Japanese Blog (日本語のブログ)
人って、やっぱ「愛」を求めているのね!そして絶対一人では生きられないのね。短編が直接的ではなく繫がっていて、一冊の本になっている。それぞれの短編で、違った登場人物にスポットライトを当て、愛の結末を探していく。なかなか素敵な本だと思います。
浅田次郎さんは、私の好きな作家の一人。「待つ女」は、書下ろし小説でとても面白いが、この本の圧巻はやはり、三島由紀夫論だと思う。浅田さんご自身の自衛隊での経験から、三島由紀夫に結び付け、三島文学、人となりを分析。そして、芸術論にまで到達していいる。芸術の普遍性、「美しいものを美しいなりに描くことが出来れば、鑑賞者はその個々の能力にまったく関わりなく、等しい感動を覚えるはずである」、日本の文学の滑稽な「純文学」「大衆文学」という分類をごみの分類に例えたり、日本古来の文学「和歌」の何も具体的な風景は書かずとも、ドラマを描きだしてみせるリアリズムに触れたり、読みながらまさにフムフムと頷いていた。魅力的な本を編み出していく浅田さんの引き出しに、少し触れさせて頂いた感じです。
最近益々、お相撲と音楽の近距離を感じています。もちろん、表現方法は全く違うし、ゴールも違う。でも、メンタルな面と日々の姿勢はほぼ一緒!優秀なお相撲さんなら誰でもおっしゃる、毎日の稽古の積み重ね。これまさに、楽器の習得と完璧に重なります。千代の富士関で言えば、毎日1000回の腕立て伏せ。おもしろくない稽古を毎日ひたすらやる。彼は、つま先から汗が出るまでやるとおっしゃっていたけど、出来ないパッセージを根気良く、諦めずに、様々な方法を使って習得し、自分のものにする楽器の練習。同じです!バイオリンの巨匠ハイフェッツの言葉で、「一日練習を休むと自分が気づき、二日休むと音楽評論家が気づき、三日休むと聴衆が分かる」というのがあるのですが、この言葉、私自身も日々身近に感じていますよ!また、相手がどうのこうのではなく、自分に集中するという相撲精神。まさに、的を得ています。音楽でも、日常の暮らしでも、つい「他人の視線」「他人の思惑」が気になり、思う存分自分の能力が発揮できない場合があり、自分に集中出来れば最高!目に見えない「他人」「世間」に怯え、それに打ち負かされる。それを一掃するのは大変な事だけど、前に進むにはとても大事な事ですね。最後に、春日野親方がおっしゃっていた、「困ったら前に、苦しい時も前に」という言葉。これも音楽だけでなく、人生にも当てはまる。お相撲を通じてみなさんも、人生の糧を学びませんか。
熱い15日間が終わりました。稀勢の里やりました。千秋楽の白鵬戦は、見事。これで、誰にも有無を言わせずに横綱昇進ですね。私ももらい泣きしてしまいました。しかし、これからが茨の道。横綱としての真価を問われるのですから、息がつきません。稀勢の里のお父さんの談話で(稀勢の里に最初に相撲を教えられたそうです)、嬉しいとともに気の毒だ、というのがありましたが、本当にそうだと思います。重圧に負けず、北の富士さんではありませんが、辞める時はすぱっと引退する。しかし、とにもかくにも、稀勢の里は、国民のヒーローです。 日本人、外国人と線を引くのは好きではありませんが、国技としての相撲ですから、日本人の横綱誕生は特別ですね。若乃花以来、19年ぶり。テレビの解説でも言っていましたが、琴奨菊が昨年の優勝でこの流れを作ったのは間違いなし。八角理事長は、琴奨菊に自分を責めることはないと今場所の不甲斐なさについて言っていますが、的を得ています。若手の御嶽海、大奄美(新十両ですが、将来有望とみています)、正代、宇良などが、3役定着、横綱に手が届くまで、稀勢の里には怪我をせずにがんばって欲しいです。 故北の湖理事長が、おっしゃっていた「土俵の充実」が実を結び、素晴らしい場所となりました。一番一番の相撲に歓声を上げ、笑い、ヤジを飛ばし、涙を流す。これでこそ、国技。日本人の心の拠り所ですね。相撲大ファンの一人として、土俵を沸かせてくれた一人々の力士に、心からありがとうと言いたいです。大阪でも、私達の心を鷲掴みにして下さい。お相撲最高!
