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今週の土曜日にあるオーケストラとのコンサートのために、バッハの二短調のピアノ協奏曲を練習しています。本当に美しくて、奥深い。毎日楽譜に向かうと新しい発見があるし、練習している間とても充実感に満たされます。そして、ピアノを始めてから今までの長い道のりが、バッハの様々な曲と共に、蘇って来ました。 子供の時にピアノのお稽古を始めてしばらくすると、バッハが妻のアンナ・マグダレーナの為に書いた、メヌエットなどの耳慣れた小曲を弾き始めますね。そして、それが終わると、インベンション。15曲ありますが、私の場合はここで、バッハの曲をどうやって分析するのかを、当時の先生に教わりました。昔使った楽譜は、いろいろな色鉛筆で、落書きと一緒に子供ながらに分析した跡があります。この2声部のインベンションの勉強の間に、片手づつ暗譜する大事さも先生に教わり、全曲片手、両手で暗譜しました。とても良い基礎がここで出来たと思います。先生の親心は強し。15曲終わった段階で、もう一度すべてのインベンションを練習する事に。そしていよいよ3声部のシンフォニアに進級。これも15曲あり、同じように一曲づつ丁寧に練習して行ったのを覚えています。それが終わると、フランス組曲、イギリス組曲などから、数曲練習し、いよいよ平均律へ。これは、とても大きなステップですね。平均律は2冊あり、それぞれに24曲入っており、一曲がプレリュードとフーガから構成。ここで、幼少から培って来た、バッハの分析力が試されます。平均律のフーガには、4声、5声もあり、インベンションやシンフォニアとは比べ物にならないくらい、複雑です。もちろん、色鉛筆でちょこちょこと分析するのではとても追い付かない、圧倒的な構築性に感動する訳です。こうやって、幼少時に始めたバッハの勉強が、音高、音大に入る頃には、平均律に到着する、とても長い音楽の旅です。そして、ここまで来たバッハとの旅が、実はほんの入り口であったことに、直ぐに気が付くのです。 こうして現在練習している協奏曲に、辿り着いた今。それぞれの声部の扱い方や歌わせ方、バッハ独特の音質やタッチ、暗譜など、すべて昔勉強した事の続きにある事を納得。大きく言えば、バッハはすべての音楽の原点、そしてすべての音楽家の原点です。
Dear Mr. Steinhardt, I just finished your book, and I am still very moved and touched. Your book gave me tear, giggle, and smile. You wrote a wonderful book. Toward the end of the book, you talk about Schubert “Death and the Maiden” quartet. So I pulled the music out of the bookshelf, and played the […]
現在までに、本当に沢山の音楽家の方達と共演をして来ました。今までは、こうして他の楽器と演奏するピアニストの事をまとめて、「ピアノ伴奏者」と呼んでいました。しかし、近年は「ピアノ共演者」(コラボレーティブ・ピアニスト)と呼び、「一緒に共演する」という役割を重んじるようになったのです。とても嬉しい事ですね。音楽を一緒に演奏するのに、上下関係ではなく、対等の共演という呼称です。現在では、様々な音楽大学や音楽院で、ピアノ共演者学科というものを設置していて、沢山の生徒達がそこで研鑽を積んでいます。 私のピアノ共演者人生は、東京の音楽高校時代に始まりました。私の通っていた音高は、東京都立芸術高校といって、一学年に美術科と音楽科が1クラスづつ。全校で6クラスという、とてもこじんまりした学校でした。私の音楽科のクラスメートは、沢山のピアノの生徒と、バイオリンと歌の生徒が幾人かづつ、ホルンの生徒が一人、将来の音楽学専攻の生徒も幾人か。そういった環境ですから、その中の誰かと一緒に音楽を弾く、というのはとても自然な事でした。又、高校時代のユニークな経験としては、「詩の朗読」に併せてピアノを弾くというもの。感じたままに弾いてくれれば良い、というお話しで、即興で雰囲気に合わせて、弾いていました。 