Newspaper Essay Series (新聞エッセイ)

2010 Newspaper Essays

December 31, 2010

第41回 2010年12月15日
中南米コンサートツアーのご報告の最後、メキシコから。
前回のご報告からすっかり時間が経ってしまいましたが。、今回で中南米編も最終回です。メキシコでは、メキシコシテイ(メキシコの首 都)とプエブラ市で2回の公演を行いました。私の住んでいるカリフォルニア州は、サンデイエゴ市でメキシコのテイフアナ市と国境が接しているので、メキシ コというとお隣という感じですが、メキシコシテイはずっと南に位置していて、ちょっと車でドライブなどという、距離ではありません!まさに、異国です!メ キシコには、エルサルバドルから入りました。

メキシコシテイは標高2000メートルくらいの高地にあるので、ちょっと頑張って歩くと息切れするとか、沸騰温度が違うとか、朝晩の温度の差が激し いとか、来る前には分からなかった事がいろいろでした。コンサートは2回とも国際交流基金メキシコ事務所の主催で、それぞれ大学内の講堂で行われました。 特にプエブラ市(メキシコシテイから車で2時間くらい)でのお客様が良かった!熱狂的で、コンサートが終わった後も、素敵なお言葉を沢山頂きました。こう いった皆様のお言葉が、私のこれからの励みになり、エネルギーになるんですね!こうして遠くの国々に来て、ピアノを弾き、皆様に喜こんでもらえるというの は、まさに演奏家冥利に尽きます。まさに体一つ、手2本で(!)、いろいろな国の人々と音楽を介して通じ合えるというのは、本当に有難い事で、やりがいが あります。今回選んだ演奏会のテーマ「アジアと西洋を音楽で繋ぐ」というのは、今後も自分の人生の中で、続けていきたいテーマです。コンサートの中でのお 話も、何とかスペイン語でクリア!やはりそのお国の言葉で、聴衆の方々に語りかければ、一段と距離が近づくと思います。そして、今回はそれぞれのお国の誰 でもが知っている曲をちょっとアレンジしてアンコールに選び(日本で言えば、小学唱歌の“赤とんぼ”とか“浜辺の唄”)、とても喜んで頂きました。

メキシコではちょっと空いた時間で、多少観光もしましたよ。長年の憧れであるフリダ・カーロ(有名なメキシコの女流画家)の家を訪れる事が出来たの は、本当に嬉しかったです!本や映画などで、慣れ親しんで来た彼女の作品をこの目で見る事が出来、感動に続く感動!そして、彼女がご主人(有名な芸術家) と一緒に住んだこの家は、そのものが芸術品です。カサ・アズール(水色の家)と呼ばれ、この中を歩く事が出来たのは、私にとって、とてもとても貴重な時間 になりました。彼女は生涯病気と闘い、そのかなりの部分をベッドの中で過ごしました。その苦しみ、あがきが彼女の芸術の中で多く見られますが、彼女のベッ ドを見ることが出来て、私はしばし時間が過ぎるのも忘れてしまいました。それは、美しい庭が一望に見渡せる場所にあって、扉を開けると寝ながらにして外の 空気に触れるように出来ていました。

帰国前日に半日時間があいたので、メキシコシテイ内のチャパルテペック城と近代美術館を訪れました。ホテルから歩いていけるなあと、簡略な地図を見 て行ったのですが、これが結構な距離で、まさに「標高の高さ」が私に反撃!ちょっと疲れてしまいましたねーー。帰りは何だかおまけに道に迷い、警察の人に 道を尋ねたところ、一人歩きは危険だからと、警察の車でホテルまで送ってもらうという、計算外のおまけまでついて来ました!近代美術館は美しい建物で、館 内を廻りながら静かな時間を過ごし、その後お城へ。これは、同じ公園内にありましたが、ちょっと高台に立っていて、そこまで登るのが、一苦労。まさに標高 との戦いでした!しかし、これは行く価値大有り。スペイン統治時代のもので、歴史を感じさせるだけでなく、とても美しい建物で、居るだけで素敵でした。あ ちこちに散りばめられた芸術品や当時の生活をしのばせる部屋を見て、楽しい時間を過ごせました。この後、ホテルへの帰途で、「迷った」という訳です。基本 的なスペイン語を駆使し、何とかなったのですが、後から考えてみると、かなり危険地域に入っていた感じなのです。

