Japanese Blog (日本語のブログ)
これも精神に支障を持った殺人者のお話し。「変身妄想」という病名が本当にあるのかどうかは分かりませんが、「ある特定の人物に憧れ、彼・彼女を模倣したい、あの人のようになりたい」という願望から始まり、自分が誰だか分からなくなる、精神障害。この「変身願望」と「恋愛願望」を同時に描く(もちろん違う登場人物だけど)、恋愛サスペンスとでも言うのでしょうか。主人公のゆかりの行動については、普通だったら、こんなことは絶対しないぞ、など若干疑問がもてないこともないけれど、電話線(古いコンセプト、だけど書かれた年代がはっきりしないのでOK)を通じての恐怖が、本の全編にヒソヒソと漂う。現在のネット社会の恐怖に比べれば、もしかしたら、救いようのある恐怖かも、と思う、携帯べったりの私です。
「どんでん返しに続く、どんでん返し。恐怖の連続殺人事件の中に潜む、深い謎。あなたは、今夜眠れますか。」とでも、宣伝文句にしたい小説だ。ネット交際の以前にあった、テレクラが出てきて、普通の顔をして生活している「一般市民」が、その仮面の下に病的願望を潜ませている。又、「エリート警察官」の病んだ精神がもたらす、恐怖もありで、まあ怖いお話しであること間違いなし。男性の歪んだ性的願望が、リアルに描かれていたりして、乃南さん、本当にいろいろな顔を持っていらっしゃる。ドコドコと、読み進んでしまう本ですよ。
なかなかウイットに富んだ、そして核心を突いた短編集。ちなみに「悪魔の羽根」というのは、あの真っ白い雪の事。ここからしても、只者じゃあないぞ、という気にさせるでしょ!一つ一つの短編に、すっごく濃い人間ドラマが凝縮されている。どれ一つ取っても、長編の題材に出来るんじゃないだろうか、と思わせるくらいの、濃縮感だ。作曲もそうだけど、言いたい事を上手くまとめ切らず、だらだらと長く、退屈で、飽きる作品というものがある。だが、「才能」、もしくは自分で努力して開花させた才能というものはすごく、曲の長短に関わらず、楽曲が自然に聞いている側に、入ってくる。それぞれのフレーズが、いかに複雑な和声であろうと、無理なく、恰も昔からそこにあったかのように、流れて行く。文学と音楽の関係・・深過ぎるテーマは、又次回に。
これはちょっと「軽い」作品かなあ、と思って読み始めたところ、文体は軽めだけど、中身はぐぐっと濃い。30才を目前にした幼馴染の女性二人が、繰り広げるお話し。この本の中で好きな、詩的なフレーズ:「吐き気のようなものがこみ上げてきて、それが目から滴になって落ちた」。表現に、躍動感があるみたい。女性のうちの一人、栗子(通称、グリコ)は、恋、恋愛、結婚、母になることを夢見る、29歳のOL。その友人菜摘は、レズビアンでバーを経営する。この二人が、恋をめぐり(もちろん違う恋人だよ!)、葛藤し、だまされ、はめられ、誤解し、30代に突入するお話し。豪快で、大層面白く、かつ核心を突いている。もう、乃南さんの本は、読み始めると止められなくなるから、大変だ。
これは、一日を24時間に区切り、それぞれの時間にまつわるエッセイ集。この本でも、乃南さんの、洗練された語り口がページをめくる度に、見え隠れする。例えば、「二十時」の話しの中に、こういう表現が出てくる。会社の同僚と一夜を会社で過ごす回だ。そこで、一緒にオフィス街の銭湯に行った折のユニークな同僚を指して「生渇きの髪がA子の通勤服の背中を濡らしている。風呂上りというより、彼女はほとんど、溝にはまって這い出してきた死に損ないのような有り様だった。」この文章を何度読んだことだろうか。その度に、脱帽、そして転げまわって笑う私。このエピソードは、フォークグループ”かぐや姫”が「神田川」を歌っていたころのことだと思う。だから、尚更可笑しいのかなあ、それにしても、この適切な表現。熟考して出てくるものじゃあないと、思う。才能ですね、。どの時間にも、美しく、可笑しく、時には悲しいエピソードが、溢れている。豊かな心を持った作家だなあ!と、心から実感した。
乃南さんにすっかりはまった私は、次から次へと彼女の作品を読んでいる今日このごろです。体の部位、臍、血流つむじ、尻、顎の5つをモチーフにした、短編集。通常のイメージ力では考えられない、想像の翼を羽ばたかせ、それぞれに、素晴らしい短編に仕上がっている。確かに「臍」が話しの中に出てくるものの、一般に考えられる「おへそ」の雰囲気から程遠い、ホラー風になっていたり、「お尻」という一見可愛い存在が、その可愛さ所以に、とてつもないサイコの世界に誘っていた理。まあ皆様も、乃南さんの空想力と一緒に、遊んで見て下さい。もう、私は乃南さんの本から、離れられなくなってしまった・・