その後桐朋学園に進み、ピアノ科専攻に。沢山の素晴らしい音楽家仲間と出逢って、ピアノのソロ曲だけではなく、様々な音楽を弾く事が出来たのは、本当に楽しかったです。特にこの時期、フルートや金菅楽器の人達と演奏をしていました。そんな中、私のピアノ教授は、私がピアノのソロ以外に時間を割くことに、良い顔をしていませんでした。教授としてみれば当然の事ですが、やはり私自身楽しくて、いろいろと機会を増やしていったのも事実。自画自賛になってしまいますが、私、初見が出来るので、新しい曲を弾くのは、そんなに大変ではないのです。その後「指揮伴」と呼ばれていた、指揮科のレッスンで、オーケストラのスコアを見ながら弾く事も始めました。これは後に、とても良い経験になったと思います。何せ、ピアニストとしては演奏出来ない、ベートーベンやブラームスの交響曲を勉強出来たんですから。そして小澤征爾先生のクラスで弾くのは、本当に素晴らしい経験になりました。 渡米後、ヒューストンで大学院・博士課程で勉強している間に、音楽高校での仕事を頂き、この仕事で私はH1ビザという、アメリカで仕事が出来るビザをもらう事が出来ました。この学校での私の仕事は、多岐に渡り、コーラスの伴奏と、声楽科や器楽科の生徒達の演奏会、公開レッスンなどで一緒に弾く事。この学校での8年間、ブロードウエイ・スタイルやジャズ風、ドイツ、フランス、イタリア歌曲、そしてアメリカの歌など、本当に沢山の声楽曲を演奏する機会に恵まれました。そして、このヒューストン時代には、オーケストラ奏者の方々やプロの歌手の方達とも、室内楽を演奏する機会を頂き、更にレパートリーを増やす事に。飛躍の時となりました。 2000年にロサンゼルスに居を移し、最初にコラボしたのが、金管楽器の方。それがキッカケとなって、次々に金管楽器の方達から共演依頼が来るようになりました。今年は、今までに既に8人の金管楽器の方達と共演させて頂きました。この春は、フルートの演奏会でも2回共演。その中で弾いた一曲が、フランスの作曲家・ドウテイーユの「フルートとピアノの為のソナチネ」というもので、この曲は何と私が桐朋学園時代に愛して止まなかった曲なんです。何十年の時を経て、私の元に帰って来た気分で、思わず大学時代の事を思い出してしまいました。一回演奏した音楽は、頭のどこかの抽斗に思い出と一緒に入っていて、こうして再び蘇るんですね。そして、私の夫がチェロ奏者なのもあって、チェロ曲は一通り演奏して来ましたので、その関係で他のチェロ奏者の方から共演を頼まれる事もしばしば。最後に、室内楽全般について。主なピアノ三重奏、四重奏は一通り演奏して来ました、ベートーベン、ブラームス、シューマン、メンデルスゾーンといった巨匠が書いた素晴らしい曲たちです。 もちろん、桐朋学園のピアノ教授のお言葉通りに、ソロに徹していれば良かったのだろうけれど(この春、それでも3回ピアノソロ演奏会弾きましたけれど)、私の音楽人生、沢山の素晴らしい音楽家達との出会いと、素晴らしい室内楽を演奏する機会に恵まれ、リハーサルで冗談を言い合った経験。これは、何にも代え難い事です。そして、忘れてならないのが、共演者である事を選んだ事で、演奏で生活が出来たんです。これから先、どのような共演の機会があるか分かりませんが、一回一回を大事に演奏して行きたいと、心底思っています。ピアノ共演者の道、楽しいですよ。
今年はショパンとシューマンの生誕200年にあたり、各都市で様々な記念コンサートが行われていますが、私もチェロとピアノの2重奏で3回演奏会を行いました。二人の作曲家が、チェロとピアノの為に書いた曲を集めると、とても良い長さのコンサートプログラムが出来るんです。ショパンの「序奏と華麗なるポロネーズ」と「チェロソナタ」、シューマンの「アダージヨとアレグロ」、「民謡風の5つの小品」、そして「幻想小曲集 Op. 73」。この5曲で、素晴らしいコンサートが出来ます。どの曲も長年に亘り演奏して来ていますが、毎回新しい発見、そして新しい試み、新しい指使いなどで、新鮮に向き合うことが出来ます。個人的にも彼らの音楽に心頭しているので、兎に角弾いていてとても楽しいです。 ショパンの「序奏と華麗なるポロネーズ」は、彼がパリに行く前の20歳頃の作品で、「チェロソナタ」は晩年のもの。