Japanese Blog (日本語のブログ)
数日前に、日本のニュースサイトで、大変悲しい事故のお知らせを目にしました。病気で家にいた5歳(確かこの年齢だったと思うのですが、間違っていたらごめんなさい)の男の子が、お母さんがコンビ二に行った、たった5分間の間にベランダから転落。亡くなったという事故です。このお母さんの事が頭から離れずにいます。子供が病気で、欲しがったおやつを買いに行ったのかもしれない。病気だから、家でおとなしくしていなさい、と行って出掛けて行ったのかもしれない。それが、家に帰って来たら、子供がいなくて・・。こんな事があるでしょうか。このお母さんは、これからの人生の中で、この5分間から抜け出す事は出来ないでしょう。何度思い出すでしょうか。会った事もない方の事だけど、考えると私も心が張り裂けるようです。
ここ数年私の定番の朝ごはんは、玄米に雑穀を混ぜたご飯、とろろ汁、梅干、納豆、海苔、そしてヨーグルトにフルーツとグラノラ等を入れメープルシロップをかけたもの、となっています。最近、梅干をちょっと贅沢に、肉厚の大粒のものに変えてみました。このちょっとした贅沢が、こんなに朝ごはんを美味しくさせるとは。大発見です。という訳で、毎朝この大粒梅干と一緒に、幸せを噛み締めています。
映画は大好きで、時間があれば一人でも見に行きます。どちらかというと、ハリウッドものより、インデペンデントやヨーロッパ映画が好き。今年も、アカデミー賞作品を始め、いろいろと見ています。折に触れ、映画の感想も書いています。映画は日本より安いですし、特に日中は割引になっていますので、気楽に行けますね。最近のお気に入り劇場は、ハリウッドにあるArclightというところで、何せ客席が豪華で、長時間の映画などもゆったりと見れるんです。映画万歳!昔良く行った、下北沢の3本立て映画館、今でもあるんでしょうか、ね?
私はヨガを就寝前にやるようになって、15年くらいたちます。ヨガに青竹踏みを加えて、20分くらい、ほぼ毎晩やっています。最初は、ピアノの練習の後のストレッチを兼ねて、いくつかのポーズを始めたのですが、今ではヨガをやらないと、何だか一日の締めくくりにならないような感じすらします。そして私は、旅にも青竹は持って行く程、こちらも信奉しています。ちなみに、ホテルでは、タオルを敷いてヨガをやっていますよ。スポーツクラブのヨガクラスに参加する事もありますが、私はもっぱら自己流に組み合わせたポーズを、リラックスのために夜行うのを習慣にしています。特に、肩で立つポーズが好きで、これは肩こりや体の弛緩に効きますね。これはお薦めですよ。ピアノを弾くのは、身体全体を使い、特にラフマニノフのように手の大きい作曲家のものを弾くと手が大きく広がり、そこから体の他の部位に疲れが生じたり。それを解す意味でも、一日の終わりのヨガは必須とも言えます。疲れがたまり筋肉を痛めると、一筋縄では直らなくなる事もあり、注意が必要です。又、座る時間が長いので、音楽家の中には腰を痛める人も少なくありません。スポーツ選手と同じように、上手く自分の体と付き合い、長い音楽選手生活を快適に過ごしていきたいものですね。
イースターはクリスマスと並んで、クリスチャンにとっては大事な日です。そしてイースターのための音楽もいろいろあって、今年我々の教会では、ドウボアの”キリストの最後の7つの言葉” (The Seven Last Words of Christ – 1899 by Francois-Clement Theodore Dubois) を、木曜日のミサ(Holy Thursday)でオーケストラとコーラスで演奏。素晴らしかったです。ちょっとプッチーニ風のオペラっぽいところもありますが、ロマン派の音楽そのものの、とても美しい旋律で、オーケストラとコーラス、ソロのバランスもとても良い、イースターに演奏される伝統的な曲です。曲の流れは、イントロイトに始まり、7節、そして、祈りの部分で終わり、歌詞もイースターに沿ったものになっています。金曜日(Good Friday)には、もう少しこじんまりした音楽を。そしてもちろん日曜日(Easter Sunday)は、祝福の音楽で、ブラスアンサンブルなども加わり、華やかに演奏します(ヘンデルのハレルヤコーラスなど)。街中もイースターのウサギや卵の飾りなどで、賑わっていましたが、これも終わり。夏時間も始まって、もうこれからは、どんどん夏に向かっていく感じでしょうか。
