Newspaper Essay Series (新聞エッセイ)

2011 Newspaper Essays

December 31, 2011

第47回 2011年12月6日
被災地でのコンサート
紋別はもう雪が積もり、すっかり冬模様でしょうか。こちらロスアンジェルスは、北海道に比べれば、柔冬(!)ですが、夜はそれでも4-5度くらいまで下がるようになりました。先週末は、とてもすごい風が吹き荒れ、電線は千切れ、木はバタバタと倒れ、沢山の被害が出ました。今でも、まだ電気が戻って来ていないお宅が、結構あります。私の教えている大学も、近くの電線が切れて火事になり、一日電気が使えず、お休みになりました。それでも、学期末、ピアノのレッスンをお休みする訳にいかず、私はキャンドルを持参して、教えました!思わず、ムード満点のレッスンとなりました。

さて、今回の本題に入ります。11月中旬に、3月の津波で大変な被害をこうむられた大槌町の被災地にお伺いして、アメリカの友人達からの応援メッセージと義援金を届け、ピアノの演奏をさせて頂きました。これは、ロータリークラブからのピアノ寄贈の記念式と平行して行われ、沢山のロータリアンの皆様のお力で実現したものでした。場所はこの秋大槌町に建った仮設校舎。小・中・高の学生達が元気に、勉強していました。家を失った子供達も、親を失くした子供達も、健気に明るく過ごしている姿に、胸打たれる思いでした。

ロスアンジェルスから、成田空港に飛び(11時間ちょっと)、その足で成田エクスプレス(一時間くらい)から、東北新幹線に乗り、北上市まで(3時間強)。日本とロスアンジェルスは17時間の時差があり、日本に帰国する時は一日越えて翌日に着くので、北上に到着した時は、本当に長旅を実感しました。でも新幹線の中で頂いた駅弁とお茶は日本を実感させてくれて、とても美味しく、ほっとさせてくれました。その晩は北上のホテルで、一泊。翌朝は朝靄の漂う美しい景色の中で朝食を頂き、いざ大槌町を目指して出発。地元のロータリークラブの方々と小野会長とご一緒させて頂き、道中震災から今日までの現地の歩みをお聞きしました。現地のロータリアンの方々は、震災の起きたその日から、何度も何度も現地に足を運び、困っていらっしゃる多くの方への援助を続けていらっしゃいます。秋の気配の濃くなる日本の景色を見て、とても平和で、震災のあった事など忘れそうでしたが、現地に近づくにつれ、更地に半壊した家屋がぽつんぽつんと建つのを見て、改めてその恐ろしさを実感致しました。震災前にはそこに町があり、何代にも亘って沢山の家族が住み、子供が遊び、人の笑い声が聞こえていたのでしょうが、今では何もなく、歩いている人もいませんでした。これからどうやって町造りをしていくのか。以前の町並みを再現するのか、それとも全く新しい町を形成するのか。仮設住宅での生活は期限があり、その短い期間の中で、町民がどうやって同意出来る案を見出せるのか。未来像がはっきりしない毎日―――。

仮設校舎到着後は、リハーサルと演奏の合間に中学の校長先生、教頭先生とお話しをさせて頂きました。難題をかかえていらっしゃるのに、とても明るくてユーモアいっぱいのお話が、楽しかったです。そして、元気で礼儀正しい子供達。ピアノの贈呈の後、アメリカの友人達が作成した、とても明るい色のメッセージ入りのキルトと、大学からのメッセージを差し上げました。そして贈呈されたピアノでの演奏へ。クラシックの曲や日本の坂本龍一さん、植松伸夫さんの曲などを取り混ぜ、亡くなられた方々の事を想い、毎日懸命に生活していらっしゃる皆様を応援する気持ちで、演奏させて頂きました。最後に皆で「故郷」を合唱。その後生徒達がお返しに、とても息の合った合唱を、生徒の指揮と伴奏で演奏してくれて、思わず涙してしまいました。これからも、アメリカと現地の橋渡しとして、微力ながら、何か出来ればと、切に願っています。その晩は、10年ぶりの温泉を、花巻で堪能させて頂きました。今回の会がお蔭様でテレビ、新聞で取り挙げて頂いたので、お宿の皆様も応援して下さったのは、嬉しい思い出です。

翌日東京に戻り、女子中学時代の仲良しグループとランチを頂きおしゃべりをして、夜は偶然の中にも偶然が重なった7年ぶりの音楽高校の同窓会へ出席(私はアメリカに来て22年。その間誰とも会うチャンスはありませんでした)。その後、現在教えている大学を昨年卒業して日本に戻った子と会い、近況を話しました。残念ながら実家の両親は留守で、会うことは出来ませんでしたが、2年ぶりの日本で、本当に短い3泊5日の旅は、充実していました。沢山の素晴らしい人達と過ごせ、被災地にアメリカからのメッセージを音楽と一緒にお届けすることができました。翌日午後に成田出発、同日の朝にロスアンジェルス帰宅。最初に一日失った分、帰りは出発時間の7時間前に到着するのです。被災地の皆様、アメリカからも沢山の人が応援していますよ!