という訳で、2つの全く異なったショパンの顔が覗えます。皆様もご存知の様に、ショパンはピアノの作曲家。彼の作品は、ほとんどがピアノ曲です。しかし、少しだけあるピアノ曲以外の作品には、すべてにチェロが入っているんですよ。ショパンのチェロへの想いが、強く感じられますね。ところで皆様、ショパンの手をご覧になった事がありますか。私は、亡くなった後に型を取って作った「ショパンの手」を見たことがありますが、驚くほどに小さい手をしていたことが分かります。上記の「チェロソナタ」、「序奏と華麗なるポロネーズ」を含め、ショパンのピアノ曲はテクニック的に難解なものも多いですが、ショパンの手で弾けるように作曲されているので、正しい練習を積んで指使いなどを工夫すれば、どんな手の人にも必ず弾けるはずなのです。そこが、リストやラフマニノフと違うところ。そして、ショパンの曲を正しく練習して自分のものにすれば、確実にピアノのテクニックが上がります。 シューマンの上記3曲は、詩的で、深い音楽性に富んでいます。チェロとピアノが微妙な掛け合いと会話で、時には激しくそして優しく、又、戯けたりと、これも弾いていてとても楽しいんですね。ですから、2人の奏者の息が合わないと、音楽が自然に流れないとも言えます。テクニック的には、ショパンの2曲程難解ではありませんが、音色やフレーズの組み立て方、詩情、物語性など、表現するべくものが、沢山あります。作曲家の意を汲み、彼らの感じていたであろう音楽性を表現していけたらと、願っています。
I have been performing with so many different musicians since my performing arts high-school years in Tokyo. Pianists who play with other musicians used to be called “accompanists”, but in recent years, we are called “collaborative pianists”. It is an excellent renaming. We play music together. Many music schools and conservatories have a separate study […]
I have been a big Sumo fan since when I was very little, growing up in Japan. I have followed it as much as possible. There are 6 Sumo tournaments annually, January(Tokyo), March(Osaka), May(Tokyo), July(Nagoya), September(Tokyo), and November(Fukuoka), and each tournament lasts for 15 days from Sunday to Sunday. I have studied deeply for Sumo techniques […]
my husband and I have performed 3 concerts with a bicentennial celebration program of Chopin and Schumann this spring. Chopin wrote “An Introduction and Polonaise” and “Sonata” for cello and piano. Polonaise was written when he was about 20 years old, before he arrived in Paris. Sonata was written in 1846. They show different aspects […]