とにかく、病気にもならず、天候にも恵まれ(私がいる間、中南米では大雨が降ったりで、大変だったのですが、幸運な事に飛行機の遅れもなく、どのコ ンサートに雨の被害もなく、本当に感謝です!)、今回も有意義な公演旅行が、沢山の方々のお力で、出来ました。紋別は冬景色一色でしょうか。どうぞお体お 大事に、年の暮れをお過ごし下さいませ。

第40回 2010年10月18日
エルサルバドルより寄稿

先日お知らせしたキューバでの公演の次は、エルサルバドルでの演奏会へ。何故か乗り継ぎが悪く、コスタリカのサンフォセ市経由で、行きました。この国も、 始めての訪問です。キューバは暑くて、まさにカリブ海の美しい島、という感じだったのですが、こちらでは、しとしと雨が私を迎えてくれました。空港から 30分くらい離れた首都のサンサルバドル市は、少し高地にあり、ちょっと肌寒くもありました。

エルサルバドルは、中南米の他の国々同様、長くスペインの統治下にあり、1823年に独立。その後の60年間は、国内の権力争いに明け暮れ、又、隣 国のグアテマラとホンジュラスとの領土紛争もありで、混乱を極めていたようです。その後、ヨーロッパにおける珈琲の需要が伸び、輸出産業が展開。それに 伴って資本家階級が誕生し(「珈琲14家族」と呼ばれ、現在もこの末裔が国の重要な部分をになっているらしいです!)、彼らが政治・経済両面で支配するよ うになりました。その後、悲惨な生活をしいられていた農民・労働者の不満がたまり共産党の誕生、クーデター後の軍事政権など、第二次世界大戦をはさんで も、不安定な政情が続いていたようです。いろいろな支配政党が次々にあらわれ、1984年の選挙で中道左翼政権が始まりましたが、国民の期待に応えられず 内戦が悪化し、5年で敗退。1989年に行われた選挙では保守系が圧勝し、その後国連事務局長の支援や、アメリカの後押しもあり、ついに1991年にメキ シコにおいて和平合意文書に調印、長い間の内戦に別れを告げました。そして内戦による国の疲弊に手を打つべき新政党(ARENA)が、国の再開発に乗り出 しました。そして、2009年に15年ぶりに選挙が行われ、再び左派政権が勝利。現在は、50歳のフネス大統領の元、国政の見直しを図っています。特に、 文化面での教育が疎かになっていたので、その面において、何とか早く青少年にきちんとした文化教育をしたいと考えているようですーー。

こういった背景もあり、私のコンサートは、エルサルバドルの文化庁の期待が高かったのです。もちろん日本とエルサルバドルの友好、そして日本の音楽 紹介が今事業の大きな目的ですが、国民に音楽の素晴らしさを通して感動を与え、情操教育に目覚める。そういった部分も大きかったようです。という訳で、コ ンサート前日、在エルサルバドル日本大使館での晩餐会でエルサルバドルの文化庁の方達とお会い、いろいろなお話を聞かせて頂きました。将来に向けての音楽 教育、芸術振興などプランは沢山あるようでしたが、まだまだ実行に行くまでにいっていないというのが、実情のようです。コンサートは2回、首都のサンサル バドル市の国立劇場と、第2の都市サンタアナのこれも国立劇場で。どちらも、沢山のお客様に入って頂き、公演終了後も多くの方々から素晴らしいお言葉を頂 き、まさに演奏家冥利につきるエルサルバドルでの経験になりました。アンコールでは、日本の「さくらさくら」に続き、お国自慢の歌を2曲ピアノで弾き、会 場一杯、盛り上がりました!

次は中米の大国、メキシコでの経験をお話ししたいと思います。それでは、どうぞ皆様お元気で、お風邪など召されませんように。

第39回 2010年9月27日
始めてのキューバ訪問
私は現在、中南米のコンサートツアー(キューバ、エルサルバドル、メキシコの3国で、5回のコンサートと一回の公開レッスン)に来てい ます。そして、最初の国、キューバでのコンサートと公開レッスンを終え、二つ目の訪問国エルサルバドルへの飛行機の乗り換えで、コスタリカのサンフォセ空 港にいます。ここは、2年前にもコンサートで来ていて、空港の様子も同じで、コーヒーショップで一息ついたのも、全く同じ!面白いものです。

