July 19th, 2011
魁皇関が、引退を発表。ついに、この日が来たかと、いう万感の思いである。本当に長い年月であった。最多の勝ち星記録を更新して、もうすべてやり尽くしたという、お気持ちであろうか。同僚、後輩の力士達が次々に引退していく中、ケガ・故障をおして場所を引っ張って来たのは、偉業という他ない。精神力と相撲への深い想いからであろう。もう一度福岡に帰りたかったであろうけれど、もう十分にやった。十分過ぎるくらい、貢献してくれた、本当に素晴らしい力士人生であった。優しい人柄でも知られているが、土俵に立つと、相手方の力士に猛烈な圧迫をかけるオーラがあった。そして怪力である。170キロの巨漢で長く相撲を取ったのは、はっきり奇跡である。今場所の千秋楽に39歳になる魁皇。しばらくは、長年のプレッシャーを忘れ、存分にゆっくりして頂きたい。そして、新たに相撲協会の一角となり、後進の指導、次世代の相撲への貢献、そして解説者として、テレビでお目にかかる日を楽しみにしている。本当に、本当に、ありがとうございました。
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July 19th, 2011
昨日の日曜日は、本当にいろいろな事があった。お相撲については、もう書いたけど、ね。まず、ロスアンジェルスでは、世紀のフリーウエイの工事があり、アメリカの中でも一、二を争う交通量の多い路線が週末閉鎖。数ヶ月前から、様々な予想が飛び、迂回路線の混雑を避けるように呼びかけがあり、誰もが予想出来ない事態に向けて”Carmagedone”と言われていた。ところが、予想大外れで、ロスアンジェルスのどこも混雑せず、”Carmaheaven”となったのだ。そして、皮肉にも、フリーウエイの工事が終了して、オープンした途端に、事故があり、その路線付近が大混雑。世の中の動きというのは、本当に面白い。そして、サッカー日本女子の感激の優勝。実は、午後3時から演奏があり、ゲーム観戦をあきらめていたところ、最後の数分だけ偶然見ることが出来、勝利の瞬間に触れる幸運に恵まれた!すごい事である。日本人は私だけの状況だったが(ということは、他はアメリカ人!)、本当に嬉しかった。演奏の前に、緊張して、暗譜を忘れるかもーー、などという悪魔のささやきを聞くこともすっかり忘れていた。今年に入ってから何度も書いているが、バッハのゴールドベルグ変奏曲を練習している。10月にある大事な演奏会の前に、今回は3分の2くらいを、サマーコンサートで演奏した。3分の2といっても、40分くらいを、休みなく、暗譜で演奏するのは、かなりの集中を要するし、対位法なので、両手が其々に主張。暗譜が不安にもなるのは、仕方ない(!)。演奏後は、お客様達とレセプションでお話。いろいろな質問もあり、おしゃべりをして楽しかった。実はこのお客様たちとの時間が、私は、大好き。
そして、夜は、ロスアンジェルスの夏の風物詩のハリウッド・ボール(野外劇場)で、プッチーニのオペラ”トゥーランドット”を、友人達とワインを楽しみながら、聞いた。(Dudamelの指揮で、キャストも素晴らしかった。)皆アメリカ人の友人だけど、日本の優秀を一緒に祝ってくれた。ロスアンジェルスの夏は、夕暮れすぎると、いっきに気温が下がり、毛布や厚手の上着が必要になる。そんな気持ちの良い夜風の中で、至福の時間が流れていった。
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July 18th, 2011
名古屋場所が開催されている。大相撲はスキャンダル続きの、再々出発で、もちろん、非常に複雑な状況である事は、間違いない。しかし、皆がんばっているし、連日面白い相撲が沢山見られるのは、一相撲ファンとして、ほっとするし、心より嬉しい。昨日、9日目の相撲放送の向う正面の解説が、北川親方で、驚きの、といったら大変失礼なのだが、その解説、分析の面白さに、「ああ、相撲ってこういうことなんだ。」と、もうとても納得のいくお話しで、終始大変面白かった。刈屋アナウンサーと舞の海さんも、北川親方のよどみのないお話に、心底納得している様子であった。あの、舞の海さんのお話しが、北川親方のお話の後だと、何だか、面白みがなく、自分でも驚いてしまった。現役時代の北勝力関を覚えていらっしゃる方も大勢いると思うが、押し一本の力士で、どちらかと言うと、表情のない、つかみどころのない力士という印象であったかと、思う。そして、北の富士さんの、目の仇であった!もう、北の富士さんは、北勝力関をぼろくそに言うのを、趣味にしていたと、言っても過言ではない。
北川親方は、どの力士についても、とても前向きな、ポジテイブな解説で、特に同部屋の隠岐の海関については、その深い愛情から来るコメントに、思わず涙しそうになってしまった。又、白鵬の強さについての説明でも、いくつもの技を同時に繰り出すというお話しには、思わず納得。北川親方は、相撲界の大危機に現れた、救世主である。北川親方、ありがとうございます。そして、一日でも早く、又お話が聞きたいです。そして今後の弟子育成、相撲協会への貢献に、心より期待しています。
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July 13th, 2011
