Japanese Blog (日本語のブログ)
日本に滞在中に買った本の一冊。次々に騙される女性達、そして騙す喜びを追いかける男。騙しているのではなく、女性の人生をコーディネイトとしている、とまで嘯く男に一切の反省はない。女性達の中には、騙された自分が許せなくて自殺するものが出る。老後の全財産を失う女性もいる。それでも、その男は悪気なく、次のカモを探して、自分の贅沢に使うお金を巻き上げる。こんなに簡単に騙されるのか・・・・でも、何と言おうと「結婚」という名目は、多くの女性にとって、キラキラ輝き、「一度はしたいもの」なのだ。その心理を知っての、詐欺である。どうぞどうぞ全女性の皆さん、特に婚活に燃えている方々、もしくは、孤独が忍び寄っていると感じている方々、男性の上辺の「甘さ」にコロっといかないように。
これは、ホラーなのか。それとも、サスペンスなのか。どちらにしても、乃南さんの、大初期時代の作品だ。だから、「アラサー」なんて言葉が世の中 を横行する随分前の話。アラサーの美しい独身女性の悲しい。そして、その女性が、狂気の道を滑り落ちていく。
アメリカ各地で演奏してきたバッハの大曲「ゴルドベルグ変奏曲」を、この度日本で演奏することになりました。7月12日(金)午後2時から。場所は日本基督教団大館教会です。この曲には、思い入れが大きく、自分でもプログラムノートなど、書いて来ました。今回の演奏会プログラムに、始めて日本語で、自分なりの解説を書いてみました(下記参照)。一つ一つの変奏曲の特徴を出して、楽しんで演奏が出来ることを願っています。大館市は幼少時に数年間住んだことのある、言ってみれば、私の第二の故郷。ピアノのレッスンは地元の竹村先生につき、基本を学びました。深い結びつきのある地で、ゴルドベルグ変奏曲を演奏出来るのは、私の深い喜びです。日本へは明日出発。飛行機や電車で結構ストンと眠れる私の強みを生かし、出来るだけ体と脳(1時間15分くらいを暗譜で弾き通すので、これは必須)を休めて臨みたいです。それでは、日本のどこかでお会い出来ますように。 バッハ「ゴルドベルグ変奏曲」曲目解説 上野淳子ギャレット バッハは、沢山の宗教音楽、そして世俗音楽を世に残した、非常に偉大、かつ野心的な作曲家でした。鍵盤楽器の為には、まず始めに、3巻の楽曲集を出版し(楽曲集以外にも沢山の鍵盤楽器のための曲があります)、その中にパルテイータ、イタリア協奏曲、フランス序曲、オルガン曲等を入れました。そして、第4巻のために、すべての集大成ともいえるべき「ゴルドベルグ変奏曲」を作曲し、出版しました。バロック時代の当時、すでに沢山の作曲家がいろいろな変奏曲を書いていましたが、バッハは、ゴルドベルグ変奏曲を書く際に、一般の枠を超えた、とても特別なものを考えていました。そこで、イタリア風の旋律、カノン、シャコーン、フランス風序曲、舞曲、2重奏や3重奏など、様々な音楽様式を入れ、書き上げたのです。 ゴルドベルグ変奏曲は、始めに大変美しいアリアで始まり、その後様々な様式における30の変奏曲を演奏、一番最後に、再び始めに演奏したアリアが出て来て、全曲を終えます。この音楽の旅は、普通70分から80分くらいかかります。この大曲を弾ききる事は、ピアニストにとって大きな挑戦とも言えます。長い曲を暗譜で弾き終える集中力と持続力。難しいテクニックを極め、音楽的に掘り下げていく事。そして、忘れてならないのが、この曲が2段鍵盤を持ったチェンバロの為に書かれたということです。