さて、キューバの訪問について、いろいろと新しい事の連続で、何からお話してよいやらーー。もちろん、キューバと米国は国交がないので、基本的には アメリカ人の渡航は不可能です。ただし、音楽家や芸術家、特別な許可を得た人達は、出入りしています。私は、アメリカに住んでいますが(グリーンカード で、アメリカでの生活、仕事をしています)、日本人なので、全く問題なし。しかし、パスポートにキューバ入国の証拠が残るとアメリカに再入国した時に問題 になるので、私だけでなく、すべての外国人が、旅行許可証を買い、それで、キューバへの入国・出国を行います。アメリカに住んでいると、キューバについて の情報は乏しく、又悪いニュースが多く伝わって来るので(経済制裁など、ご存知のように現在のところ関係は良くないので)、行くまではすべてがあやふや で、どんなところに行くのだろうーーという、感じでした。今回の演奏旅行も、日本政府の文化事業の一環で、国際交流基金と、各日本大使館の主宰で行われ、 準備中、滞在中も、キューバ日本大使館には、何から何までお世話になりました。そして、もちろん、すべての計画は、国際交流基金ニューヨーク事務所を通し ておこなわれ、ここにも、本当にお世話になっています。

キューバは、社会主義国で、ほとんどすべての国民が国家公務員。階級は多少あるとは言え、平等な生活が保障されています。例えば、病院はすべて無 料!最低の食料は、配給と、いう具合です。そして、国の貨幣が、2種類あり、日常のキューバ人の暮らしは、我々外国人・観光客が使用する貨幣の約24分の 1に設定されています。ですから、国からのお給料は、信じられないくらい安いんです。普通のクラスの人達は、約月に3000円ですよ!だから、医療が無料 とはいえ、日常の暮らしは大変苦しく、お給料以外に何とか副収入を手に入れようと、皆必死です。90年代にソ連が崩壊して、ここからの援助がなくなり、現 在は、隣国のベネズエラと中国の援助で、国を成り立たせています。オバマ政権中に、アメリカとの関係が修復するのではーー、とも言われていますが、どうな りますやら。

生活が苦しい反面(トイレットペーパーや、油といった日常品がないのも普通で、ホテル以外では、トイレに便座がないことも普通です!)、良いことも 沢山。例えば、犯罪が少ない。銃や薬物の問題がない。音楽が、本当に素晴らしい。町が他の中南米の国に比べると、きれい、など。特にビーチは本当に美し く、ちょっと水に足を入れると、熱帯魚が廻りに泳ぎ、珊瑚礁があちこちにあるようです。というのも、もちろん、私はコンサートで行ったので、ビーチで遊ぶ 暇はありませんでしたから、人聞きです!コンサートはお蔭様で、沢山のお客様に来て頂き、日本大使と奥様、そして各国の外交団の皆様も来て下さり、文化交 流という名目が果たせたと思います。在キューバ日本大使とは、実は私生活でも、親交があるんです。まず、この大使は大のクラシック音楽好きで、CDのコレ クションは4000枚くらい、並の音楽評論家など、とっくに越えていらっしやいます。そして、私の音楽高校時代の担任の先生が、前任校で、この大使の先生 で、この先生の影響もあり、大使は音楽好きになったという関係。この我々の共有するこの恩師は、今はあまりいらっしゃらないタイプで、いわゆるご自分の信 じる道に邁進する「名物先生」です。この先生の話になると、盛り上がってしまい、片や大使がいらしたのは東京でも有名な進学校で、私がいたのは音楽高校で すが、全く同じような教え方、逸話を残していらっしゃるので、話がつきません!話は脱線してしまいましたが、この大使のご尽力もあり、今回のキューバ公演 が実現した訳です。

コンサートの前日、音楽学校で開いた公開レッスンでは、教えた生徒さん達もとても良く練習してあり、会場も満員で、音楽を通して、まさに「国境を越 えた時間」が持てたと思います。こうやって世界のいろいろな国に行って、演奏・レッスンをすると、音楽がもたらす力は大きいと心より思います。明日、あ さっては、エルサルバドルでの公演、そして、その後メキシコに行きます。それでは、長くなりましたが、今回の公演旅行の第一寄稿を終了!皆様もどうぞお元 気で、次回の第二寄稿を楽しみにしていて下さいね。