今週末に計画されているキルトの展示会に、主人の祖母、アナおばあちゃんが作ったキルトを出そうと思っています。このキルトは、アナおばあちゃんが、19人いる全ての孫に作ったものの一つです。ひょんな事から、一度も会った事のないこのアナおばあちゃんについて、このキルトを通じて、知る事になりました。実は主人の母が、家族史の勉強をするのを生き甲斐にしていて、その勉強をまとめた膨大な資料を、数年前に子供それぞれに配ったんです。アメリカにはGenealogyという学問があり、これは直続の家族だけでなく、何代にもわたって枝分かれした家族を克明に調べるものです。この資料をみると、アナおばあちゃんは、1886年生まれで、1982年に96年の長い生涯を閉じました。インデアナ州の農場で生まれ、結婚後は5人の子供と19人の孫に恵まれ、幸せな人生。まさに何でもやったみたいです。家族の洋服を作り、家の中で使うカーペットを織ったり、出来た作物で缶詰を作り、家畜から肉を作り、穀物の精製、ジャム作り、とにかく家族の暮らしを支え、ご近所の皆さんの世話をし、亡くなる直前まで大忙しだったようです。特に、キルト作りは、凄い腕前だったようですよ。私もちょっとだけキルトを齧っているので分かりますが、キルト製作はとんでもない時間が掛かります。我が家のベッドカバーも、きれいな手縫いで、色使いも素敵で、私の大のお気に入りです。それを19人いる孫すべてに作り、それを入れて生涯で110枚のキルトを縫い上げたというんですから、想像を超えます。亡くなる直前の96歳の時にも、ご近所で火事にあった一家があり、何か助けたくて、洋服やキルトなどを作って送ったようです。その毎日の暮らしぶりを想像すると、とても充実していて、何だか暖かい日差しに触れる感じがします。きっとちょっと小太りで、元気一杯、大声でおしゃべり好きで、いつも手を動かしていろ様が、思い浮かびます。こんなアナおばあちゃんの自分史を、キルトと一緒に展示しようと思っています。その隣には、私のとても稚拙なキルトも一緒に展示。アナおばあちゃんは、自分の通っていた教会で、オルガンやピアノも弾いていたようです。何だか、不思議なご縁、と思いませんか。
5月場所も中盤を過ぎ、白鳳の連覇がチラチラと見えて来ましたね。杷瑠都にも、是非横綱に並走して、優勝戦線に残って欲しいものです。 春は、動物の赤ちゃんが誕生する季節。以前お知らせした山鳩のお母さんは2組目の小鳩たちを巣から追い出し、すでに3回目の巣籠もりです。最近は、もぞもぞとしているので、この春3組目の雛が卵から孵った様子。はっきり言って、お母さん鳩は、お疲れの模様です。さて、話は別の動物へ。昨日、一昨日と、猫一家が我が家を訪れていました。2匹の子猫を遊ばせながら、2匹の大人猫が(私は勝手にその両親と思っているのですが)、我が家の庭でゆったりと日向ぼっこ。ぼやーんと、過ごしていました。猫の居る風景というのは、いつ見ても良いもの。とても和みます。子猫達は、オレンジの木に登ろうとして失敗。でも、元気に庭を無邪気に跳ね回っていました。今日は小雨日和の肌寒い日で、猫一家の姿は見えず。何か心に空洞が出来たようです。元気で居てね。
相撲大ファンとして、毎場所事にロサンゼルスから、一人相撲観戦に15日間を賭けている私です。毎日見ていると、相撲中継アナにも、一度もお会いした事がないのに、とても近親間を持ってしまいます。その知識の深さ、リアクションの速さ、解説の親方との絶妙なやり取りなど、その絶妙な語り口に、「舌を巻いて」しまいます。藤井アナ、岩佐アナ、吉田アナ、大阪アナ、三瓶アナなど、どの方も実は秘かに応援しています。特に私が好きなのは、北の富士さんと藤井アナのコンビ。私の勝手な思い込みですが、何故か北の富士さんが解説にいらっしゃる時は、圧倒的に藤井アナがお隣に座られているのでは。北の富士さんを巧みに誘導なさり、お二人のやり取りの痛快さに、相撲観戦が何倍も面白くなります。北の富士さんは、お年を重ねられ、益々素敵に。男振りも上がっています。お話も、ご自身の横綱体験から、九重親方(元横綱千代の富士)や八角親方(元横綱北勝海)を育てられた師匠としての経験等、大変納得させられるものが多いんですね。舞の海さんは、独自の角度から、それぞれの相撲をすぱっと切り取り解説。この方なしでは、相撲観戦は出来ないという地位にいらっしゃいます。又、音羽山親方、デーモン小暮閣下の解説も好きですよ。解説としてのお役目も、相撲協会内で交代で行われるので、審判部に入られると、審判席でのお顔だけ拝見となりますね。閑話休題。相撲には、様々な局面があり、奥が深い、という事です。