電話帳の事を書いたついでに、写真アルバムについても一言。10年くらい前までは、旅行や大事なイベントなどの後に、写真をまとめアルバムを作るというのは、一つの区切りであり、思いで作りの1ページであった。デジカメになってから、私はアルバムを作るのを止めた。そして、コンピューターの中できちんと整理して、何かの時には、そこから見るようにしたり、もしくは、他人にお見せしたりするようになった。スライド・ショーの機能を使えば、ランダムに見る事が出来、大勢の人が集まるときなど、皆がチョコチョコ見ることができ、結構楽しいものである。これも、まさにエコであり、生活の簡略化である。写真アルバムというのも、場所を取る割りに、日々の生活に余り(というか、ほとんど)活用されないものだ。「思い出」というのは本人にとってはとても大事なものだけど、他の人にとってはどうでも良い場合がほとんど。子供や家族だって、その時は「わあーーー!」などと言って見てくれるけれど、それじゃあ、死んだ後にどさっと残されたって、捨てるに捨てられず、迷惑になりかねない。という訳で、昨年から時間のある時に、昔の写真をスキャナーでコンピューターに取り込み、整理している。とても良いものだ。まず、ずっと見ていなかった写真を見るチャンスがあり、そこから、まさに「思い出」確認、そして、コンピューター内で整理。まだ、すべての昔の写真を処分する勇気はないけれど、その内にスキャンが終了したら(取っておいた訪ねた場所のパンフレットなども同時にスキャンしている)、「えい!」と、さよならの儀式をするつもり。電話帳はまだ新しいのが来たら古いのと交換するが、写真は増え続けるので、私はこのやり方にとっても満足している!皆さんのご意見は?
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July 13th, 2011
今朝、新しい電話帳が配達されたのを機に、いったいいつ電話帳を開けたかなあ、と思った。携帯にナビシステムまで付き、何かを調べるにも、ほとんどコンピューターの時代に、まさに、反エコ(この分厚い電話帳を作るために、一体どれだけの木が必要か??)の電話帳である。もちろん、中にはコンピューターを生活に導入していない世代もある訳で、不要の長物とは思わないけど、少なくとも、今後は必要世帯だけに配るべき!と、強く思った。という訳で、今迄ためていた日本国内の電話帳やら、ロスアンジェルス郊外のもの、もしくは、ロスアンジェルスの日本版電話帳など、すべてリサイクルに廻した。全部で10冊近くあったので、結構な重量。日本は、更に携帯王国なので、電話帳の存在はどうなっているのかなあ。家屋がコンパクトで、収納スペースが極端に限られている日本では、もうとっくになくなっているのかも。電話帳が消えた約4-50センチのすきま、時代の変化を物語っています。
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July 8th, 2011
先日、待望のアムトラックに乗った!もうずーっと乗りたっかたので、本当に嬉しかったなあ。というのも、アメリカ暮らしが長くなるも、飛行機・レンタカー、か長距離のドライブの旅しかした事がなく、汽車の旅を切望していたのです。日本人って、電車やバスに乗りながら、成長し、物事考え、居眠りして、本読んで、毎日を過ごしているでしょ?だから、今回電車に乗った瞬間に、何だかとっても懐かしい気持ちになったんです。そして、古巣に帰ったような気分。電車の中は新幹線みたいに綺麗だけど、もっとゆったりしていて、混み合ってない状態で、益々快適状態。普段「効率」的というか、スケジュールとか、そういう暮らししていると、この何にもしない、ぼけーーとした、電車の時間がすごく大切で、それでいて、とても気持ちにすくーっと、はまる感じで、心地良かったですね。これからも、時間を見つけて、ふらーーーーっと、電車の旅、そして時間を楽しみたいと、思った一日でした。
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June 27th, 2011
今迄に沢山の旅をして来て、いろいろなハプニングにも対応して来た私。今回、始めての経験をした。それは、旅そのものをキャンセルした事。というのも、私の乗る飛行機が、ロスアンジェルスの空港で、最初機体の修理で大幅な遅れ、そして最終的に飛ばなくなったからだ。何百人という乗客が、何とか他のルートを捜して、目的地に着こうと必死。中には、ハワイから、オーストラリアから、家路に着く途中の人も。私はと言えば、いつになく、きちんと時間に起き、きちんと家を出、ロスアンジェルスの朝にも関わらずそんなに渋滞してなくて、空港駐車場にも、オンタイム!という訳で、空港についた時には、「私にしては上出来だ!」というプライドで一杯だった。そして、様々な列に並び、4時間が経ち、今日飛び立って目的地のシカゴに着き、最終のシャトルバスに乗る事は、奇跡に近いと分かった。これは、家族の集まりで、仕事でなかったので、ある意味とてもラッキーであったが。結果として、これ以上、一縷の望みにかけ、空港で時間を過ごす事を断念。旅行そのものを中止した。
この旅のために、普段教えている生徒達もキャンセル、コンサートの参加もキャンセルしていたので、ぽかっと、週末が空いた!ロスアンジェルスにいる誰もが、私が家にいる事を知らない秘密の中で。いきなり、空港でのイライラ気分から、スカーッとした、喜びが私を包んだのは、否めない。私のためだけに、時間を使おう!そして、今週末、様々なことをした、それもスケジュールにとらわれずに!ダウンタウンの大きな図書館でいろいろな本と戯れ、リトル東京で日本食を食べる。サンタモニカで自転車に乗って、パサデナで大好きなペルー料理を、メキシコとアメリカの大サッカー試合を見ながら食べる。YMOのコンサートに行く。そしてもう一つ、明日やりたい事は、アムトラックの電車に乗る事。どこに行くかは、まだ決めていない。きちんとピアノの練習もしているよ!まさに、フリー・バード。こんな数日を、これからも、時々持ちたいな!
