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昭和、平成、令和と相撲界を牽引した北の富士勝昭(1942ー2024)さんが、お亡くなりになりました。一相撲ファンとして、NHKの相撲中継での解説に、毎回心踊らせていました。ターゲットにしていた力士をおちょくりながらも、暖かい相撲愛で、舞の海さんと、丁々発止でやり合っていましたね。自身が横綱で、そして二人の大横綱を育てた相撲人は、北の富士さんをおいて他にはいないでしょう。そして、これからも出てこないと思います。とてもオシャレで、着物着て良し、スーツを来てもカッコ良く、又カジュアルな服装もとてもお似合いでした。心より、ご冥福をお祈り致します。
「窓の魚」 読んでいる間、「耽美」という言葉が胸の中でエコーしていた。これは恋愛小説なのだろうか。それとも、猟奇的?それとも? 西さんの「サラバ!」「さくら」「あおい」などのファンの私にとって、方向転換をさせられる作品でもあった。それぞれに凄まじい個性の4人が、人里離れた日本旅館で過ごす、ほんの一夜の物語。彼らが過ごした日本旅館に連れて行ってもらったかのような、実に写実的な作品である。 「夜が明ける」 これも西さんの新しい作品の一冊。正直に言うと、私は時に嘔吐を催すくらい、辛いシーンが多い作品でもある。現代の問題を問い、現実を直視しそれを表現しようとする試みは、とても良く分かる。その過程で、醜さ、不公平、不平等も表現していかなければならないとも思う。しかし、このような辛い思いをしてまで、読書をする意味があるのか、と考えてしまうのも、正直なところである。根底にある、というかこの本の焦点である「友情」に、気持ちが行かないこともあった。辛さゆえに、放り投げてしまうこともしばしばで、読破するのに本当に長い時間がかかった。
一度読んでみたいと思っていた、万城目学さんのご本。ついに手に取りました!彼の小説は、「ファンタジー」というカテゴリーに入るらしいのだけど、小説は一般的に「フィクション」な訳ですから、「ファンタジー」の捉え方が、イマイチはっきりしない私です。SFとも違い、やはり「日常的に起こり得ないことを題材にする」とでも解釈すれば良いのでしょうか。本とは関係のなさそうな問題点なのですが、私にとってここが重大ポイントなんです。 このお話しには、2点異なる設定があり、その一つが会計監査院という国が予算が正しく使われているかをAuditとする機関、そしてもう一つが大阪を舞台とする歴史ファンタジーとも言うべき浪速の人達とその心意気、である。登場人物とその描写、人間関係の葛藤などは、とても面白く読むのだか、何故かこの2つの設定が接近し、交わってくると、私には何故か面白さが半減してしまう。スーパー現実とスーパー非現実が、私の中で相容れないのかもしれません。想像力の欠如かもしれないし・・という訳で、こういう「ファンタジー」物、私は苦手な事が分かりました。でも万城目さんのご本にハマる人は多いと聞いているので、これは単に個人の問題かと。どうぞ、皆さんも手に取ってみて下さいね。食わず嫌いにならないように!