今年もいろいろな話題をお話しさせて頂きましたが、これで最後です。又、来年一月にお手紙しましょう。どうぞ素晴らしい年の瀬と新年をお過ごし下さいませ。
第46回      2011年9月26日

秋の気配が感じられる今日この頃ですね。忙しさにかまけて、すっかりご無沙汰してしまいました。ロスアンジェルスの今年の夏は、とても過ごしやすく、冷房の使用もほとんどなくすみました。私は自然の風が大好きなので、多少のほこりには目をつぶって(!)、夏の間は窓を開けて過ごしています。日本では、クーラーの風に当たると良くない、とか、扇風機でも、寝るときは切るようにするとか、クーラーの中にいる時にはひざ掛けを使う、など、「冷え」対策を重点していますね。これはとても面白いことなのですが、日本人の女性によく見られる冷え症が、こちらには存在しないのです!温度の感じ方が違うのだと思いますが、かなりの寒さでも、女性などタンクトップ(袖なしのTシャツ)で平気で歩いています。又、冬でも靴下など履かず、サンダルで足丸出し状態をよく見かけます。という訳で、暑がり屋さんの多いアメリカでは、外出先でよく超低温に設定されたクーラーに出会うので、日本以上に上着が必要になります。だから、まさしく家にいる時くらいは、自然の状態でいたいなあ、となるのです。

数年前にアメリカのアラスカ州にある、フェアバンクス市で、「日本祭り」が開かれ、そこで小野会長に初めてお目にかかりました。そこでは日本文化に関わる様々なイベントが‘開かれており、私は日本の音楽を演奏、そして日本文化についてお話させて頂きました。それがきっかけで、紋別にお邪魔して演奏させて頂く機会を得たり、こうしてお手紙を差し上げたりと、繋がりが出来たことは、本当に幸せな事です。11月には、小野会長がお力を注いでいらっしゃるロータリークラブの繋がりで、今回の震災で大被害を受けた大槌町に伺い、チャリティー・コンサートを行う運びとなりました。復興が遅々として進まない中で、住民の方々の大変な暮らしを聞き、多少でも何か出来ればという、願いからです。アメリカ人の友人達にこの機会について話したところ、多くの人から「自分達も何お役に立ちたい」という声を得て、メッセージ入りのとても素敵なキルトを作成しているところです。応援メッセージを散り交えた、気持ちが明るくなるようなデザインです。今から持っていくのが、楽しみです。又、義援金も育英資金の一部にして頂くために、持参する予定です。音楽の持つ力、音楽の吸引力で、沢山の方とお会い出来ているのは、大変幸せなことですね。

秋のコンサート・シーズンが始まりました。先日もお知らせした、バロック音楽の大家、ヨハン・セバスチァン・バッハの素晴らしい曲「ゴルトベルク変奏曲」の演奏が、今年から来年に向けての大きな柱です。先週末、この曲での第一回の演奏会が無事終わり、幸いにも沢山のお客様に聞いて頂くことが出来ました。お客様のお声でも、この曲の持つすごい力が実感。演奏家としてはこの曲を演奏するのは大変な道のりですが、その大きさ故に、満足感も大きく、改めてこの機会を得て、ゴルトベルク変奏曲を演奏出来る喜びを感じています。その他のコンサートも多々あるので、ピアノの練習に多くの時間を注いでいる今日この頃。秋も音楽と共に、どんどん過ぎていきそうです。それでは、次の機会まで、皆様お元気でお過ごし下さい。

第45回 2011年6月28日

私の音楽変遷
7月に入り、夏本番もいよいよですね。紋別の暮らしはいかがでしょうか。大震災から3ヶ月以上が経ち、復興へ向けての歩みが、ロスアンジェルス在住の私にも少しずつ届いて来ています。日本の皆様の忍耐強さと努力に、強く心を打たれる毎日です。お聞きになっているかもしれませんが、今回震災に逢われた地域で英語教師をなさっていたアメリカ人二人が、教えていた子供達や地元の方々を救うために命を落とされました。この方達の素晴らしい行動で、沢山の方々が助かったのです。それに感謝するため、この夏、日本語を習得中のアメリカ人学生20数名を、日本に招待することになっています。私の教えていた生徒一人もこの春大学を卒業し、大学院に進む前の一年間日本で英語を教えるために、つい先日、日本に出発しました。埼玉の小・中学校で教えるとの事です。彼は、結構日本語も上手いんですよ!