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June 22nd, 2011
日本人の体温低下が言われているようであるので、それに関して一言。これは、アメリカ生活で私も感じて来たことなので、重要なのである。とにかくアメリカの冷房は、強烈。そして、皆冬でも半そでが多い。主人もその一人であるし、主人の母親も、真冬の寒い雪の日でも、半そでである。か弱い(!)日本人の私は、その中で、強く生きていかなければならない。日本人は通常、36度から36度5分くらいが、平均体温のように思うが、西洋人は37度くらいある。しかし、最近読んだ文献では、日本人も実は37度くらいなければならず、ストレス、食習慣、運動不足などで、平均体温が下がっているらしい。又、恐ろしいデータでは、癌細胞が増殖しやすいのは、低体温らしく、35度というのが、絶好の条件らしい。風邪を引くと、葛根湯などを飲み、体温を上げるが、これはとても重要なことらしい。又、日本人は、風邪を引くとお風呂を控えるが、良く温まるのは、風邪除去に大事らしい。「らしい」ばかりの文章になってしまっているが、何せいろいろ読んだものから、引用しているからである。
面白い話では、日本人夫婦がアメリカ暮らしをし、子供がアメリカ生まれ、アメリカ育ちの場合、親の遺伝子、日本食などとは関係なく、アメリカ人のように、寒さ知らずの、半そで人間になるというのである。寒さを感じるのは、環境が大きい要因なのかもしれない。カンサス州の音楽祭でも、生まれたばかりの赤ちゃんが、ほとんど裸状態で、20度にも満たない強烈冷房の中で、お母さんにだっこされていたね。私は、人生やり直すことは出来ず、せめて、運動をして、体を動かし、ポカポカ体を維持していきたいものである。
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June 22nd, 2011
これも、テキサス州のダラス空港での事。経由地では、国内線の場合飛行機を下りる時間はなく、他の乗客が乗り降りしている間、座席付近にいなければならない。たまたま私の席は、一番前だったので、乗り込んでくる乗客一人一人を、何気なく観察する事になった。そこで、改めて思った。皆、かなり重そうなのである。日本でメタボなどと言われて久しいが、そんなのは、可愛いものである。帰宅してから、インターネットで、情報収集。これは全くの平均なのであるが、日本人全体とアメリカ人全体では、平均体重で、約40ポンドくらい(18キロくらい)違う。それ掛ける乗客人数であるから、飛行機に乗る人の重さは、日米ではかなり違うであろう。そこで思うのは、この体重の違いが飛行機の燃料コストにどれくらい関わるか、という点である。もちろん、飛行機自体の重量から比べれば、大したことはないのかもしれない。ご存知の方いらっしゃいますか?
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June 22nd, 2011
2週間弱のカンサス州での音楽祭を終え、テキサス州のダラス空港経由で、ロスアンジェルスに帰宅した。今迄に随分沢山飛行機に乗ったけれど、今回初めての経験をしたのである。戦地で亡くなった兵士の柩が我々の飛行機に乗り、それに随行する軍関係者が二人との、カンサス・ダラス間の飛行であった。ダラス空港に到着すると、沢山の軍関係者に混じり、ご家族の方達が柩が降ろされるのを、待っていた。それも、とてつもない、炎天下である。我々乗客も柩が降りる間、静かに座席で待っていた。何だかものすごく長い時間のようだったけど、きっと数分の事だろう。いろいろな想いが交錯した。涙が出そうになった。新聞には、かなり頻繁に、亡くなった兵士の名前と経歴が出ているけれど、20代の若い兵士が多く、いつも感慨にふけってしまう。しかし、今回のように戦地から到着した柩に向き合うのは初めてで、改めて考えさせられたのであった。
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