Japanese Blog (日本語のブログ)
売れっ子作家の力を見る、大変な力作。「善意は悪意より恐ろしい。」と本の帯のところに書いてあるけど、そんな単純な事ではない本書です。そして、子供を侮るな!ということですね。そしてこんな一文もある「地に足を着けた大半の人たちは、ユートピアなどどこにも存在しないことを知っている。ユートピアを求める人は、自分の不運を土地のせいにして、ここではないどこかを探しているだけだ。永遠にさまよい続けていればいい。」心の中だけは誰にも見えない人間の利点を生かし、誰でも、表の顔と裏の顔を、上手に使い分ける。その中で、楽しいことも、涙することも、経験する。皆、少しずつの秘密を持ち、毎日を生きる。ユートピアがあるにしても、ないにしても・・偶然に、先日あるテレビ局の放送で、地方に移住する人たちを取材していたのを観た。完璧なユートピアを求める人もいたし、現実的にユートピアと向き合おうとする人もいた。皆誰でも、それぞれの「ユートピア」があると思う。
確か、テレビのドラマにもなった小説。どんどんのめり込んでしまう。私は、本を置く事が出来ずに、一気に読んでしまいましたよ!登場人物の設定が、魅力的。私もずっーーーーと前に、日本にいた頃、こんな人間関係の中にいた事がある気がする。自然に集まっちゃって、飲み会が始まっちゃうみたいな。その中で、恋愛もどきも産まれる。若いって、本当にすごいね。年齢重ねた現在、良いも悪いも、自分の肩にかかるものが多すぎて、「ちゃって」みたいな状況になるには、大変な努力が必要なんです。もう、全く!「野バラ荘」での、人生絵巻が、殺人となり、Nへの想いになって行く。はっきり言って、面白いですよ、この本。そして、人は一人では生きていない。生きられない。
浅田次郎さんの小説は、いつも涙なしには読めない。この本も例外に漏れず・・・こういう「良い本」を読むと、正直に人生って何だ、って心底考えさせられますね。一人一人の人間に与えられた人生の長さは、人それぞれ。だけど、一回だけ。求めるものも、価値感も、違うかもしれない。だけど・・・死に行く時に、何を思うのだろうか。私の人生の中でも、色々な「死」を見て来た。天寿を全うした人。心半ばで、悔いを残しながらこの世を去った人。若くして、自ら命を絶った人。本当に様々だ。死に行く時に、今まで思って叶わなかった事が、想いとなって出てくるのだろうか。それは、誰にも分からない。この本の中から、いくつか心に残った文章。 「・・健康診断を受けるたびに、高コレステロールだの高脂血症だのと言われるが、この薬も直ちに捨てる。どうも同じことを言われて同じ薬を嚥んでいるやつが多すぎる。みんなが同じ症状ならば病気ではなく、それが正常であるはずだから、病院や医者の都合だろうと永山は読んでいた。・・・」まさにそう!!! 「退屈はいいものだ。どうでもいいことを考える時間。非生産的な、思考と想像の時間。かつて人類は、豊かな閑暇を持て余して生き、そのまま優雅に死んで行ったのだと思う。それがいつのころからか、どうでもいいことを考えるのは怠惰とされ、非生産的な行為を排除し、自由な思考と想像を封止して生きるようになった。いくら寿命が延びたところで、そうした人生は短く、その死は貧しいものであるにちがいない。」言い得て妙。まさに同感。 「男と女のドロドロの話なんて、面白くない。それよか、「他人のような気がしないケース」のほうがずっとロマンチックじゃん」本当にそう・・・・ 長編ですよ。だけど、とっても読み応えがありますよ。是非読んでみてください。
何故、今頃、夏目漱石?と思われる方もあるかもしれないですね。町田康さんの文章に、夏目漱石絶賛!があったので、今回の旅に持って来た訳です。フランスで読む、漱石。それだけで、洒落ていると思いませんか?私は、漱石の文章の新鮮さに、とても感動しています。まさに、日本現代文学の布石を築いたのだなあと、実感しています。発想、文章の切れ、テンポ感、ユーモア、写実性、もう全てが、飛び切りカッコイイ!多くの人に愛読されている訳です。1906年作で、創作されてから100年以上経っているはずなのに、ヤンチャ話を近所の若者(!)から聞いているよう。愛に溢れ、人情に溢れ、正義感に溢れ、とても熱い小説です。是非、お手に取ってみては?