今回のお話は、あくまでも小さなストレスに限ります。大病をかかえている方とか、結婚問題で壁にぶち当たっているとか、職を失った状態が続いている・・と、いう大問題の解消法ではありませんので。日常の何気ない会話の中で、又はお酒の席で、気分が高揚したりして、事実より少し上乗せして自分や家族の事をしゃべってしまって、後ですごく後悔したという事、ありませんか。又は、安請け合いして、出来そうもない事を、自分の状況も考えずに「出来る」と言ってしまい、どうしようかと悩んだ事はありませんか。それから、これはどうしてもこの人に言わなければいけないのだけど、言えずに困っているという事、ありませんか。それとは逆に、自分の真意とは反して、とんでもない事を友人に言ってしまって、後悔の毎日を送っている方、いらっしゃいませんか。こういう事は、時間が経てば経つ程、更に状況が悪化して、自分との葛藤が深まったりします。私流に、たどり着いた単純な答えは、とにかく勇気を持って事実を正す、出来ない事を出来ないと言う、言葉を丁寧に選んで友人に自分の気持ちを伝える、そしてもし真意に反した事を言ってしまったのなら、素直に謝って本心を伝える、という事です。だけど、それが出来ないから困っているんだ!というお言葉が聞こえてきそうですが、それ以外にこういった状況を解消する方法があるでしょうか。もちろん、無視して何もしないという選択肢もありますけど、ね。でもそれでは、折角の友人関係、もしくはビジネスの付き合いが、ねじれたものになったり、最悪は壊れてしまいませんか。そして何よりも、自分の中で、もやもやが、いつまでも続きます。 誰でも間違いは起こすし、予期しない事は誰にでも起こります。そういった時に、勇気を持って方向修正してみませんか。これ、私自身にも言っているんです。そして素直に本心から、自分の言葉を人に伝えてみませんか。これは、練習がいるかもしれないけれど(どういう風に言おうか、自分なりにシナリオを作って、熟考するなど)、言えた後は、確実に目の前の風景が違って見えます。そしてこれは老婆心ですが、決してお酒の力を借りないように。更に、状況を悪化する可能性もありますからね。限られた人生の時間を、前向きに使いたいと、私も日々思っています。このブログは、自戒ですね。
生活している中で、ほんのちょっとした言葉が、いつまでも心に残るという事がありますね。もちろん良い意味の場合ですよ。私も人生の場面、場面で、先生の言葉、友人の言葉など、心の片隅に生き続けているものがあります。今日は、最近の家族の言葉から、二つ、皆さんと共有したいと思います。 一つ目は、主人の言った言葉で、もう何年も前の事になります。私が南米のコロンビアで演奏会と公開レッスンを行っていた時のこと。公開レッスンの間に、演奏会で私が弾いた曲の楽譜を見たいという先生がいて、お渡ししました。武満 徹さんのものでした。日本のように治安が良くないので、ちょっと席に置いて数分留守にしていた間に消失。それがないと次の演奏会で演奏が出来ないので、大変困った事になりました。主人に国際電話をして、取り敢えずファックスしてもらう事に。それまでの私の人生では、こういった場面で、「人を信用するからいけないんだ。面倒かけてもう・・」などという反応が返って来る事が多かったのですが、主人は「そういう大変な国で、人を信用して偉い。良くやった。すぐに、ファックスで送るから心配しないように」と、何でもない事のように言ってくれて、心底救われた思いになった事を、思い出します。 二つ目は主人の母の言葉。主人の兄夫婦の一番下の男の子が、高校の時に喫煙が見つかり、所属していたスポーツ部の数人と一緒に停学処分になった時の事です。その時に母が言ったのは、「喫煙は悪い。だけど、自分の孫だけが、先生達の前で、正直に喫煙を認めたから、とても偉いと思う。そして誇りだ。」という事です。それまでの私の人生では、こういう時に「全く何て事をしてくれたんだ!恥ずかしくて、人様に顔向けが出来ない。馬鹿正直にもほどがある。」と言った様な発言を聞く事が多かったので、これも、まさに「目からうろこ」でした。 こういう言葉から、私も随分と学ばせてもらいました。誰でも最悪の時というのはあるものです。そういう時に、周囲にいる者として、どういう言葉をかけられるか、という事。日本人は時として、「恥」という事に囚われ、こういう普通のサポートが出来ない事があるかなあ、と思いました。