この本は、日本滞在中に必ず訪れる「青山ブックセンター」で、私の目に留まった本。本好きには、たまらないエッセイ集ではないだろうか。「ひとり出版社」という言葉があるのを、この本で知った。島田さんの経営する会社、「夏葉社」がまさにそれで、島田さんは、会社を立ち上げた当初から、一人で全てをこなしている。ご自分の作りたい本、ご自分が信じる本作り。大きなビジネスではないけれど、「仕事」として、自分と家族を養う収入源というコンセプトだ。とても緻密でないと、出来ないと思う。そして、心配りが出来る事。そして、その心配り、優しさに、重きをおける事。「本を読む」意義について、島田さんは随分と紙面を割いて語っていらっしゃるが、私の気持ちとして、それの全てに同意する事はない。でも、おっしゃっている事は、とても分かる。現代のスピード感覚、ネット社会で、我々は必要のないところで神経をすり減らし、それに気づく時間も持てぬまま、時代の波に押し流され、とても疲れている。島田さんのご本の中で、本を読む、本を作ることだけでなく、生きる指針の端っこを見つけられるかもしれない。 ふと、アメリカで、夏葉社のような本作りはあるのかなあ、と思った。何故かと言えば、とても日本的で、そして日本人にあった趣きに感じたからだ。
この本は、「クラシック」の仲間入りと言っても過言ではないと思う。もしくは、一家に一冊、以前の「家庭の医学辞典」のような本ではないだろうか。日常のさりげない出来事を、笑いに変えて、世代を超えて我々読者を楽しませてくれる。父ヒロシ、息子、母、お馴染みの登場人物が、紙面いっぱいに活躍する。枕元に一冊置き、どんな一日であったにせよ、この本を開き一つエピソードを読む。まさに「チチンプイプイ」。肩の力が抜け、悩んでいる事が、どうでもよくなるかもしれない。是非、お読みください。さくらさんは深く惜しまれて夭逝なさったけれど、我々を楽しませるために、ご自分の身を削っていたのであろうか。
この本は、日本からの帰りの飛行機で読みました。52ヘルツの声で話すクジラたちがいると言う。その声は、余りに高く、仲間のクジラには聞き取れない。つまり、誰にも言っている事が分かってもらえないという事。だから、仲間に入れてもらえず、常に孤独。全てから「サヨナラ」する覚悟で、祖母の残した田舎の家に越してきた貴瑚が、自分を投影する少年「ムシ」に出会う。彼らの声は、クジラ界の52ヘルツ。誰にも届かない。でもそれで良い訳がない。辛い虐待問題が、根底に流れ続ける。でもそこに僅かな光が差し、その光が段々と明るくなっていった。愛を欲する人間が、裏切られ、傷つき、強くなり、幸せの入り口を見つけていく。2021年の本屋大賞、第1位。
登場人物が、それぞれの章で、自分を語っていく。「幸せに決まった形なんてないんだから。」登場人物の一人、神主の「統理」の言葉です。この言葉に要約されているかなあ、この本。 屋上庭園を舞台に、その隣にある「縁切り神社」御建神社がキーポイントとなり、人間模様が繰り広げられる。屋上庭園の下は、神社が経営するマンション。そこの住民、皆、何か過去があり、問題がありで、時には、「縁切り」をお願いする事もある。こんなシェア・ハウス的生活、良いなあ、と思わせてくれる。凪良ゆうさんの独特の視点で語られる、幸福のあり方。私は、好きです。
この本は、日本への行きの飛行機で、私のお供をしてくれました。ボーイズラブのお話です。時にひっそりと、飛行機の座席で、涙してました。無口で変わり者扱いされている「平良」と、その彼が全てを捧げて崇拝するスーパー美形の「清居」。高校生の頃からのクラスメイトの二人が、恋人になって行く様。「平良」は、実は隠れ美形です。崇拝されている「清居」は、その地位を喜びながらも、実は崇拝ではなく、愛して欲しいと願う。「平良」は自分を下男化し、「清居」に自分を捧げる事を喜びに感じており、その二人の温度差が、確執を産む。幾多の困難を経て、分かり合っていく二人。美しい感情表現に、一人涙していました。挿絵が漫画調なので、現実逃避が出来て、逆に楽しめたかも・・最近、凪良ゆうさんの作品にハマっている私。最高に面白かったです。ただし、かなり激しい性表現が出てくるので、それが苦手な方は、避けた方が良いかもしれませんね。
ゴーギャンとゴッホの親交から、発想の転換で、アートミステリーが生まれた。原田マハさんは、私の尊敬する作家の一人。今まで原田さんの作風のような形ででアートを広めた作家は少ないし、彼女は誰にでも届くところにアート持ってきてくれた。原田さんのご本はいつもワクワクさせてくれるので、大好きだ。でも、我儘言っている事承知で申し上げますが、今回の作品は、何だかストーリーのもたつきがあり、やたらと長く感じられた。原田さんのゴーギャンとゴッホへの愛情が大きすぎて、こうなったのかもしれない、とは思う。発想が膨らみすぎて、筆がおけなかったのかもしれない。でももう少しお話しがコンパクトだったら、うんと楽しめたのになあ、と思う。
「百合中毒」が発端になって、様々な人が織りなす愛の関係が、交差し始める。逆に家族だから、直接聞き出せない事が山積みになっていく。単純であろうする反面、逆に更に複雑さに拍車をかけてしまう。優しさの裏返しで、誤解を産む。我々の人生に、日々の暮らしに、どこかありそうでなさそうな、お話し。「百合中毒」のポスターの毒毒しさが、目にチラチラしそうだ。