Japanese Blog (日本語のブログ)
戸籍交換して過去を消すという男(達)の話。誰か全くの他人に、今日から自分がなれるとしたら・・そして、その他人の過去をも自分のものにする事が出来たら・・自分が忘れたい過去の汚点も、忘れたい家族との確執も、全てが帳消しになる。そして、新しい出会いがあり、結婚もあるだろうし、子供も生まれる。新しい名前、身分、経歴。戸籍交換前の自分と、戸籍交換後の自分が、ある意味二人存在する訳だけど、交換を望んだ自分に取っては、新しい自分だけが意味があることになる。これは、ひょっとすると、ネット上で、架空の名前で活動したり、炎上させたりする事と、意外と近距離にあるコンセプトでは・・魅力的だけど、強力な毒も含んでいる。
昨日、無事に15日間の取り組みが終わり、八角理事長の素晴らしいスピーチで場所を締めくくった。無観客での開催決定には、どれだけの想いがあったのか、改めて思い知った。毎日が、薄氷を踏むような中で、検温、消毒を徹底し、15日間の土俵を守った。裸で戦う力士達、至近距離で汗が飛び散り、時には怪我をして出血し、どれだけの思いがあっただろう。一人でも病気になれば、相撲協会が糾弾される事も、免れなかったかもしれない。千代丸の発熱には、皆が眠れぬ夜を過ごしただろう。解説の北の富士さんは、げんをかついで髭を剃らなかった。実況のアナウンサー達も、元気に前向きに、我々に声を届けてくれた。個人的には、心から応援している朝乃山関が、どうやら、大関昇進を決めたらしく、それも無事な場所終了に花を添えてくれた。連日、海を越えたロサンジェルスで、相撲中継がどれだけ楽しみだったか。八角理事長、協会の皆さん、そしてNHKの放送スタッフ、素晴らしい千秋楽のセレモニーを計画して下さって、感激で、一人真夜中に貰い泣きした。相撲の歴史と伝統を重んじ、その社会への貢献が、幾世紀にも渡って受け継がれて来た事。熱い気持ちを我々の心へ届けてくれた。 ロサンジェルスは、金曜日からカリフォルニア州知事の決定で、「必要がなければ家から出ない」生活が始まった。ここ数週間、次第にウイルスの脅威が迫って来ていたが、大変なことになっている。多くのビジネスが打撃を受け、その反面、この局面に詐欺まがいの商法が始まっている。パンデミックが、世界の人々を脅かし、多くの人が連日亡くなっている。力士達が我々に力を与えてくれたように、私は音楽家として、音楽の力を信じ、届けていけたらと、心より願っている。
私は、はっきり言って、とても感動しました。ああ、私の人生こういう事だったんだなあ、と。一言、一句が、深く深く胸に染み渡りました。とても、良い本です。一旦死んでしまった人達が生き返り、死んだ意味、生きていた意味を探り、家族との関係、自分のこと、もう沢山のことを網羅しています。一言では、言い切れません。取り敢えず、素晴らしい文章がいくつかあったので、ここに掲載させて頂きたいと思います。 ポーランド人ラデック(火事に飛び込み、老人を助けようとした復生者ー生き返った人ー)の言葉 「誰も、人間の苦悩する権利を否定することは出来ません。それは、残酷なことです。我々はいつでも、癒しを与える事を急ぎすぎ、自分の住んでいる世界を憎悪から守るのに必死で、他者の苦悩を尊重するのを忘れがちです。」「苦悩を否定された人間は、悲劇的な方法で、それを証明するように追い詰められます。多くのの場合、我々は、決して否定できない深刻な事態が生じてから、初めて彼の苦悩を知るのです。」 そして、ラデックは、在原業平の歌「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という、業平の使える惟喬親王への心配りを挙げています。ポーランド人が、日本の伊勢物語が大好きで、それを引用するところも、とても良い・・・その静けさ、奥ゆかしさが、とても共感できますね。この辺りで、本書は、ゆっくりと、最初のクレッシェンド(音が段々と大きくなること)を迎えます。そして、彼はこうも言っています。「死は傲慢に、人生を染めます。私たちは、自分の人生を彩るための様々なインク壺を持っています。