第38回 2010年9月3日
夏も終わりにーー
あっという間に、9月に入りました。皆様の夏は、いかがでしたか。今年の日本からは、猛暑の話題が多く、日本の気候が既に変化している とも、言われていますね。又、熱中症で亡くなる方のニュースも、後を絶ちません。気候の変化に対応して、日本人の暮らし方も変わっていかなければならない 時に、来ているようです。クーラーや扇風機は体に悪いという考え方も、必需品というカテゴリーに入れなければいけないのでは?そして、上手に文明の利器と 付き合って、暮らしを快適に、そして我々自身の体を守っていきたいものです。私の知り合いの北海道出身の方のお話だと、今年は雨の多い6月で、北海道も梅 雨のようだったという事ですが、紋別はどうだったのでしょうか。

私が暮らしているアメリカのロスアンジェルスは、幸いな事に今年も、爽やかで、過ごし易い夏でした。もちろん、猛暑の日々も、飛び飛びにはありまし たがーー。そして、今のところ大きな山火事もなく、落ち着いた暮らしが続いています。私個人にとっても、今年の夏はベスト10に入るのでは、と自負してい ます。家族や友人達と楽しい思い出がいくつも出来、旅先でも、自宅でも問題なく、言ってみれば普通の事が、普通に行った幸せでしょうか。昨年の夏は、家族 の中に大問題が発生して、眠れぬ夜を幾度も過ごしました。何が辛いといって、問題に直面した時に、こちら側から何も出来ず、とにかくひたすら結果が出るの を待つ事です。もちろん、最悪の結果を想定しながらーー。詳細はお伝え出来ないのですが、昨夏は最低の夏だったと、言っても差し支えないでしょう!まあ、 しかしこういった困難を乗り越え、人間も成長していくのだとしたら、これも人生の1ページというべきかもしれませんね(終わってしまったので、こういう事 が言えるのですが、その当時は、とてもこんな気分にはなれませんでしたけれど)。まあ、亀の甲より年の功とは、よく言ったものです。

9月の19日から、キューバ、メキシコ、エルサルバドルの3ヶ国に、日本の国際交流基金の文化事業の一環で、まいります。今回のコンサートのテーマ は、「アジアと西洋の出会い」というもので、日本の曲を西洋の曲と比較しながら、演奏、お話で進めていくものです。スペイン語は余り得意ではないので、こ の夏自己特訓しました。数年前、現在教えている大学で、スペイン語の授業を3学期聴講して、そこから私のスペイン語との出会いが始まり、現在に至っていま す。中南米に行く事が多いので、以前から多少のスペイン語が理解したいなあと、思っていたので、少しずつ分かって来て、楽しいです。コンサート中での、お 話もスペイン語でやりますよ!現地から、もしくはロスアンジェルスに帰宅してから、このツアーのご報告はしますので、楽しみに待っていて下さい。

長い夏休みも終わり、一昨日から大学の授業も再開しました。毎年、夏休み明けというのは、ちょっと億劫なものですが、生徒達に会って語り合い、ピア ノのレッスンを始めると、エネルギーが充満して来て、「ここが私の好きな場所なんだ!」と思い始めます。大学での授業、コンサート活動、地域での活動(い ろいろとお役があるので)と、今年後半も、前向きに、楽しく過ごしていきたいと、願っています。上記にも書きましたが、問題というのは人生につきもの、そ れをどう処理していくかが、どういう人生を過ごすかにつながっていくと、常々思っていますので。皆様も残暑に負けず、素敵な秋に向かって全開されますよう に、願っています。それでは、次回の中米コンサートのご報告までの、お別れです。お元気にお過ごし下さいね!

第37回 2010年7月21日
ヨセミテ国立公園に遊ぶ
アメリカと言えば、その広大な自然で有名で、特にダイナミックで美しい国立公園は、どこも目を奪われます。この夏は、カリフォルニア州 にある、ヨセミテ国立公園に行って来ました。車で、ロスアンジェルスから6時間、サンフランシスコから5時間程度なので、日本からの観光客も多く立ち寄る ところです。もちろん日本だけでなく、国際色豊かで、毎年ヨーロッパの各地からも沢山人々が訪れています。そして足に自信があれば、キャンプをしながら山 々を縦走して、自然と一体化する過ごし方もあります。ヨセミテ公園と言えば、高名な写真家アンセル・アダムスの幻想的な写真で、日本でもその風景がお馴染 みで、起伏に富んだ景色は、広い公園内で刻々と表情を変え、息を呑み、またゆったりした時間を感じ、本当に様々な楽しみ方があります。

雪解け水であふれる数々の滝、特にヨセミテ渓谷の中に位置する滝は、巨大な花崗岩壁を伝わって流れ、その爆発的な力に圧倒されます。休む事なく流れ 続けるそのエネルギー、考え始めるとそのすごさに頭がボーっとしてしまいますね。そしてその同じ渓谷の中には、美しい花に囲まれた草原も広がり、そのゆっ たり感に心がすーっと癒される感じ。又先住民、インデアンの歴史についても、学べる施設があります。8月ともなると、雪解け水が枯れ滝が姿を消してしまう ので、滝の迫力と遭遇するには、春後半から初夏が最高です!

