「女の子」だ。服装も、目に浮かぶよう。そして、小柄で色白。髪の毛、サラサラ。もしかすると、アニメに出てくる「女の子」に似ているのかも。「せんぱーーい」・・・小説は、世の中の動き、変化を敏感に感じさせる、凄いツールでもあるんですね。
我々江戸っ子には、関西弁というのは、永遠の憧れ。ある意味、とてもエキゾチック。不思議な生き物だ。「スイート・ホーム」は全編、この関西弁のテンポとムードで進む。(田辺聖子さんが、この関西弁小説の草分けかもしれないですね。)この「スイート・ホーム」は、とっても面白いし、とっても優しい。ホンワカ、フワフワ!この小説の中心点にある、ケーキ屋さんSweet Homeそのもの。だけど、私にはちょこっと、甘すぎるかなあ。お菓子の事じゃなくて、小説が!