丹念にいろんな色を重ねていきます。たまたま、最後に倒してしまったインク壺の色が、全部を一色に染めてしまう。そんなことは、間違っています・・・」 そして、平野さんの「分人」というコンセプトに行き着きます。これは、「個人」という言葉に対しての、新しい考え、そして生き方です。つまり、其々対応する人間関係によって、異なる自分がいて、そのどれもが真実であり、同等であるというもの。「個性というのは、だから、唯一不変の核のようなものじゃないんです」これは、精神科医であり、NPO法人の池端氏の言葉。更にラデックは、昔の人が出家という形を取る事によって、社会的な分人を消す事によって、その分人が活性化されずに、終いには自殺という行為を防いでいたのだと言います。 私は子供の頃、辛い事があると、「自分は死後の世界にいる」と思う癖がありました。今思えば、こう考える事によって、その辛い状況を悪化させずに、次の行為に走らなずに済んでいたという事でしょう。つまり、心の免疫効果。主人公の友人秋吉は、分人の話を聞いている時に「親父っていうより、親父の前におる自分が気に入らんかったといえば、そら、確かにそういう面もあったかな。」と、死んだ自分の父親と面と向かう時に、胸クソ悪かった思い出を、分析しています。まさに、真実!! 私は思います。この分人という考え方。何も、頻繁に会う人達の事だけじゃないはず。心の友でも良い。心に住む大事な人が、自分を形作るのは、素晴らしい。そう思いませんか。本書は、自分自身を分析、理解する大事なキーワードが、ここかしこに散りばめられた大長編。一気に読む本じゃあ、ありません。時間をかけて、時には伊勢物語を紐解いたり、ゴッホの絵を見たりしながら、その世界に浸る本です。是非、時間を作って読んで見てください。人生の指標となるはず。
お馴染みの加賀恭一郎とその従兄弟の松宮修平。一人のカフェ経営者が殺されるところから、松宮の生い立ち、経営者の過去、沢山の糸が絡まり、そして徐々に解れて行く。そして、人類の出生倫理にまで、話が持ち込まれて行く。殺人事件としての捜査とは別に、個人的な問題も関与して、話はどんどん複雑に・・誰もが、何かしらの秘密を持ち、悲しみを引き摺っている。面白くて、一気に読んでしまいました!
このタイトルから、貴方なら何を想像しますか。裏切り、嘘だらけ、上辺だけ・・違いますよ。これは、義足にまつわる、つまり足を失った日に生まれた愛。かたちが生んだ愛かな?愛の始まりは、誰にも分からない。平野さんは、本の中でこう言っています。「完全な身勝手さに愛がないのと同様に、完全な献身にもまた愛はないのだ。」重いけど、素敵です。「もし、混じり気のない、純粋な配慮というものがあるとするならば、それは、どこか冷たい義務感から発したものであり、何があっても相手を手放せないという、無闇やたらな情熱からはほど遠く、彼女の言葉によれば、愛ではない。ただの親切にすぎないのだった。」とても長い文章で、決して美しいとは言えないけれど、これだけの言葉が、この意味には必要だったのだという、必死さが良いです。「愛はなるほど、常識的に考えても、利他の感情と利己の感情が絡み合ったものだが、相良が理解しそこなったのは、人は、利己心が相手の中にまるで見えない時にも、自分が本当に愛されているかどうかを、深刻に思い悩むものだという事だった。」このように、愛に関しての言葉が、散りばめられている本です。男女の愛だけではなく、肉親との愛にも、深く言及しています。義足が美しく羽ばたいていくと共に、二人の愛も高みに登って行く。最後のページに、「彼は今、久美といる時の自分が好きだった。他の誰といる時の自分より好きで、この自分なら愛せるかもしれないという気が初めてしていた。」これが言いたかったんですね、平野さん・・