今回は、私の音楽遍歴についてお話ししたいなあ、と思っています。日本の音楽大学卒業後、アメリカに来て、大学院と博士号を取得。博士論文には日本のピアノ音楽の歴史を選び、3年間かけて約300ページの論文を書き上げました。当時は、どこの日本の音楽図書館もコンピューター化されておらず(テクノロジーの先端国として、皆に驚かれたものですがーー)、とても苦労しました。まず日本に行かなければ資料も調べられず、昔式にパタパタと箱の中に入っている紙で本の在り処を突き止める、気の遠くなるような作業でした。しかしこの研究の成果で、日本の西洋音楽の歴史に詳しくなり、国際交流基金、日本大使館・日本領事館等のご協力で、素晴らしい日本の音楽を世界各地で演奏・講演する機会に恵まれて来ました。紋別の第一回の演奏会でも、この日本の音楽を演奏させて頂きましたね。この日本の音楽に平行して、アメリカ音楽にも興味を持つようになり、逆に日本にアメリカの音楽を紹介するようになりました。アメリカ連邦政府のご招待で、日本の各地で楽しい音楽を主人と演奏・講演しています。博士号取得の年に、アメリカのピアノ音楽のCDを、そしてそれから数年経って、日本のピアノ音楽のCDを、リリースしました。二度目に紋別で演奏させて頂いた時には、アメリカ音楽の象徴とも言うべき、ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーを選び、皆様に楽しんで頂けたのは、本当に嬉しい思い出です。

もちろんこの間にも、日米の音楽にとどまらず、様々な音楽をソロ・室内楽、協奏曲と演奏する機会に恵まれて来たことは、本当に幸いな事です。そして日本の音楽の紹介で中南米に度々行くようになり、それまで余り触れる事のなかった彼らの音楽に影響を受け、何とか意思の疎通を図りたい切なる気持ちから、スペイン語も始めました。その中で、ピアノで詩を奏でるという気持ちが強くなり、世界の各地から私の気持ちを伝えてくれる曲を集めた「ピアノのための歌」と名付けたCDを、数年前にリリースしました。この中には、前回の二つのCDには入れなかった、日米の美しい曲も入っています。親しい友人達に、私の想いを伝えるような気持ちで、録音しました。そして昨年と今年はピアニストにとって、記念すべき重要な年。2010年はショパンとシューマンの生誕200年、今年はピアノの大王(!)リストの生誕200年です。彼らの曲を中心にしたプログラムの演奏会も、ソロ・室内楽で行っています。こうして歩んで来た私のピアノ人生、昨年演奏したバッハのピアノ協奏曲に端を発し、今年はバッハの壮大なゴールドベルグ変奏曲に挑戦中です。以前も書きましたが、この曲は、ピアニストにとって、とても特別な存在。練習していても、余りの崇高さに、涙してしまう事もあります。そして、自分と向き合う時間の中で、沢山の発見もあります。今年の終わりには、自分がどう変化しているのか、楽しみでもあります!

震災からの復興には、長い年月がかかりますが、日本の皆様のこと、とても誇りに思っています。そして、一人ではない事、忘れないで下さいね。それでは、どうか素晴らしい夏をお過ごし下さい。又、近況をお便りします。

第44回 2011年5月13日

春の風に誘われて
こちらロスアンジェルスは、毎日とても気持ちの良い天気が続いています。我が家の庭のバラも、満開でとても良い香りを運んでくれます。そして鳥の餌場を作っているので、家にいれば、日がな鳥の歌声が聞こえて、気持ちを上に持ち上げてくれるようーー。まさに、春爛漫です。紋別の5月はいかがでしょうか。