というのも、ピアノは鍵盤が一段しかないので、2本の手が鍵盤上を交差する際に、こんがらかり、非常に複雑なことになってしまうのです。例えば、第5変奏曲では、一つの手が一箇所に留まり、もう一つの手が高い音程と低い音程を飛び越える、イタリア式の手法が取られています。フランス式の手法は、第8変奏曲で見られ、ここでは両方の手がお互いに飛び越える、まさにアクロバット! すべての面において、挑戦だらけ。それでは、何故演奏するのでしょうか・・・・それは、音楽の素晴らしさ・深さです。毎日ピアノの前に座り、ゴルドベルグ変奏曲を弾く喜び。フレーズの歌い方、音色の出し方、音楽的アイデアなど、日々何か新しい発見があります。まさに、登山のようなもの。困難を伴う山がそびえていれば、登山家なら命の危険を冒しても、チャレンジしたいと思うでしょうから。 それぞれの変奏曲に、私自身の個人的な想い・イメージがあります。例えば、第3変奏曲は、貴族の男性がシルク・ハットをかぶってステッキを持って気取って歩いている様子、第7変奏曲では、クリスタルの小さなバレリーナが、オルゴールの中で踊っている様子、第9変奏曲では、春の美しい日差しの中、おばあさんが孫に本を読んで聞かせている風景、第17変奏曲は、無声映画の中の登場人物がセカセカ動いている映像、第22変奏曲では、遠くの地平線に太陽が昇ってくる様子、変奏曲24番は、少女が草原の中でスカートをなびかせながら踊っている景色、そして変奏曲27番では、雨上がりに残った水滴が、木から落ちてくる様などです。変奏曲16番のフランス風序曲では、ルイ16世が宮殿の中をお供を従え歩いている行列、そして同じ変奏曲の後半では、所変わって、お洒落した女性達が、扇を使いながら噂話に興じている様子。30ある変奏曲の中で、3曲が短調で書かれており、そのどれもが深い感性であふれているのですが、特に変奏曲25番では、キリストの受難の様が描かれているようで、私にはキリストの一歩一歩が半音階の中に聞こえてきます。最後の変奏曲30番で、バッハは大曲の締めくくりに、ユーモアあふれるクアドリベット(ラテン語で、“貴方が楽しめる事”)という形式を持ってきました。これこそ、バッハの骨頂だと思います。ドイツの民謡二つをからめて、30ある変奏曲の最後を飾っています。この良く知られたメロデイーをパロデイーにして、即興にして楽しむのは、バッハの家族が集まると、頻繁に行われていたことでした。 そして「ゴルドベルグ変奏曲」は、面白い逸話を持っています。ヨハン・フォーケルというバッハの学者が、1802年に出版したバッハの伝記の中に、出てくるものです。<ロシア大使のカイザーリンク伯爵は、頻繁にドイツのライプチッヒを訪れていました。沢山いる使用人の中に、大変優れたチェンバロ奏者、ヨハン・ゴールドベルグ(ヨハン・セバスチャン・バッハの弟子)がいました。伯爵は不眠症に悩み、夜な夜なゴルドベルグが呼ばれ、伯爵の隣の部屋から、チェンバロを弾いて眠れぬ夜にふさわしい音楽を演奏するように、頼まれていました。ある時、バッハが呼ばれ、この不眠の夜にふさわしい曲を作曲するように依頼され、熟考の末に、変奏曲を作曲する事に辿り着き、この「ゴルドベルグ変奏曲」が誕生したというものです。そして伯爵はこの変奏曲が大層気に入り、その功績に対して、バッハに多額の謝礼金を払ったと書かれています。>しかし、この曲が書かれたときに、チェンバロ奏者のゴルドベルグはたったの14歳。とてもこの難解な曲が弾きこなせたとは考えられず、この逸話は作り物だと、現在は考えられています。しかし、想像するのは自由。何と楽しい逸話ではありませんか!