サスペンス小説だけど、そういうシンプルな言葉で括り切れない、デイ-プなお話し。これもそういえば、バツイチ、30代後半のシングル女性が主人公。そして、悲しいくらいのド中年の相棒刑事、滝沢を、不思議な形で配置して(恋心というのでもなく、友情というのでもなく)、ストーリーをうんと面白くしている。話の中心にいるオオカミ犬については、想像の産物で、その能力は生物のそれを超えているので、これは、まさにファンタジー。この本も、とってもお薦めです。
乃南さんの小説は、素晴らしい音楽を聴いているようだ。クレッシェンド(だんだん音量が増えること)、デイミヌエンド(だんだん音量が小さくなること)などを、巧みに駆使して、最初から最後まで、ものすごい集中力で、ストーリーを進めていく。文章に不必要な部分がない、自然に流れていく、読者を引き込み、どどっと乃南ワールドへ引きずりこむ、まさに素晴らしい交響曲を聞いているようだ。心理描写にかけたら、現在右に出る人がなかなかいないと思う。主人校の宇津木葉子は、どこにでもいそうな40歳のバツイチ、シングル。その揺れる心を、家族の中で、不倫相手との関係で、不安定なフリーのカメラマンという仕事の中で、美しい文章で描いている。私は、身も心も、この小説に持っていかれてしまった。
3月中旬に、以前から楽しみにしていたベートーベンの4番の協奏曲のコンサート(youtube link http://youtu.be/8UvdTE1YEpw) があった。この4番のコンチェルトは、ピアノ弾きなら、誰でもが演奏したくなる、とっても魅力的な曲だ。優しさに満ち溢れ、美しい旋律がちりばめられ、それでいて、力強さもある。そして、オーケストラとの関係はまさに室内楽のようで、沢山の会話で溢れている。練習の期間から、とても充実した時間を過ごすことができ、コンサートも楽しく演奏出来て、大満足だった。そして、このコンサートの数日後、フランスへ旅立った。大学をしばしお休みして(もちろんお休みしたレッスンは、後でちゃんと補っていますよ)、リモージュに程近い友人達を訪れ、旧交を暖め、その後パリで、コンサートツアーでヨーロッパを廻っていた主人と合流した。自分の演奏なしで、こうやってきちんと旅行したのは、ホント何年ぶりだろうか・・ 練習や、コンサートを心配しないで、観光客になりきり気楽に旅するのも、たまには、良いものである。詳細は、旅の写真をフォトギャラリーにアップロードしたので、そちらを、ご覧下さいね。 トレイニャックに住むマリエールとは、久しぶりで、本当に良く話しをした。彼女は現在、再婚して、素敵なご主人フランソアと暮らしている。以前彼女の家に滞在した時に出会った、彼女の従弟や友人達も現れ、楽しい夕食もした。ご存知のように、フランスの夕食は、アペリテイフから始まり、とっても長い!力説したいのは、フランスの田舎は、特別だ!という事。ショパンやジョルジュ・サンドが、インスピレーションを受け、仕事した、というのも、分かる。なだらかな丘陵が続き、名も知れぬ湖などがあり、まさに「絵に描いた」よう。我々も、春にはまだちょっと遠い午後、近場を散策して、素晴らしい時を過ごした。マリエールは、何世紀にも渡って受け継がれた中世の家に住んでいる。日本で言えば、織田信長が祖先で、その家に今でも住んでいる感じかな??それぞれの世代で、家を直しながら、使っているのだ。現在は、ベッド・アンド・ブレックファストにして、春、夏、秋のシーズンにビジネスをしている。中世の家は、維持が大変なのである!ちなみに、お城を購入するのは、そんなに高くないんですよ。でも、どうやってそれを住める状態にするかは、贅沢を飛び越え、大資産がいる訳です・・・・パリでは、お決まりの観光スポットに加え、様々な作曲家の墓地を訪ねたのが、とっても良かったなあ。どの作曲家とも、積もる話が山ほどあるからね・・という訳で、今年も4分の一が過ぎ、春真っ盛り。我が家の庭の薔薇も、満開です。
この短編集は、怪談話集ともいえる。女性の恐ろしい本心や執着心を、紡いだ物語。6つあるそれぞれの短編が、作り話のようであり、現実のようであり、そりゃ、おぞましい。乃南さんの卓越した語り口と構築性が、ファンタジーと皮肉とからまり、素晴らしい短編集に仕上がっている。