アンセル・アダムスの写真でも有名は「ハーフ・ドーム」(日本でも屋内球場にエッグ・ドームというのがありますが、ドームというのは丸天井で、この ハーフ・ドームはそれが真ん中から半分に割れたようになっているからです)という、とてつもない巨大花崗岩石は、ヨセミテ公園のまさに、“顔”、と言って も良いでしょう。公園の様々な場所から見られますが、特にグレーシャー・ポイント(標高2200メートル)という、「ハーフ・ドーム」(標高2700メー トル)の目の前にある展望場所からは、様々な滝、山の稜線、湖、川などと相まって、まさに自然の絵葉書として見ることができます。感動的ですよ!風が吹い ていて、飛ばされそうだけど、雄大な自然の真っ只中に立って、地球発生からの時の流れを感じるんですから。又、7月中旬でも、雪が沢山残っており、びっく り。それも陽の当たっている場所にも点在していて、思わず雪合戦を楽しんでしまいました!

もう一つ忘れられないのが、マリポサ樹林です。この樹林の中に生息している、巨大セコイア木は、その樹齢がとてつもなく、一番のおじいさんで、 3000歳くらい。そしてその高さもさるものながら、その容積がすごいのです。又、セコイア木にとって重要なのが、自然火災で、他の常緑樹との生存競争を 減少させ、地面の葉や松葉、松かさなどを焼き尽くして、鉱物土壌の上に栄養豊富な灰の薄い層を作ります。そして、火災の熱で、成長したセコイア木の緑の松 かさを乾燥させ、出来上がった苗床に新しい種子を落とすのにも役立つという訳です。現在は雷火災などに頼らずに、森林警備隊員が、春と秋に最新の注意の 元、森に火をつけています。

ヨセミテ公園での数日。本当にリフレッシュしました。皆様も、夏は家族や友人との旅を計画される事でしょう。日本も本当に素晴らしいところが沢山あ り、日本に帰る度に、少しづつ訪れたいなあと思っています。それでは、これから、夏本番、水の事故などに気を付けて、存分に夏を楽しんで下さいね!

第36回 2010年6月24日
バッハを演奏するという事
皆様、6月をいかにお過ごしでしょうか。私は、例年参加しているカンサス州での音楽祭から先週土曜日帰宅、そして昨日からテキサス州の ダラス市で行われている、トランペットの音楽祭に来ています。素晴らしい演奏家達との出会い、やる気満々の生徒達、とエネルギー満開。今夜、ロスアンジェ ルスのトランペット奏者、ジョン・ルイスとコンサートで演奏します。

この夏の音楽祭への参加の前に、ロスアンジェルスでバッハのピアノ協奏曲の演奏が、オーケストラとあり、とても充実した時間を過ごす事が出来まし た。プロの音楽家として、古今東西の様々な曲の演奏を依頼され、又自分でも新しい分野を開拓し、音楽のいろいろな方向性に向き合うのが毎日です。そして、 とかく忘れがちなのが、自分の出発地点。そして、目指す地点。今回のバッハの協奏曲と、しばし真剣に向き合い、練習、模索して、再度バッハの音楽の奥の深 さ、慈悲、優しさに触れ、自分の指がとても自然に動き、活性化されたのを実感。もちろん、日常的にバッハの曲を生徒達にも教えますし、近年の演奏会の中で 平均律、パルテイータなど演奏して来ましたが、何故かこのニ短調の協奏曲が、ガツンと私のハートを直撃。バッハの偉大さに再びひれ伏しています。