港の風景が、とっても生き生きしていて、べらんめー調の語り草が最高だ。日本のいろいろな港へ、船を使って行くというのが基本で、そこからエッセイーが生まれてくる訳。つまり、船に乗る行為に、切羽詰った理由はない。ただし、乗ってしまう。奥田さんの、ほわーーーんとした感じがとても良い。奥田さん、決っして無理をしない。でも、観察眼鋭し。知らないうちに、港町旅情に引きずりこまれる、私でした。
うわさの「ソロモン」、大長編である。1部が約700ページ強ある。旅がいろいろあったので、飛行機の中で結構読めるなあと、思っていたのに、それでも、読破するのに、一ヶ月近くかかってしまった。中学生が、ある事件をきっかけに、立ち上がり、その同級生の謎の死に、まっこうから向き合う。そして、裁判という形で、真実を明らかにしていく。このような大長編で、しかもミステリーの要素もあるお話は、構成に一体どれくらいの時間を費やすのだろうか。そして構図を作り、そこから物語が出発する訳だが、ストーリーが展開するにつれ、きっと登場人物達が紙面からはみ出してしまう事も。作家の気持ちが、書き進むにつれ構成時からずれて行ったり、様々な困難、葛藤があるに違いない。その辺をどのように収拾しながら、一本道を貫き、書き進めるのかな??すごい心理戦で、ストーリーも大変面白いのだが、一点文句をつけさせて頂くなら、中学生にいくら頭が良いとはいえ、これだけの実行力、判断力、バイタリテイーがあるだろうか??まあ、とにかくすごい本です。ご期待あれ!
音道貴子シリーズの一冊。これも短編集で、全部でこちらは、6編。もちろん、音道さんの出てくる小説だから、サスペンスで、所謂推理小説なのだが。不思議に普通の短編も出て来て、それが何だかとても新鮮。え、これって推理小説じゃないの??、という感じになるのだけど、それが又、面白い。音道の活躍は今までにも沢山拝見しているけれど、今回は違った顔を見せてくれる。音道貴子のファンなら是非読んでください。
まさに、「幸せになりたい」と切望する女性達のための短編集。そこは天才の乃南さん、単純な幸せではない。恨みがあり、仕返しがあり、裏切りがあり、見込み違いがあり、恐れがあり、それも深い深いところで、様々な怨念が渦巻く。人間とは、何と大変な生き物か。全部で、7編のお話しが入っているが、そのどれとして、似た手法がなく、短いながらも、山あり谷ありで、面白い。こんな心情になるのは自分にも良く分かる、と、読みながら思う方が沢山いらしゃるような気がするのだが・・。
久しぶりの東野さんの小説。優しさに溢れた、サスペンス小説。もちろん殺人事件が起こるのだけど(一つだけでなく、ね!)、その謎解きだけでなく、東野さん大骨頂の、心理性を読み解いていく方式。現在の事件を解いていくに従って、昔の事件に行き着く。家族の愛情がずんずんと身にしみるお話し。
これも精神に支障を持った殺人者のお話し。「変身妄想」という病名が本当にあるのかどうかは分かりませんが、「ある特定の人物に憧れ、彼・彼女を模倣したい、あの人のようになりたい」という願望から始まり、自分が誰だか分からなくなる、精神障害。この「変身願望」と「恋愛願望」を同時に描く(もちろん違う登場人物だけど)、恋愛サスペンスとでも言うのでしょうか。主人公のゆかりの行動については、普通だったら、こんなことは絶対しないぞ、など若干疑問がもてないこともないけれど、電話線(古いコンセプト、だけど書かれた年代がはっきりしないのでOK)を通じての恐怖が、本の全編にヒソヒソと漂う。現在のネット社会の恐怖に比べれば、もしかしたら、救いようのある恐怖かも、と思う、携帯べったりの私です。
「どんでん返しに続く、どんでん返し。恐怖の連続殺人事件の中に潜む、深い謎。あなたは、今夜眠れますか。」とでも、宣伝文句にしたい小説だ。ネット交際の以前にあった、テレクラが出てきて、普通の顔をして生活している「一般市民」が、その仮面の下に病的願望を潜ませている。又、「エリート警察官」の病んだ精神がもたらす、恐怖もありで、まあ怖いお話しであること間違いなし。男性の歪んだ性的願望が、リアルに描かれていたりして、乃南さん、本当にいろいろな顔を持っていらっしゃる。ドコドコと、読み進んでしまう本ですよ。