Japanese Blog (日本語のブログ)
ご存知のように、音楽の世界は全く持って先が見えず、コンサートにしても、大学にしても、皆が大きな不安を抱えています。その中、New Normalとして、毎週配信するオンラインの無料ピアノレッスンを始めました。様々なレベルのレッスン経験と、自分の演奏活動から学んだ実践的な練習方法を使って、ロサンジェルスの自宅から毎週1回、レッスンを行います。一曲を何回かのレッスンに分けて細部まで指導、曲を無理なく仕上げるようにします。一緒に楽しく、音楽的にピアノを練習しませんか?今後も様々な曲を取り上げて行きます。質問もお待ちしています! https://youtu.be/cD-JPq6SvUg
兎に角、「感動」の一言です。最後の何ページかは、もう大泣き。ゴッホの絵は、いろいろな美術館で見て来たけれど、こんなに近くに、「人」として、ゴッホを感じたことはありません。これは、史実を踏まえた上での、フィクション。最後に美術史家の先生が解説をお書きになっているが、余りに深く研究しているので、史実と違うフィクションを楽しめないという感想。私も、前回の平野啓一郎の「葬送」で、私の考えているショパンと余りに違うので、平常心で読めなかった。そういう意味で言えば、私は大まかなゴッホの伝記は知っているものの、思い入れは全くないので、大いに本の中に入っていけた。原田さんの念密な下調べと、想像力で、ゴッホと日本人の画商(実在の人物)林忠正が出会い、ゴッホの弟・テオと画商の弟子が友情を温め、そこに世紀末のパリの喧騒と華やかさが加わり、素晴らしい物語が誕生。携帯電話で、本文中に出てくる絵を見ながら読むと、更に心に響くし、臨場感が湧く。家に居ることも多いこの頃、長編のこの本で、一人ゴッホの絵と戯れて見るのも一計では?
他人の罪は目の前にあり、自分の罪は背中にある。 Other men’s sins are before our eyes, and our own are behind our backs. 神に見られているかのように人間の中で暮らし、人間が聞いているかのように神に話しかけよ。 Live among men as if God beheld you; speak to God as if men were listening. およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、不幸にならない前に不幸になっている心です。 不幸な人の共通の過ちは、わが身に幸せが訪れることを、決して信じたがらないことである。 True happiness is to enjoy the present, without anxious dependence upon the future, not to amuse ourselves with either […]
I have plenty of time now, and it is a good time to sort through my possession for the next step of my life. First, I have been going through concert programs, photos, and schedule books to sort and to clean up. I filled a big trash bin before the trash collection last week! I […]
4冊ある事からも分かるように、これは大大長編だ。平野啓一郎に傾倒している私としては、是が非にも読みたい本であった。特に、ピアニストである私にも、大いに関係しているショパンと彼の恋人サンドが、中核を成すとあれば、尚更だ。という訳で、日本から本を取り寄せ、読み始めた。私もショパンについては、様々な本を読み、彼のピアノ曲のかなりの部分を演奏してきた。友人にショパンを専門にする有名な学者もおり、話し合ったこともある。ショパン像の余りの違いに、又、当時のパリのサロン界の見解の違いに、しばし本を中断。日本のお昼のメロドラマみたいに、ショパンの周囲の芸術家やパリのサロンの住人達が描かれているので、まずどのようなスタンスで本に近づいて行ったら良いのか、戸惑う事しきりだった。どうにか、これはショパンやドラクロア の名前を使った、日本の小説なんだ、と思い、読み進めた。分かり易く状況を説明するというのも、小説の大事な部分かとは思うが、それに度が過ぎると、こちらの空想の余地が全然なくなり、ちょっと呼吸困難状態になる。私は仲の良いフランス人の友人もいて、家族同様に付き合い、フランスに行けば彼女の家に泊まる。リオンで行われる音楽祭にも参加している。この小説には、「フランス」があんまり存在していない感じがするが、皆さんはどう思われますか。
ロサンジェルスのロックダウンが始まって、約二ヶ月。来シーズンを見据えて新しい曲を練習したり、普段やらない庭の手入れをしたり、思い切って家の整理をしたり、新しい料理レシピ(二ヶ月ほぼ毎日違う夕食を作りました!)に挑戦したり、見たかった映画を観たり、好きな読書をしたり、有意義に毎日を過ごそうと思ってやって来たけれど、先週突然ダウン。この春から夏に計画していたコンサート、演奏旅行、コンクールの審査や個人的な旅行など、全てキャンセルになったこと、そして現在の置かれた状況を考え始めたら、何だか涙が出そうに・・堪らなくなって、取り敢えず、車を運転して市中をドライブ。道はどこも空いているので、気持ちを落ち着けるには、とても良かった。このウイルス危機が、ある意味全世界の人達に平等に、影響を与えている事、それぞれの立場は違っても、全ての人が大変な暮らしを強いられている事、勿論、病気と闘っている人達、そして、それを懸命に助けてる医療陣、亡くなった方々、そういう事を考えながら、少しづつ前向きな心を取り戻した。