震災から早2ヶ月。私の企画したチャリティーコンサートも、皆様のお力を持って成功に終わり、きちんとした額の寄付金を送る事が出来、嬉しく思っています。まだまだ、避難所生活を送る方も多く、又、住み慣れたふるさとを去って、将来に何とか希望を繋ぐ多くの家族の皆様。先の見えない暮らしが続いていらっしゃる事を思うと、居ても立ってもいられない気持ちになりますね。今後も支援活動を、そして世界に向かって、「日本の惨状を忘れないで欲しい」という活動を、続けていきたいと願っています。アメリカでも、数週間前に竜巻と洪水の大きな災害があり、又中東・アフリカの不安定な情勢、テロイストの報復攻撃への警戒など、世界の様々な場所で、毎日のように起こる予期せぬ、もしくは、為るようになってしまう様々な事例。人類が歩んで来た進歩に次ぐ進歩の日々を、あざ笑うかのようにさえ、見えます。

さて、閑話休題。こちらの大学のシステムについては、既にお話ししてありますが、5月中旬から、8月後半まで、長い夏休み。学期中は、本当に勉強を一生懸命しなければならないので、夏休みは息抜きと、そして、大学では経験出来ない事、もしくは、大学の専攻の勉強を深める研究、仕事など、学生達は、いろいろと計画を立てます。私のピアノのクラスは、今年4年生が多く、7人の生徒が、将来の夢を携えて巣立っていきました。「新卒」でなければ、という観念がアメリカにはほとんどないので、すぐに、一生勤める会社に就職する、という生徒はほとんどいません。一年間、海外に英語を教えに行って、経験を深め、大学院に入る、とか、取り敢えず俳優の道を目指してアルバイトをしながら頑張る、とか、科学学者になる希望を持っている生徒は、大学院と博士課程の前に、一年間自由に、世界を飛び回って詩を書いたり、文化生活を送りたいとか、様々です。生徒達の傾向というのは、もちろん行っている大学の性格にもよります。私の教えている大学は、リベラル・アーツ大学と行って、ほとんどの勉強が直接「生活をする」事に結びつかない場合が多く、大学の4年間では、幅広い勉強と経験を積み、その後大学院で、もっと将来の道に沿って、方向性を固めるという生徒が多い様です。3歳で始めたピアノを今も人生の中心に置き、高校、大学、大学院、博士課程と、すべてピアノを専攻した私は、こういった学生達の正反対にいる訳ですね!職人芸の楽器奏者は、やはり、「一芸に秀でる」というスタンスで物事に取り組まないと物にならず、良く言われるように、「才能とは、努力を継続出来る事」というのが、真理ですね。私も自分自身に匙を投げずに、死ぬまで、もしくは、指と頭が動く間、満足が出来る演奏を目指して、日々、音楽と向き合っていければ、と願っています。そして、そういう環境に置かれている事に心より感謝しながら。

今回の震災で直接被害を受けなかった方々でも、仕事がこなくなり会社倒産・自粛を余儀なくされたり、日本中で辛い思いをされている方々が大勢いらっしゃる事と思います。一日でも早く、日本の国民が明るく、将来に向けて目標を語れる、そして不安のない毎日が来る事を、心より願っています。それでは、又次回のお便りまで、どうぞ皆様お元気で。

第43回 2011年3月23日

日本大震災
この度の、大地震、大津波での被害、心よりお見舞い申し上げます。もちろん、アメリカでも連日報道され、多くの友人達から、日本の事情、家族の状況などに気を使って頂いています。私の家族は全員東京におり、お蔭様で変わりない生活を送っています。紋別の皆様はいかがでいらっしゃいますか。報道は、甚大な被害にあったところに焦点が当たっているため、もしかして紋別の状況がつかめていないかも知れません。皆様のご無事を願っています。

アメリカ在住で、近くでお手伝いが出来ませんので、日本に送る義援金集めに奔走しています。教会を通しての義援金集めは、地震当時から続けていますが、本日は、折り鶴を教えて千羽鶴を作り、そこで義援金集めを予定しています。又、4月2日と16日には、支援コンサートを開き、そこでも義援金を集める予定です。被災された方々の状況を見ると、本当に心が痛みます。本日のロスアンジェルス・タイムス(新聞)では、小学校にいた児童100人くらいが、避難出来ずに亡くなり、その子供達を探して、倒壊した学校を訪ねる両親の姿が、大きく記事になっていました。大地震のため先生の多くが亡くなり、残った先生達が生徒を校庭に誘導し、そこで津波に呑み込まれたという、悲しみの行き場がない状況です。