今年のベスト3に入る、名作。剽軽さ、チャランポランなところ、日本語への愛に溢れている文体、もう全てが良い。ロサンジェルスからフランスへの飛行機で読んだけど、吹き出すのを堪えた事、数多。表情豊かな文章は、それはそれは魅力的。嘘っぽいんだけど、本当は心からの真実の叫び!東京を散歩しながら、いろいろな事を見つける飄然の旅。貴方も町田さんと、一緒に旅に出てみませんか。混沌とした東京に、町田さんの情趣情感を感じましょう。
読み始めてすぐに、重い小説は、やだなあ・・と思い、辞めようと思うも、続行。次第に、「重さ」ではなく、「優しさ」がテーマである事に、気付く。この「優しさ」が実はとっても曲者で、新鮮でかつ湾曲している。言葉の選び方、表現、テンポ、空気感、全てが、ユニーク、かつ創造性に溢れているのだ。何もカッコ良い事を語っていないが、何故か颯爽としている。もし健斗に出会ったら、惚れてしまいそうだ・・
小池真理子の小説は、死と隣り合わせのものが多いと思うのは、私だけだろうか。死を美化している訳ではないけれど、死がとても近いところにある、そういう感じ。この小説は、死に自分から近づくのではなく、ステージ4のガンにより、どのように自分の最後を迎えるのか、というお話である。この本を読んでいる時に下記の一節に会い、宗教観のほぼない日本の価値観と、大きく違うのを感じた。良い悪いという問題ではなく・・・しかし、主人公澤と樹里の、世俗を離れた独自の関係は、とても素敵だ。永遠に。 When we are living it is in Christ Jesus, and when we’re dying, it is in the Lord. Both in our living, and in our dying, we belong to God, we belong to God.
まず、最後の参考文献から。ああ、これだけの本を読み、ご自分でも現地に足を運び、綿密に考え抜かれた末の、出版なのだなあと、思う。作者の強い思いが、ひしひしと感じられる一冊だ。私は、連合赤軍、浅間山荘と聞けば、すぐに反応する世代。この事件の後、リンチという言葉が、我々の語彙の中に入って来た事を思い出す。40年経った刑期を終えた元兵士達(兵士という言葉を、本人達は嫌がるという事だが)の物語だ。ドキュメンタリーではないけれど、心のドキュメンタリーだと思う。洗脳というのは、恐ろしい。そして、集団というのも恐ろしい。その中に入っていると、どんなに疑問があっても、もう自分一人では、舵を変えられない。欺瞞、裏切り、傲慢・・・40年間抱えて来た元兵士の秘密を、最後のページで淡々と暴く。それも、優しさの頂点のように。とても重い小説だ。主人公に怒りの気持ちを持つ人も、多いと思う。だけど、それが人生であり、人間の性だと思う。
新聞連載小説。読者は、さぞかし毎日ワクワクと新聞を開き、読んだ事と思う。私ははっきり言って、読むのを止められず、いくつかやらなければ行けない事を、放ってしまった・・とにかく、我々読者を惹きつける。それも、グイグイと。流行作家(こんな言葉、死語かもしれないけれど)をずっと続けているのは、そこには強い理由があるはず。本が大層面白いということ。それは、文章の上手さも、話の構築性も、話題性も色々あると思うし、作家自身の好奇心も努力も、才能もあると思う。「とめどなく囁く」では、ミステリー性を強く出しながらも、実は「自分」との対面が主になっている。玉の輿に乗った主人公、早樹だが、前夫の失踪から解放されず、その真相を追求するところから、目を背けていた真実を受け入れ、次に羽ばたいて行く。自分への自信を取り戻す旅でもある。時間に余裕があれば、どーんとこの本にのめり込むのも、夏に粋な過ごしかたかも!
所謂スーパー・ステイシオンものは、苦手なのだけど、今回は挑戦。ノロノロと読み進めるけど、諦めずに、三章くらいからスピードアップ。そうか、これがゴールだったんだなあと、実感するところまで来ると、満足感が!つまり、超人間がテーマではなく、それはゴールに辿り着く原動力だったと言う訳ですね。改めて、東野さんの懐の大きさというか、引き出しの多さに、平伏します。