焦ったってしょうがない。不確かな将来を憂えても仕方ない、今、この時に出来ることに集中しないと。持ち前の好奇心で、楽しいことをやろう!快適な家もある。今日明日、困る訳でもない。そんな感じで、何とか乗り切った。ウイルス危機は、例えこの時期収まったとしても、第2波、第3波が来る可能性だってある。音楽業界が今後どうなって行くかは、全く未知だが、制限の中で最善策を見つけていけると思う。リモートレッスンの中にも、長点はいくつもあり、今後のレッスンの在り方に大きく影響を与えて行くと思う。ソーシャルライフも変化していくかもしれない。働き方も、変わるかもしれない。テクノロジーなしでは乗り切れないこの危機は、我々にテクノロジーとの付き合い方も教えてくれた気がする。これは戦争ではない。全世界が手をつなぎ、コロナ対策を実施していかなければ、「自由」を取り戻すことは不可能だ。特に、心の自由が・・・ ロスアンジェルスは、第2段階目の緩和が始まり、職種によってはお店が再開。店内での買い物はまだだけど、カーブサイドのピックアップが可能になった。コンサート、スポーツなどの人が沢山集まる大きなイベントは、一番最後の段階で可能になるので、音楽家にとっては辛抱の夏になりそうだ。秋のシーズンから、再開される事を切に願って止まない。そして、医療関係の方々、ご尽力に深く、深く感謝致します。
猫は真実を語る!きりこは、ラムセス2世(猫)の飼い主で、真の友達。きりこは、生まれてからずっと、プリンセスとして両親から「可愛い!可愛い!」と言われ続けていた。だから、自分はとんでもなく、可愛いと思っていた。だから、フリフリのワンピースも着た。自信も持っていた。だけど、5年生の時に、満を持して恋する男の子に、ラブレターを渡したときに、「ぶす」と言われ(このぶすは、本文中常に、太字で表記されている)、一気に落ち込み、引きこもる。そこから、ラムセス2世の賢さで、きりこは徐々に復活。この復活劇が、素晴らしいのである。きりこは、人生の真実を悟って行き、自分の生き方を見つけ、ぶすという言葉の呪縛から解かれ、自由になる。半端でない文章力に支えられ、猫と少女の物語は、高みに押し上げられ、人生の指標となった。
不思議な体験をする短編集。現実に居たと思ったら、それこそ「迷宮」に嵌っている事に気付く。耽美的。スローテンポ。3次元ではなく、4次元的。万華鏡を見ていて、ふとそこから目を反らすと、外の光が眩しかったりする感じ。「Family Affair」の中に、こんな素敵な文章がある。火葬場で、家族が焼かれ、骨揚げの部屋での一コマ ー残された骨は、哀れなほどに僅かだった。誰かが砂浜に人のかたちに並べた貝殻のようで、しかもその数はまったく足りていなかった。ー とても静かな情景の中に、この一文だけで、全てを表現してしまう凄さがある。そして、この短編は、高倉健の映画のように終わるのである。先を急ぐ旅を所望するなら、この本は期待外れである。独りでいる時間が長い現在、作者もおっしゃっているように、ゆっくりとページを捲っていくのも、一興である。
はっきり言って、こんなに難解な本は、そうは、ないと思う。しかし、主人公がフランスのリオンを出て、イタリアのフィレンチェに向かう途中に立ち寄った村に入るところまで、辿り着ければ、後は、親近感が湧いてくると思う。実を言えば、この村に入るまでに、私も何度諦めようと思ったか・・旧漢字で分からない言葉だらけ。文体も品位があるとは言え、近づき易くはない。それに加え、身近にない、中世のヨーロッパの宗教の背景が分からなければ、読み進めない。異教、そしてペストの蔓延、魔女狩り。しかし、それは、あくまでも、経緯である。パリで神学を学ぶ主人公の真の目的は、異教徒の哲学書、マルシリオ・フィチイノの「ヘルメス選集」を手に入れる事である。そして、それを手に入れる旅の途中に立ち寄る村での、錬金術師と会う事である。 主人公ニコラは、兎に角、識りたいのである。とても小さい村には、司祭がいて、様々な村人達がいて、そして錬金術師がいる。私は、錬金術師と退廃した司祭の対比に、この本の真意を見たと思う。錬金術師のピエエルは、とても魅力的だ。ストイックだが、イマジナテイブで、「人間」である。それでいて、村人達の描写は、俗姓に溢れ、卑猥である。そこに、両性具有者、更に巨人が出現。これは、正にCGの世界である。ヨーロッパでは、今でも、旅周りの小さなサーカスが、見られるが、そんな世界に近いのではと思う。主人公ニコラの「本」への、愛情が私を完読に駆り立てたのかも、知れない。錬金術師のピエエルは、素晴らしい本を、沢山所持し、その本にも、ニコラは魅了されるのである。そして、旅の目的であった、「ヘルメス選集」もその中から見つける。私も、図書館に行くと、宝の山といつも思ってしまうが・・・作者、平野さんは、法学部出身で、作家の道に入られた。私の敬愛する作曲家シューマンは、大学で法学部に属するも、音楽の道を諦めず、転向した。そんなところも、平野さんのご本に傾倒する理由かも知れない。本を読み終わってから気付いたのが「神は人を楽園より追放し、再度近附けぬように、その地を火で囲んだのだ。」という、巻頭の言葉である。
作者ご自身も、「いろいろな意味で、過去の自分にしか書くことができなかった短編たちです。・・」と仰るように、若さと切なさと自信のなさ、それに若さ故の勝手さが入り混じった、ほろ苦いストーリー、3編。チマチマして、それでいて、ホワーンとした雰囲気は、多分日本独特だと思う。美点であり、難点でもある。他人との上手い距離の取り方とか、同調する「輪」に溶け込むとか、まあ色々。でも、日本はとても良い国、そして、西さんの小説も大好きです。