初場所の中日、第3回のロサンゼルス相撲愛好会がリトル東京の居酒屋さんで開かれ、6人の相撲愛好の志士が集結。楽しく、熱く、様々な話題で盛り上がりました。今場所こそは、稀勢の里の優勝、そして横綱昇進か、それとも彼は名大関でいるべきか、とか、この時代に女性が土俵から疎外されているのは変だとか(私個人で言えば、伝統を重視し、神聖な土俵は男性のものであって欲しい。日本には宝塚という女性の城もあるわけだから。)、話は尽きずに。写真は私の永遠のヒーロー千代の富士関の若しころ。千代の富士関の本のところでも紹介しましたが、彼は小兵で体のハンデイーを背負いながら、人並みはずれた日々の精進と鋼のような精神力で、横綱まで登りつめ、時代を制した人。会ではもちろん、千代の富士への想いも語りましたよ。 16日現在、稀勢の里、貴ノ岩(顔の輪郭が、どことなく師匠の貴乃花に似ているような)が1敗で先頭を走り、2敗勢が白鵬に、逸ノ城(20キロ減量してモンスターボーイの異名を取り戻すか。。)、蒼国来、勢。若手の北勝富士、御嶽海も順調に勝ち、びしっと背走しています。これからの6日間で、優勝が誰の手に行くのか。コンドルの歌ではないけれど、羽があったら国技館に飛んでいきたい、というところですね。相撲好きには全くこらえられない展開となっている初場所。こちらも、千秋楽までびしっと背筋を伸ばし、観戦です。
もし、今とっても落ち込んでいたら、すぐにこの本を手に取るべし。ちびまる子ちゃんの作者は、すごいですよ。発想のユニークさ、文章だけで情景を描く「画家」的才能(漫画家なんだから、当然だけど。この場合、絵なしなんだから、すごい訳。)、日常のどんな場面も彼女にかかると「すっげい可笑しい!」となってしまい、つまり、こちらは、大笑いなんです。これだけ、害のない笑いというか、馬鹿さ加減というか、本当に稀有。私、結構ジムで運動しながら、本読んじゃったりするんだけど、この本を読んでいる時は、笑いを堪えるのに(息がはずんだようにして、笑っちゃったこともあるけど!)、かなり苦労しました。本の表紙を見ていても、可笑しさが彷彿としてきて、又笑ってしまいそう。ぎゃはは!
今は亡きウルフのインタビュー本。彼に近かった、相撲アナウンサー向坂松彦氏の監修による。千代の富士ファンの一人として、昨年亡くなった九重親方を偲びながら読んだ。ウルフ節にあふれた(解説に座られた時も、よくこの節回しを聞きましたね!)数々の名言。北海道から「飛行機に乗れるぞ!」というスカウトの言葉で東京に出てきたところから、横綱に上り詰め、貴花田に負け引退を決める時までの様々な経験。若いころは一日1000回はやったという腹筋、横綱になってからも出稽古を率先してやったことなど、努力の人といわれた所以である。その中でも、常に相撲は僕の仕事だから稽古に励むのは当然だという姿勢、その日の取り組みにそれまでやって来たすべてが出るという、これ人生のすべてに言える!家族に対する深い愛、素敵な家族の事も深く印象に残る。大横綱千代の富士関の、冥福を祈って。
こりゃまた、元気の良い本です。破天荒なママ、それに翻弄されながらも健気に明るく生きる、いずみちゃん(娘)、沢山出てくる取り巻きのおじさん達、そして、そもそもの発端となった今は亡きパパ。役者ぞろい、設定ばっちり。とんでもなく悲しいことを、ママ流のおちゃらかで乗り越える、痛快冒険(!)小説。皆誰でも考え込んだり、打ちのめされたり、苦悩で七転八倒したり、乗り越えられない壁に立ちはだかれたり・・ 人生の荒波の中で翻弄されているけれど、真実はある意味おちゃらかなところにあったりするもんね。作者の後書きにも、そんなことが書いてあった。
クリスマス休暇に持って行って読んだ本。クリスマスっぽくないよ!という貴方は間違い。希望に満ち溢れた、素敵な小説だった。幻想と夢と現実と、そのどれもが本当で、本当でない。自分って誰?これからどこへ行くの?15歳の僕は、タフな旅に出る。人間の内に秘めた可能性、見えない能力、触ることの出来ない愛・希望。佐伯さんって、どこか、「ノルウェーの森」の直子さんに面影が似てないかしら・・ ふわっとしていて、エレガントで、美しい。素敵な登場人物が(私のご贔屓は何と言ってもナカタさん)、縦横無尽に紙面を埋め尽くして、不思議な村上ワールドに惹きこむ。ぜひお読み下さい。
初めて手に取らせてもらった、井上荒野さん。素敵なお話しだけど、何故か、終わりが・・ 耽美の世界に引き込まれて読み進むも、終わりで、それまで複雑なハーモニーの音楽がいきなり、ハ長調のドミソの和音で終結してしまったような、「感」だ。こういう終わり??と、自問してしまった。井上さんの他の御本も読み、この疑問を解決したいものだ。