本との出会い、作家との出会いも突然であったりする。この本もそう。本屋さんで何となく文庫の棚を眺めていたら、迷いなく目に止まった。そして、直感通りに素晴らしい出会いになった。こういう恋愛小説待ってたんだ!と、心底思いながら、読み進めた貴重な本。海外にいるため、平野啓一郎という、途轍もない作家のことを知らなかった。ご本人曰く「ページをめくる手が止まらないのではなく、ページをめくりたいけど、めくりたくない。ずっとその世界に浸りきっていたい小説・・」を書いていきたいとのこと。正にその感覚!一つ一つの言葉が、愛おしい、そしてその言葉について時間を置いて考えたい、そんな気持ちにさせてくれた、一冊である。思い出に残る言葉をいくつか。「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです」これ、主人公槇野の言葉。「生きることと引き替えに、現代人は、際限もないうるささに耐えている。音ばかりじゃない。映像も、匂いも、味も、ひょっとすると、ぬくもりのようなものでさえ・・」これも、槇野の言。全てをここに書き写す事は不可能なので、実際に本を読んでみて下さい。一つだけ文句を言わせてもらうなら、主人公の槇野と洋子が別れる事になった原因・・。納得するには、かなりの努力が必要かも。そして、それを修復するキッカケも、こんなこと、あるのかなあ・・と思ってしまう。まあ、小説というのは、そういう所に、魅力があるのかも。取り敢えず、平野啓一郎さん、これからもお付き合いお願いします。
この小説読みながら、いつから「女の子小説」が流行り出したのかなあ、と考えていた。やっぱり、よしもとばななでしょう!彼女が、この分野を構築したんですよね。「キッチン」「つぐみ」、そりゃあ、感動して読んだし。この小説の中でも、島本さんは、精神的に弱い儚い女の子を描いている。女性でもなければ、女でもない、確かに「女の子」だ。服装も、目に浮かぶよう。そして、小柄で色白。髪の毛、サラサラ。もしかすると、アニメに出てくる「女の子」に似ているのかも。「せんぱーーい」・・・小説は、世の中の動き、変化を敏感に感じさせる、凄いツールでもあるんですね。
我々江戸っ子には、関西弁というのは、永遠の憧れ。ある意味、とてもエキゾチック。不思議な生き物だ。「スイート・ホーム」は全編、この関西弁のテンポとムードで進む。(田辺聖子さんが、この関西弁小説の草分けかもしれないですね。)この「スイート・ホーム」は、とっても面白いし、とっても優しい。ホンワカ、フワフワ!この小説の中心点にある、ケーキ屋さんSweet Homeそのもの。だけど、私にはちょこっと、甘すぎるかなあ。お菓子の事じゃなくて、小説が!
不思議なほど、2冊とも同じような女の子(女性という表現は、この場合当てはまらないと思う)が主人公だ。本を読んでいる間、谷崎潤一郎の「痴人の愛」が、頭にまとわりついて離れなかった。男を惑わせているような、それでいて男に翻弄されているような、天使でいて悪魔でもいる、そんな”女の子”が主人公である。どちらにしても、天才的なストーリーテラーの島本さん。読者を引き摺り込んで行く。「イノセント」も「ファーストラブ」も、私的に言えば、原罪がテーマだと思う。物語の本質も、同じところに行き着くと思う。どちらの主人公も、男性から大きな虐待を受けるも、何故かそこに帰り着いてしまうという、精神の問題を取り上げている。そして、儚げで美しい女の子を助けたいという男性が現れる。主人公を取り巻く状況は、2冊とも大きく違うけれど、映像としてみれば、同じカラー。フィルターがかかったような、靄に包まれた感じ。売れっ子作家の島本さんの作品、今後もチェックします!
自分の居場所、ってどこだ?死に場所求めて来た彼女、うっかりと死ねずに、自分と向き合うお話。現実の世界では、ストレス一杯で、全部放り投げてどこかに行って、それで逆転出来るか?というと、そんなに簡単ではないかもしれない。だけど、この本読んで、「こんな気持ちで、落ち込んでいるの、自分だけじゃなかった・・」って思える人も、沢山いるんじゃないかなあ。どちらにしても、何かに躓き次のステップに踏み出せないでいる時に、誰かに「相談」もとても大事だし、話す事で、気持ちが楽になるというのも、本当だけど、やっぱり自分できちんと答えは出さないと、本当にはならないと思う。(自分の経験から!)短いので、すぐに読めるから、お手に取ってみては?