中米公演旅行 キューバにて(新聞の連載エッセイから) 9/23/10
September 29, 2010
私は現在、中米のコンサートツアー(キューバ、エルサルバドル、メキシコの三国)に来ています。昨日最初の国、キューバでのコンサートと公開レッスンを終え、次のエルサルバドルへ行く乗り継ぎのため、コスタリカのサンフォセ空港にいます。この空港には、2年前にも来ていて、空港の様子も同じで、一息ついたコーヒーショップも全く同じ。面白いものです。
キューバの訪問については、新しい事の連続で、何からお話してよいやら・・。もちろん、キューバと米国は国交がないので、基本的にはアメリカ人の渡航は不可能です。ただし、音楽家や芸術家、特別な許可を得た人達は、出入りしています。私は、アメリカに住んでいますが(グリーンカードで、アメリカでの生活、仕事をしています)、日本人なので、全く問題なし。しかし、パスポートにキューバ入国の証拠が残るとアメリカに再入国した時に問題になるので、私だけでなく、すべての外国人が、旅行許可証を買い、それでキューバへの入国・出国を行います。アメリカに住んでいると、キューバについての情報は乏しく、又悪いニュースが多く伝わって来るので(経済制裁など。アメリカとキューバの関係は、現在のところ関係は良くないので)、行くまでは全く想像が出来ませんでした。今回の演奏旅行は、日本政府の文化事業の一環で、国際交流基金と日本国大使館の共催で、準備中、滞在中も、キューバ在日本大使館には、何から何までお世話になりました。又すべての計画は、国際交流基金ニューヨーク事務所を通して行われ、ここにも本当にお世話になりました。
キューバは、社会主義国で、ほとんどすべての国民が国家公務員。階級は多少あるとは言え、平等な生活が保障されています。例えば、病院はすべて無料。最低の食料は配給で、いう具合です。そして、国の貨幣が2種類あり、日常のキューバ人の暮らしは、我々外国人・観光客が使用する貨幣の約24分の1に設定されています。ですから、国からのお給料は、信じられないくらい安いんです。普通のクラスの人達は、月約3000円。だから、医療が無料とはいえ、日常の暮らしは大変苦しく、お給料以外に何とか副収入を手に入れようと、皆必死だそうです。90年代にソ連が崩壊して、ここからの援助がなくなり、現在は、隣国のベネズエラと中国の援助で、国を成り立たせているよう。オバマ政権中に、アメリカとの関係が修復するのでは、とも言われていますが、どうなりますやら。
生活が苦しい反面(トイレットペーパーや、食料油といった日常品がないのは普通で、ホテル以外では、トイレに便座がないことも普通です)、良いことも沢山。例えば、犯罪が少ない。銃や薬物の問題がない。音楽が、本当に素晴らしい。町が他の中南米の国に比べると、とても綺麗、など。特にビーチは本当に美しく、ちょっと水に足を入れると、熱帯魚が廻りに泳ぎ、珊瑚礁があちこちにあるようです。私はコンサートで行ったので、ビーチで遊ぶ暇はありませんでしたから、人聞きですが・・。コンサートはお蔭様で、沢山のお客様に来て頂き、日本大使と奥様、そして各国の外交団の皆様も来て下さり、文化交流という名目が果たせたと思います。在キューバ日本大使とは、実は私生活でも、親交が。まず、この大使は大のクラシック音楽好きで、CDのコレクションは4000枚くらい。並の音楽評論家など、とっくに越えていらっしやいます。そして、私の音楽高校時代の担任の先生が、前任校で、この大使の先生で、この先生の影響もあり、大使は音楽好きになったというお話し。この我々の共有する恩師は、今は余り見かけないタイプで、自分の信じる道に邁進する「名物先生」でした。大使がいらしたのは東京でも有名な進学校で、私がいたのは音楽高校ですが、この先生は同じような教え方で、似た様な逸話を残していらっしゃる。本当に話が尽きませんでした。
コンサートの前日、音楽学校で開いた公開レッスンでは、教えた生徒さん達がとても良く練習してあり、会場も満員で、音楽を通して、正に「国境を越えた時間」が持てたと思います。こうやって世界のいろいろな国に行って、演奏・レッスンをすると、音楽が持つ力の大きさを、改めて感じます。明日、あさっては、エルサルバドルでの公演、そして、その後メキシコに行きます。それでは、長くなりましたが、今回の公演旅行の第一寄稿を終了!皆様もどうぞお元気で、次回の第二寄稿を楽しみにしていて下さいね。