私は3歳の時にピアノを始めて、いわゆる正統的なピアノ教育を受けました。ですから、バッハはいつの時も、レッスンの課題に入っており、バッハとと もに成長したとも言えるんですね。初歩の段階で、耳慣れたメヌエットやガボットといった、バッハが2番目の奥さんアンナ・マグダレーナに書いた小曲から入 り、小学校2-3年で、「インベンション」という2声のフーガ風のものの勉強を始めます。このインベンションで、バッハの曲をどうやって分析するのかを、 先生から習い、丁寧に一曲一曲、勉強、暗譜したものです。この頃の楽譜は、色鉛筆を使った稚拙な字で、子供ながらに分析した線などで、ごちゃごちゃしてい ます!そして、その後「シンフォニア」という3声の楽曲に進みます。これが終了する頃には、バッハの音楽にもだいぶ慣れてきて、分析するのが楽しくなっ て、暗譜もそんなに困難ではなくなるのが、通常です。その後、「フランス組曲」、「イギリス組曲」の中から、そんなに難しくないものを練習。そして、つい に、中学、もしくは高校の間に、第一目標の「平均律」にたどりつく訳です。こうして、長い時間をかけバッハの技巧を学び、それが、古典派(モーツアルト、 ベートーベン、シューベルトなど)、ロマン派(ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、メンデルスゾーンなど)、印象派(フォーレ、ドビッシー、ラベ ルなど)、現代もの(バーバー、プロコフィエヴ、バルトークなど)を演奏する、基本になるんですね。

こうしてみると、本当に無駄な事は人生で何もないんだ!、という思いで一杯になります。今やっている事がすぐの目標に結びつかなくても、それが何十 年経ってから、自分の体の一部になっている事に気づく。だから、焦らず、でも自分に奮起を起こすため、近くの目標を作り、そして人生の長い目標を設定し て、生き方の方向性を見定める。私の近い目標は、9月に日本の文化事業の一環として派遣して頂く、キューバ、メキシコ、エルサルバドルへの演奏旅行です。 新しい曲を勉強する事で自分への挑戦になり、演奏する先々で、音楽を通じての新しい出会い・交流がある公演旅行。夏の間を準備期間として、十分に計画、練 習をしていければ、と願っています。とにかく、健康で夏を乗り切るのが、先決ですね!皆様もどうぞお体ご自愛下さいね。それでは、又7月にお便りいたしま す。

第35回 2010年5月20日
キルトからたどる、家族の歴史
こちらロスアンジェルスは、春が過ぎ、初夏のとても良い気候です。軽やかで、色の綺麗なワンピースを着て、私の心も踊るような気持ちで、町を歩いています。皆様、その後お変わりありませんか。

今日は、主人のおばあさんの事について、皆様にお話したいと思っています。私は子供の頃から手芸が好きで、日本にいる時にもキルト作りを習ったので すが、昨年から本格的に、病気の方などに差し上げる「祈りのキルト」を作り始めました。これは、病院などで、病気と闘っている方などに、差し上げるもの で、ミシンを使って作ります。写真は、最近仕上げた、病気の方が少しでも明るい気持ちちになって下さるようにと、幸せ色を使ったキルトです。こうしたキル トの仲間で今週末に小さな展覧会が企画されていて、私の作品も恥ずかしながら出展する事になっています。そこに、主人のおばあさんからもらった、すべて手 縫いのクイーンサイズのベッドカバー(ゲストルームで大事に使っています)も出展しようと思い立ったのが始まりで、この一度も会った事のないアナおばあ ちゃんの事を調べることになりました。

アナおばあちゃんは、1886年にインディアナ州の農場で生まれ、1982年にその96年の生涯を閉じるまで、その農場のある群(日本でいえば、県 の次にくる住所の区分け)にずっと住んでいました。5人の子供と19人の孫に恵まれ、その19人すべてに主人がもらったような素敵なキルトを作ったのを始 め、生涯で110枚のキルトを手縫いで作ったようです!結婚してからは、自分達の農場を持ち、本当に何でもやったようなんですよ。出来た野菜で缶詰、果物 からジャム、絨毯を織り、家族の洋服を作り、家畜から肉を作り、乳牛からバターやクリームを作り、もちろんキルトを作り、亡くなる直前まで、忙しく立ち働 いていたようですね。又、音楽の手ほどきも受けていたようで、教会のオルガン・ピアノ弾きとしても活躍していたなんて、何だか私と不思議なご縁!亡くなる 直前にも、ご近所で家事にあったお宅があったので、洋服やキルトを作って贈ったという話です。こうして、家族のため、ご近所のために、一生懸命働いていた んですね。アナおばあちゃん、気の利いた旅行に行った訳でなし、お洒落なレストランで食事をした訳でなし。でも、何だか暖かい陽の光が感じられる、ほんわ かした、それでいてとても充実した毎日が感じられます。一度も会ったことはないけれど、これからは、このゲストルームのキルトを見る度に、アナおばあちゃ んの事を思い出して、一人で微笑んでしまいそうです。