すべてが想定外の出来事で、毎年行われていた地震、津波への避難準備も役に立たず、その準備不足が次第に原発にも起こり、大被害をもたらしています。アメリカでも、放射線被害への関心は大きく、日本の報道とは違った側面から、今回の原発事故を見ています。私はジャパンTVを入れているので、いろいろなニュースに対して、日米の違った報道が見られるので、大変興味深いです。日本は、カリフォルニア州(アメリカ全土から見ると、カリフォルニアなど、ほんの一部に過ぎない)の約2分の1で、家屋などがとても集中していますので、日本政府が出している原発に関する避難区域の話をこちらですると、皆びっくりします。30キロ範囲での避難など、こちらでは、すぐ側という感覚で、福島と東京の距離にしても、1時間半くらいのドライブで行ける範囲ですから、近隣都市という感じです。東京の水道水などにも、放射線が検地されている報道ですので、今後被害が広がらない事を願っています。

こうした暗いニュースの多い中、震災地での復興の話は、明るく、未来に繋がるものですね。特に大津波に会われた太平洋側の町々は、どうやって又元に戻るんだろうかと思ったものですが、連日不休不眠で働いていらっしゃる方々の姿や、町民の方々の「何とか復興させてみせる」という力強い言葉、暗闇に一点の明かりが灯ったようです。海外にも沢山の人間が、日本の現状を助けようと一生懸命です。そして日本の将来に対して、深く祈っています。桜の便りも聞かれる頃ですが、日本の象徴でもある桜が、傷ついた沢山の日本人の心を癒してくれますように。私も微力ではありますが、日本の復興のために力を尽くしたいと思います。

第42回 2011年2月10日

2011年の大きな目標
2011年も早いもので、すでに2月・中旬に入りました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。いまごろ紋別は厳冬なのでしょうね。ロスアンジェルスは、典型的な冬です。1月に沢山雨があったので、雨季とはいえこの2月は雨が少なく、青空が広がる毎日です。

私の毎日は、今年も音楽を中心に廻っています。いろいろな演奏家との共演、ソロ演奏に加え、今年一番の目標は、ヨハン・セバスチャン・バッハの大曲、「ゴールドベルグ変奏曲」を勉強、練習、演奏する事です。この曲は、ピアニストにとって大変特別なもので、生涯で一度は是非演奏したい、しかし全曲通して弾くと70-80分かかり、おいそれとは手を出せない、といったものです。今年は、バッハ音楽祭からお声をかけて頂き、夢の大曲を演奏する機会を頂きました。10月の演奏会まで、少しずつ勉強し、暗譜を完成させ、臨みたいと考えています。もちろん音楽的にも最高度に素晴らしく、いくら練習しても毎日新しい発見があります。これは余談ですが、通常のコンサートは、様々な曲と休憩を入れて約一時間半くらいで、そういうコンサートはもう沢山演奏させて頂いていますが、一曲でそれに近い長さを休みなく暗譜で演奏するという経験はなく、今からどういう事になるやらーー、と心配がない訳ではありません。しかし、この心配、不安、緊張も、すべて練習で補う他なく、スポーツ選手同様、「毎日の稽古に励むのみ!」という事ですね。

私のアメリカ暮らしも20年を迎え、谷あり山あり、又谷ありで、何とか乗り切って来たような気がします。アメリカ人の夫の家族との関係にしても、現在は実家より距離が近く、困った事を相談したり、会う機会も多いのですが、最初は全く感覚が分からず、意味のない事で悩んだりしました。今でこそ、アメリカの社会で仕事をし、生活をし、友人達と趣味を共有したりしていますが、ここまで来るには、結構長い道のりでした。日本に簡単に帰れないような状況にあった事が幸いし、逃げる事も出来ず、前進のみ!でしたがーー。しかし、いつも「音楽」という目標、「ピアノ」という大親友が傍にあって、最低の状況でも、それをバネにどん底から這い上がって来たような気がします。自分の好きなもの、そしてそれに人生をかける事が出来ている事は、とても幸せな事なんだと、実感します。結婚生活においても、16年経た現在でさえ「私何でここにいるんだろう??--」といった違和感に、突然押しつぶされそうになる事もありますよ!何年経っても、日本人であることには変わりなく、これから先も日本人です。

今年も、演奏をする度、人の心に届く、真実の音楽を演奏したいと、心より願って精進しています。自分に嘘をつけば、それは音楽にも出ますからね。今年も、ロスアンジェルスから、皆様にお便りを差し上げたいと思ってます。どうぞよろしくお願い致します。それでは、次回のお便りまで、どうぞお元気でお過ごし下さいませ。