良くクリスマスのシーズンに頂くポインセチア。季節が過ぎると、華やかな赤が何だか削ぐわなくなって、忘れていると枯れていた、という事が良くありますね。一昨年の暮れに、友人が訪ねて来た時に、新種の美しいポインセチア持って来てくれました。とても元気で、クリスマスの後は、庭の片隅で鉢に入った状態で生き続け、暑い夏も乗り越えて、なななんと、12月になると緑の葉が少しづつ赤くなりました。そして見る間に全体が赤くなり、季節感いっぱいに。2年楽しめました。肥料をやった訳ではないので、売り物のようではなかったけれど、「クリスマス」の雰囲気は十分に。と思っていたら、このところ緑の部分が増えて来て、本当に自然のプログラムって凄いですね。ただただ関心するばかりです。次のクリスマスも楽しませてくれるように、今度は少し肥料などもやってみようかと、思っています。ちなみに、お米のとぎ汁は植物にとても良いですよ。
一般に「才能がある人」と聞いた時、どんな人間像を思い浮かべますか?モーツアルトの様に、子供の時から一つのことに、飛び外れた能力を発揮して、他と全然違う感じでしょうか。そういう部分もとても大きいかもしれないけれど、私は、思い込んだ事に一直線に努力して努力し抜く強い心、気持ちだと思います。ここ5年くらいレッスンに来ている14歳の男子生徒がいるのですが、私のところに通い始めた頃は、他を抜いてずば抜けていました。勘も良いし、音楽的な感覚も良くて、ちょっとやると、曲をすぐに自分のものにして、小さい子の為の地元のコンクールなどで、金賞を取っていました。でも、それは子供用の曲だったから。それが次第に難しい曲になると、曲の深さを追求する気持ちがない、自分にチャレンジしてより良く弾こうという気持ちがない、曲を通して弾くのは大好きだけど、立ち止まって出来ない箇所をきちんと出来るまで練習する堪え性がない、など、問題山積。そのくせ、自尊心だけはとても強く、自分は最高と思っているから、悲しいかな、手のつけようがないんですね。私はずっと口を酸っぱくして言って来たけれど、両親も完全に「自分の子供はを天才」と、思い込んで、他の人達の意見を聞く耳を持てないので、せっかくの彼の持って生まれた才能も生かされずにいます。何と皮肉な事でしょう。しかし、この生徒と違って、謙虚に自分の欠点を見つめる力があり、きちんと目標に向かって地道に努力出来るという子供もいます。他人の素晴らしさを認め、謙虚に努力する。他人との競争ではなく、謙虚に自分の欠点を見つめる力を知っている、そういう子供達は、スタートはゆっくりだけど、だんだんに「天才児」達を追い抜いていきます。もちろん、最高なのは、生まれ持った並外れた才能に加え、謙虚に努力出来る事ですけどね。 一つの事に一生努力し続けるというのは、大変なことです。まさに職人芸です。誰も認めてくれないかもしれないけれど、自分との対話で、よりベストを目指して生きていく。与えられたことをきちんとこなす。音楽が出来る喜びだけでなく、逃げないで自分との対話ができるピアノ弾きになりたいですね。
横綱白鵬関、優勝おめでとう御座います。そして杷瑠都関、大関昇進おめでとう御座います。連日の白熱した取り組みに、我々相撲ファンは、手に汗握る思いで、一日一日を過ごした15日間でした。終わってみれば、一番良い形だったのでは。杷瑠都関は、相撲界に入って直ぐににケガに泣かされ、昇進が遅れたので、今後故障のない相撲人生で引退まで過ごせる事を、心より願っています。朝青龍の悪役がいない場所はどうなるかと思ったものの、悪役なしの正統派道で、十分でしたね。正しい相撲道の追求で、これからの場所を楽しみにしています。両力士、そしてすべての力士の方達、場所が終わって巡業まで、少しゆっくり出来ると良いですね。5月の国技館では、魁皇、琴光喜、琴欧州、日馬富士に加えて杷瑠都の大関姿が見られ、いろいろな力技、突っ張りなど、ロサンゼルスから応援出来る事を楽しみにしています。大相撲万歳!