今回は、音楽の話が皆無になってしまいましたが、お蔭様でいろいろな演奏会で、忙しく演奏させて頂いています。キルトを作り、ご飯を作り、庭の手入れをし、ピアノを練習し、私の手は大忙しの毎日です!それでは、又次回まで、どうぞ皆様お元気で!

第34回 2010年4月5日
春休みの一人遠足!
皆様その後お元気ですか。3月はとても忙しくて、少しご無沙汰してしまいましたね。いろいろな演奏会に加え、大学の方も忙しく、時間が どんどん過ぎてしまいました。しかしその中で、大学の春休みで出来たちょっとした時間を利用して、楽しんだ事について、今日はお話ししたいと思います。

友人と何かをしようとか、家族と一緒にーーと思うと、皆忙しい中で、なかなか一致したスケジュールが立てられないのが、現実。そこで、今回は、「お 一人様」で、楽しむ事にしました。それも、何か特別なものでなく、ロスアンジェルスの市内で、今まで行った事のない場所や、体験した事のない事をしてみよ うという訳です。出発時間も自由、お昼ご飯の場所も自由、疲れたら気を使うこともなく一休み、まさに「お一人様」の良いところですね。

最初に選んだ所は、ロスアンジェルス発祥の地。これは、市内の中心にあり、1781年にスペイン国王が部下に命じて作らせた町で、現在のロスアン ジェルスのまさに第一歩です。44家族が、メキシコから長い道のりを経てこの地に落ち着き、ロスアンジェルスの基礎を築きました。エル・プエブロと呼ば れ、現在も沢山の歴史的建造物が残っています。朝10時頃からお昼を食べて、2時頃まで、歴史を学びながら、建物を訪ねて、バザールを覗いて、春休みの一 日、数時間エンジョイしました。帰宅したら、ピアノの練習やら他の音楽家とのリハーサル、家事が待っていましたが、何だかリフレッシュして、とても良かっ たですよ!

次の日は、今まで乗るチャンスのなかった電車です。こう言うと何だか変に聞こえると思うのですが、広大なロスアンジェルスの中に数本ある電車は、本 当に使い勝手が悪く、住まいが電車の駅に近く仕事場が電車の線の延長線上にない限りは、全く用をなさないのが現実です。そこで、わざわざ電車に乗りに、 30分くらい駅まで運転して駐車場を見つけ、電車初体験をしました!中々快適でしたね。乗ってしまえば、町の中心まであっという間で、東京の電車のように 押し合いへし合いの混雑もなく、とても気に入りました。数年うちに引越しを考えているので、電車の駅に近い、もしくはバスなどで電車の駅に数分で行ける場 所、というのも考慮に入れようと、真剣に思いました。人種のるつぼのロスアンジェルスを反映して、乗っている地域によって、乗ってくる人も聞こえてくる言 葉も、変わるのが面白かったです!

という訳で、私の春休み、なかなか楽しく、お金もかからず、良い気分転換になりました。皆様もちょっとした自由時間、身近で楽しい体験をしてみてはいかがでしょうか。それでは、次回まで皆様お元気で、お過ごし下さいますように願っています。

第33回 2010年2月19日
一緒に演奏する喜び
こちらロスアンジェルスは、寒さも峠を越え、春の息吹きが感じられるようになりました。紋別は、まだまだ冬の寒さが厳しい事と思いますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

この春は、いろいろな楽器の演奏者とのコンサートが組まれていますが、その第一弾として、2月の始めに、ニューヨーク在住のトロンボーン奏者との演 奏がありました。これは、「トロンボーンの日」と名付けられた、謂わばトロンボーン祭の一環で、一日が公開レッスン、レクチャー、ウオークショップ、コン サート、アンサンブルの練習など、プロ、学生、アマチュア混じってのトロンボーン奏者だけのイベントでした。大雨にも関わらず、沢山の人が集まり、大盛況 でした!ピアノのようにソロが中心で、アンサンブルといっても、ピアノ2重奏や連弾以外は、すべて他の楽器との演奏をする者としては、このように、同士が 集まって連帯感を深め、共同作業をするというのは、ちょっと羨ましい感じです。トロンボーンという楽器は、もちろんソロの演奏もありますが、通常は、オー ケストラやブラスバンドなどの低層部を受け持つのが主流で、ちょっと男気というか、スポーツ系の空気があります。という訳で、その大勢のトロンボーン奏者 に混じって、ただ一人のピアノ弾きとしての参加。朝と夜のコンサートで、演奏をしました。翌日は、仲良しのトロンボーン奏者の家で、打ち上げも兼ねての パーテイ。皆で、大いに盛り上がりました。皆、良く食べ、良く飲みます!

ロスアンジェルスと言えば、椰子の木が沢山生えているのですが、土着の植物ではないものの、気候にも合い、すごく大きく成長します。これが、我が家 の近所にもにょきにょきと立っているのですが、この一本、我が家の目の前にある木で、最近面白い事を発見しました。高さにすると、ビルの5-6階分くらい なのですが、その一番上付近にリスが住んでいて(椰子の葉がこんもりと茂っている中が彼の家!)、天気の良い日には、上手い具合にのびている葉の一部に 乗っかって、昼寝をしているのです。人間で言えば、マンションのベランダで日向ぼっこという感じでしょうか。それが、とても気持ち良さそうで、見ているこ ちらも“ほんわか“としてしまいます。まさに、南カリフォルニアのリスですね!

寒さが当分続くでしょうが、どうぞ皆様お身体ご自愛下さいね。それでは、又次回までお元気でお過ごし下さいませ。

第32回 2010年1月13日
歴史的な建物でのコンサート
早いものでもう一月も半ばです。少し遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。皆様も、新しい年の初めを、平和に健康に過ごされている事と願っています。

私は、暮れから新年にかけてコンサートが続いたり、主人の実家に帰ったりと、落ち着かなく、ようやく一息。日本では暮れに大掃除をやりますが、私は 今、大学の新学期が始まる前にーーと、家の中から要らなくなった物を慈善団体に持って行ったり、普段中々整理しない物置を点検したりと、月遅れの大掃除を やっています。私のモットーとしては、古くなった物を新しく買い換えた場合、余程の理由がない限り、使える物は慈善団体に持っていく事にしています。慈善 団体では、簡単に修理して、それぞれの非営利で運営しているお店で売って、収益を活かすからです。もしくは、洋服の種類などによっては、そのままホームレ スの人達のセンターに持っていき、必要に応じて配られているようです。どちらにしても、有効活用ですね!そして、我が家も物であふれないし、一石二鳥で す。

ここ2ヶ月ほど、違ったチェリスト4人と全く異なった演奏プログラムで演奏する機会に恵まれ、とても良い経験をしました。年齢も違えば、経験も違う し、曲目の選びかたも違えば、もちろん音の出し方も違うーー。ピアニストとしての喜びの一つは、こうした様々なアンサンブルの経験が出来ることでしょう か。そして、この1月9日には、歴史的な美しいコンサート会場で、ピアノの演奏会を持つ事が出来ました。写真でもお分かりのように、ヨーロッパのお城のよ うな建物で、音響も素晴らしく、楽しく演奏をさせて頂きました。この建物は、クラーク氏がコレクションの貴重な文献を入れる書庫(といっても滅茶苦茶大き いですがーー!)と、コンサート会場を兼ねて、1900年代初頭に設立したもので、5エーカー(約6130坪)の土地に建っています。現在は、 UCLA(大学)の一部に寄贈され、17-18世紀の文学の研究機関と、音楽会場としての二つの機能を果たしています。私のコンサートは、音楽愛好家達の グループからのご招待で、プライベートな会として開かれ、演奏終了後は、お庭の一部でランチョン(正式なランチという意味)をお客様達と楽しみました。演 奏後のこういったひと時、お客様と音楽にまつわるお話をしながら、お洒落な食事とおいしいワインを頂くのは、本当に楽しいものす。暮れからお正月にかけ て、一生懸命練習した甲斐がありました!

経済危機が続く中、アメリカでも難しい時代ですが、何とか少しでも状況が改善される事を願っています。そして、暖かい家に住め、明日の食事を憂う事 もない現在の私の暮らしに、深く感謝しています。今年も折に触れて、ロスアンジェルスからお便りしていくつもりですので、どうぞよろしくお願い致します。 それでは、又次の機会に、ごきげんよう!